92 / 171
七章 毒の豆
9、香豌豆の菓子【1】
しおりを挟む
怒りを爆発させた辺妮が、豌豆黄が置いてある卓に跳びかかった。
胡玲の悲鳴が響く。翠鈴は、胡玲を抱きしめた。
「翠鈴姐」
「動かないで、胡玲。狙いはあなたよ」
脅えていた胡玲だが。翠鈴の言葉に、素直に従った。
ガシャン! けたたましい音がして、皿や豌豆黄が床に散乱した。
皿が割れる。濁った黄色の塊が砕ける。
雲嵐が光柳の前に立った。まるで盾になるかのように。雲嵐の背後で、光柳は翠鈴と胡玲をかばう。
「どうしたの!」
騒ぎに気づいた医官が、奥から顔を出した。
医局の床に物が散るときは、ろくなことがない。翠鈴は目をすがめた。
「離せ。離せぇ」
辺妮は、雲嵐に拘束された。あまりにも呆気なく。
鍛え抜かれた雲嵐に、貧相な体つきの宮女が敵うはずがない。
「包帯に使う晒をください」
「は、はい」
声を裏返しながら、医官のひとりが棚から包帯を取りだす。雲嵐は、生薬のにおいのする包帯を受けとった。辺妮を後ろ手に縛りあげて、床に転がす。
今のところは安全だ。
翠鈴は、辺妮の前にしゃがみこんだ。
「話を聞かせて。あなた、胡玲に毒を盛ったのね」
盛ったのか? という疑問ではなく、確認だ。
「ちが……」
「わたしもあの豌豆黄は食べたんだけど」
翠鈴の言葉に、辺妮は目を剥いた。
唇をわなわなと震えさせ「ぎゃあああああっ!」と耳をつんざく悲鳴を上げた。
「なんで。なんで食べたんですか!」
「お裾分けをもらったから」
取り乱し、床の上でのたうち回る辺妮に対し、翠鈴は落ち着いている。
だが、冷ややかな視線ではあるが。瞳の奥では憤怒の炎が揺らめいている。
「うちは、女炎帝さまにつきまとっているあの医官に。あの思い上がった女にだけ、食べさせようと。わざわざ取り寄せて……取り寄せたのに」
「何を取り寄せたの?」
翠鈴は感情を押し殺して、あえて優しい声を出した。その方が、真実を吐くだろうと思ったからだ。
激昂して、怒りを爆発させるのは簡単だ。
だが、それでは対話にならない。辺妮は怯えて、きっと「ごめんなさい」をくり返すばかりだろう。
聞きたいのは謝罪ではない。何を使い、どうしようとしたのかだ。
「翠鈴姐」と、背後から胡玲が声をかけてくる。
「女炎帝さまに、気軽に呼びかけないで! うちに、仲がいいとこを見せつけて調子に乗らないで」
辺妮は大声で叫んだ。そのせいで、咳きこんでいる。
虚しい咳が続く。
誰も、辺妮に大丈夫かと声をかけない。床に転がった彼女の背をさすらない。咳止めの生薬の用意もしない。
「胡玲。奥に行っていなさい」
「ですが。これは私のことです」
胡玲は責任感が強い。子供の頃からそうだった。
「いいえ。あなたは、とばっちりを受けただけ。元々はわたしの問題よ」
肩ごしにふり返り、翠鈴は胡玲に笑顔を向けた。
「今は、わたしに守られていなさい」
危険だから、胡玲を辺妮の側には来させない。本当なら、翠鈴と辺妮ふたりきりの方が話しやすいのだろうけれど。
光柳や雲嵐に、これ以上の心配はかけられない。
「教えてちょうだい。あなたは豌豆黄に何を入れようとしたの?」
辺妮は答えない。翠鈴から目を逸らして、顔の側にある床を見据えている。
「じゃあ、訊き方を変えるわね。どんな材料で豌豆黄を作ろうとしたの?」
床に転がされた辺妮の体が、びくりと竦んだ。
もう少しだ。
辺妮が、胡玲に嫉妬心を抱いているのは明白だ。そして認めなくはないけれど、翠鈴を神聖視していることも。
病気ではないからと、これまで女官や宮女たちが我慢するしかなかった数々の症状を、翠鈴の薬は救ってきた。金銭的に余裕のない宮女にとっては、天からの助けのように思えたのだろう。
「わたしには教えてくれるわね?」
卑怯な尋ね方だ。自分で話していても反吐が出そうだ。
辺妮が夜更けの薬売りに心酔していることを、利用しているのだから。
けれど、それが一番手っ取り早くて、確実だ。
妄信している女炎帝になら、辺妮は嘘をつかないだろう。
