後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

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七章 毒の豆

12、毒はいらない【1】

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 明日は春節だ。正月である春節の前日を除夕じょせきという。

 許夏雪シィシアシュエは、頼まれていた荷物を届けに後宮にやって来た。
 馬に積んだ荷は、いつもよりも随分と少ない。

「やっぱり大半は帰郷してるか」

 後宮内の道は、ふだんほどの人通りがない。
 といっても、春節のまとまった休みが取れるのは二年に一度だと聞いた。
 だから、仕事のある宮女は正月の間も後宮に残っている。主である妃嬪や側室の世話をするためだ。

 それにしても、ここしばらく馴染みの宦官を見かけない。いろいろと教えを請いたいのに。彼の話は面白いのに。会うこともできないなんて、つまらない。

「まずは、辺妮ピエンニとかいう馬鹿に会わなくちゃ」

 香豌豆かおりえんどうを誰かに食べさせたのか、その結果を聞きたい。後宮内なので、馬を駆けさせるわけにはいかない。けれど心が逸る。

 これまでなら「年末まで働かないといけないなんて。これだから貧乏は嫌なのよ」と親に文句を言って腐っていたが。今年は違う。

 最近、夏雪は人づてに聞いた。かつて大芹おおぜりを売った永仁えいじん宮の侍女が、その毒で死んだということを。
 侍女が仕えていた昭媛しょうえんは、すでに後宮を去ったという。

「くっ……くくくっ」

 噛み殺しても、笑いがこぼれてしまう。そのせいで、歯がきんと冷える。本当は大声で笑いたいけれど。それでは変人だ。我慢、我慢。

(えぇ? もしかしてあの侍女が、自分の主を殺そうとしたのかしら。だって毒芹よ。確実に殺す気がなければ、食べさせようと思わないでしょ)

 夏雪は、大芹という名を好まない。そのまま直接、毒芹どくぜり。それが明快で分かりやすい名だ。
 さすがに毒芹を扱う時は、夏雪も細心の注意を払った。荷を受けとった侍女も、思いつめた表情をしていた……ように思う。

(いいわぁ。いいわよぉ。あぁ、間近で様子を見たかったわ。きっと苦しんだでしょうね。信じていた侍女に裏切られた昭媛は、嘆き悲しんだでしょうね)

 どれほどの絶望だったかを考えると、ぞくぞくする。
 後宮で暮らす宮女たちは、夏雪にとっては人ではなかった。さすがに皇后や妃嬪は違うけれど。

 閉じられた世界で、窮屈そうに蠢く女たちが足掻くのは、見ていてとても楽しい。
 まるでお芝居のようだ。

(もっともっとあたしを楽しませてよ)

 後宮には、芝居をするための三階建てのかくと、皇帝や皇后が観劇するための楼があるという。
 むろん、出入りの業者である夏雪は、芝居用の閣がどこにあるのかは知らない。

(不思議よねぇ。後宮内では愛憎劇や陰謀、泥仕合が日々繰り広げられてるんでしょ。わざわざ虚構のお芝居を見なくても、いいんじゃないかなぁ)

 どんなにうまく演じようが。どんなに心をこめて台詞を言おうが。それは作りごと。
 生の感情を爆発させるのには敵わない。
 そのネタがないのなら、提供すればいい。

(あーあ。後宮にずっといられたら、もっと楽しいだろうに)

 でも、下女なんかになると、こき使われる。
 今みたいに、気まぐれに注文を取って買い物代行をする気楽さはなくなる。

 夏雪は、馬を木につないだ。
 早く偽の香豌豆がどうなったかを聞かなくちゃ。辺妮ピエンニとかいう宮女を探さなくっちゃ。

 足取りも軽く、夏雪は食堂に入る。
 昼をとうに過ぎた食堂は、がらんとしていた。奥の方から水音が聞こえるので、皿洗いをしているのだろう。

「こんにちはー」

 明るく声をかけた時だった。食堂の卓に、ひとりの宮女が座っているのに気づいたのは。
 とても目つきが悪い。恐ろしいほどに、夏雪のことを見据えている。まるで鷹に狙われた兎のように、夏雪は立ちすくんだ。

「あの、今日でもう仕事納めだから。注文を受けても、ずいぶん先になるけど」
「うん。別にいい。あなたに買い物を頼もうなんて思わないから」

 食堂にただひとり残っていたのは、翠鈴だ。
 むろん、夏雪は翠鈴の名を知らない。

 夏雪が除夕じょせきに品物を持ってくることを聞いていたから、ここで待っていただろうに。翠鈴は予想外の言葉を投げてきた。

「わたし、毒はいらないのよ」
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