後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

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七章 毒の豆

10、香豌豆の菓子【2】

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「女炎帝さま……ごめんなさい、ごめんなさい」

 涙を流しながら、辺妮ピエンニは謝った。

「う、うちは、香豌豆かおりえんどうで、菓子を作って、それで」

 香豌豆。その名に翠鈴と、後方にいる胡玲が顔を見合わせた。花の香りが甘いから「甘い豆」との異名もあるが。
 実際は毒だ。

 豌豆とそっくりの花と莢の豆をつける香豌豆は、麝香連理草じゃこうれんりそうとも呼ばれる。
 つまり豌豆と似てはいるが、連理草れんりそうという別の種類だ。
 そして程度の差はあれ、連理草の種子には毒が含まれる。
 豆は種子だ。

「香豌豆を食べると、体が麻痺することをどこで知ったの?」
「そ、それは、うちの家畜が香豌豆を食べて。それで、足の骨の形が、おかしくなって」
「そう」

 翠鈴は平坦な声で応じた。
 人間が香豌豆かおりえんどうを多食すると、下半身が麻痺を起こす。それは知っていた。だが、動物の骨格が異常をきたすことまでは知らなかった。


「すごいわ。生きた知識ね」

 褒められたと勘違いしたのだろう。辺妮ピエンニは横たわったままで、翠鈴を見つめてくる。涙で潤んだ瞳が、わずかに煌めいた。

「でも異常が出ると分かっていて、胡玲フーリンに毒を食べさせたのね。これっぽっちも心は痛まなかったのね。彼女が苦しめば、あなたは満足なのね。まともに動けなくなれば、きっと笑ったのね」

 本当は、辺妮の頭を踏みつけたい。罵倒したい。よくも大事な胡玲を害そうとしたと、怒鳴りつけたい。
 心の底から湧いてくる衝動を、翠鈴はかろうじて堪えた。

「楽しかったでしょ。胡玲が苦しむ状態を想像して、豆を煮て。わくわくしたでしょ。自分の作った菓子で、嫌いな相手の人生を奪うことができるんですもの」

 誰もいない厨房で、たったひとり。毒の菓子をせっせと作る辺妮は、きっと笑みを浮かべていただろう。
 うす暗いなかで、鍋に入った豆を潰して練っていたのだろう。毒を混入させる必要なんてない。材料そのものが毒なのだから。

「う、うちは……そんなこと、殺そうだなんて」
「考えていたわよね。ここで。この頭の中で」

 翠鈴は、辺妮のひたいを指さした。

「医局に差し入れをするのに、不自然さがあってはならない。だったら菓子が違和感がないし、喜ばれる。香豌豆を選んだのは。そうね、豌豆黄ワンドゥホアンは宮廷菓子でもあり駄菓子でもある。それほどに広く親しまれているから、毒のない豌豆の代わりに口に入れさせやすいって考えたのね」
「な、なんで? なんで知っているの?」

 辺妮の声がかすれた。背中で縛られた腕を、なんとか動かそうとしてる。
 だが、辺妮の手を縛りあげたのは雲嵐だ。解けるはずもない。

「やっぱり女炎帝さまだから。何でもお見通しなの?」
「いいえ。ふつうに想像できる範囲よ。わたしは女炎帝ではないと言ったけれど。あなたの耳には一向に届かないのね」

「女炎帝さま」
「ほんとうに聞きたいことしか、聞けない耳なのね」

 辺妮のことが、いっそ哀れになった。本来、後宮勤めには向いていない娘だ。

「これだけは教えてちょうだい」

 翠鈴は床に膝をついて、辺妮の顔を覗きこんだ。

「誰から、香豌豆を買ったの? いえ、誰に騙されたの?」

 口止めはされていると考えた方がいい。ならば、もう一押し。

「あなたに偽物を掴ませて、お金を巻きあげたのは誰? 悔しくないの? ただの豌豆に、大金を払わされたのよ。相手はきっと、あなたのことを馬鹿にして嗤っているわ」

「うちのことを、馬鹿にしてるの? 夏雪シアシュエさんは」

 翠鈴に指摘されて、辺妮は目を見開いた。今、初めて気づいたように。

「夏雪というの?」

「なんで? あんなに高かったのに。いろんな物を我慢して、給金を貯めて。ようやく買えたのに」
「姓は? 厨房にいるあなたが購入できるのなら、その人は食堂に現れるのかしら」

 翠鈴の問いに、辺妮は答えない。ただ「うちは……うちは、何のために……」と、しゃくりあげている。

 時間がかかると踏んだのだろう。「警備の者を呼んでこよう。念のため、雲嵐は置いていく」と、光柳が立ち上がった。

 大理寺卿だいりじけいであった陳天分チェンティエンフェンに命じられて、宮女狩りにいそしんでいた宦官は異動になった。掃除の担当になったらしい。今の警備はまっとうな人ばかりだという。

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