胡玲の悲鳴が響く。翠鈴は、胡玲を抱きしめた。
「翠鈴姐」
「動かないで、胡玲。狙いはあなたよ」
脅えていた胡玲だが。翠鈴の言葉に、素直に従った。
ガシャン! けたたましい音がして、皿や豌豆黄が床に散乱した。
皿が割れる。濁った黄色の塊が砕ける。
雲嵐が光柳の前に立った。まるで盾になるかのように。雲嵐の背後で、光柳は翠鈴と胡玲をかばう。
「どうしたの!」
騒ぎに気づいた医官が、奥から顔を出した。
医局の床に物が散るときは、ろくなことがない。翠鈴は目をすがめた。
「離せ。離せぇ」
辺妮は、雲嵐に拘束された。あまりにも呆気なく。
鍛え抜かれた雲嵐に、貧相な体つきの宮女が敵うはずがない。
「包帯に使う晒をください」
「は、はい」
声を裏返しながら、医官のひとりが棚から包帯を取りだす。雲嵐は、生薬のにおいのする包帯を受けとった。辺妮を後ろ手に縛りあげて、床に転がす。
今のところは安全だ。
翠鈴は、辺妮の前にしゃがみこんだ。
「話を聞かせて。あなた、胡玲に毒を盛ったのね」
盛ったのか? という疑問ではなく、確認だ。
「ちが……」
「わたしもあの豌豆黄は食べたんだけど」
翠鈴の言葉に、辺妮は目を剥いた。
唇をわなわなと震えさせ「ぎゃあああああっ!」と耳をつんざく悲鳴を上げた。
「なんで。なんで食べたんですか!」
「お裾分けをもらったから」
取り乱し、床の上でのたうち回る辺妮に対し、翠鈴は落ち着いている。
だが、冷ややかな視線ではあるが。瞳の奥では憤怒の炎が揺らめいている。
「うちは、女炎帝さまにつきまとっているあの医官に。あの思い上がった女にだけ、食べさせようと。わざわざ取り寄せて……取り寄せたのに」
「何を取り寄せたの?」
翠鈴は感情を押し殺して、あえて優しい声を出した。その方が、真実を吐くだろうと思ったからだ。
激昂して、怒りを爆発させるのは簡単だ。
だが、それでは対話にならない。辺妮は怯えて、きっと「ごめんなさい」をくり返すばかりだろう。
聞きたいのは謝罪ではない。何を使い、どうしようとしたのかだ。
「翠鈴姐」と、背後から胡玲が声をかけてくる。
「女炎帝さまに、気軽に呼びかけないで! うちに、仲がいいとこを見せつけて調子に乗らないで」
辺妮は大声で叫んだ。そのせいで、咳きこんでいる。
虚しい咳が続く。
誰も、辺妮に大丈夫かと声をかけない。床に転がった彼女の背をさすらない。咳止めの生薬の用意もしない。
「胡玲。奥に行っていなさい」
「ですが。これは私のことです」
胡玲は責任感が強い。子供の頃からそうだった。
「いいえ。あなたは、とばっちりを受けただけ。元々はわたしの問題よ」
肩ごしにふり返り、翠鈴は胡玲に笑顔を向けた。
「今は、わたしに守られていなさい」
危険だから、胡玲を辺妮の側には来させない。本当なら、翠鈴と辺妮ふたりきりの方が話しやすいのだろうけれど。
光柳や雲嵐に、これ以上の心配はかけられない。
「教えてちょうだい。あなたは豌豆黄に何を入れようとしたの?」
辺妮は答えない。翠鈴から目を逸らして、顔の側にある床を見据えている。
「じゃあ、訊き方を変えるわね。どんな材料で豌豆黄を作ろうとしたの?」
床に転がされた辺妮の体が、びくりと竦んだ。
もう少しだ。
辺妮が、胡玲に嫉妬心を抱いているのは明白だ。そして認めなくはないけれど、翠鈴を神聖視していることも。
病気ではないからと、これまで女官や宮女たちが我慢するしかなかった数々の症状を、翠鈴の薬は救ってきた。金銭的に余裕のない宮女にとっては、天からの助けのように思えたのだろう。
「わたしには教えてくれるわね?」
卑怯な尋ね方だ。自分で話していても反吐が出そうだ。
辺妮が夜更けの薬売りに心酔していることを、利用しているのだから。
けれど、それが一番手っ取り早くて、確実だ。
妄信している女炎帝になら、辺妮は嘘をつかないだろう。
146
あなたにおすすめの小説
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。