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十章 青い蓮
2、あれは嘘
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文彗宮は静かだった。
流産のあと、ようやく起き上がれるようになった呂充儀は椅子に座って瞼を閉じている。
床一面に青い花びらが散り敷かれている。
紙を染めた青い蓮だ。床の木が見えぬほどに、青が降り積もっている。
「この青い蓮の花が、穢れを払うと巫女は話していたわ」
呂充儀は、自分の腹部に手を当てた。
目立つほどお腹は大きくなってはいなかったけれど。ここにいたはずの、自分の未来を変えてくれるはずの子はもういない。
自分の足もとに、ぽっかりと穴が空いてしまったかのようだ。
故郷の父からの急ぎの手紙には「あまり気に病むことはない。今回のことは残念だったが、また次を身ごもればよい。是が非でも陛下の愛情をつなぎとめなさい」と書いてあった。
(でも。子が流れたから、じゃあ次。その子がだめならまた次と、そんな物のように考えていいものなの?)
呂充儀は、乱れた文字の手紙を握りつぶした。湿った紙は音もしない。
流産の処置が、どれほど痛くて苦しかったと思っているの?
子を喪ってつらいのに。そのうえあんな激痛に耐えて。
また、子を孕めばいいですって?
「お父さまは、子を産む立場ではないから。お分かりにならないわ」
慰めなのだか、叱咤激励なのだか。いずれにしても、父の言葉は鬱陶しい。
こんなにもしっかりとやってきたのに。天堂教の神官の教えに従って、青蓮娘娘にお供えして、祈祷してもらった丁子を飲み続けたのに。
「なぜわたくしだけが、こんな憂き目に遭うの」
皇后の妊娠は順調だと耳にした。ただ、頭痛が治らずに悩んでいると。
(その程度は、苦しみでも何でもないわ)
呂充儀は、ぎりっと歯を食いしばった。
奥歯が痛い。あの夜、強烈な腹痛を覚えて、出血して。ぬるりとした血が太ももを伝って。
痛みを堪えて奥歯を噛みしめたから。子が流れたと産医から聞かされて、泣くのを堪えたから。
ずっとずっと痛みが続く。いつまで我慢を続けなければならないの?
「どうして雲嵐は、見舞いにも来ないの?」
「来るはずがございません」
冷ややかな声が聞こえた。見れば、侍女頭の晩溪が部屋に入ってきたところだった。手には白っぽい紙の束を持っている。
「雲嵐は、主上に気を遣って、わたくしを訪れることができないんじゃないの?」
「どうしてそうお考えなのですか?」
「だって奴隷の出である宦官が、九嬪と親しいなんて。主上はお許しにならないわ」
呂充儀の主張に、晩溪が眉をひそめる。
最近はいつもこうだ。流産の後は、心身ともに衰弱した呂充儀を気遣ってくれたのに。
(わたくしが子の弔いのために、天堂教の巫女を招いた日から侍女たちがよそよそしい)
呂充儀は親指の爪を噛んだ。
「雲嵐は身の程も知らずに、わたくしを慕ってしまったから。ほんとうは見舞いに来たいのに、我慢しているのかもしれないでしょう」
何もおかしなことを言ったわけではない。だが、呂充儀の主張を聞いた晩溪はため息をついた。まるで呆れたように。
「杜雲嵐を『汚い』と追い払ったのは、充儀さまでしょうに」
「あ、あれは。突然のことで驚いたから」
晩溪は何か言おうとして唇を開いた。だが、可哀想な者を見る目で呂充儀を眺めただけだ。
「まだ丁子の匂いがしますね」
晩溪が部屋の窓と扉を開け放つ。
風が部屋を抜け、馴染みのある甘くて刺激のある匂いが、薄れていく。
床を埋め尽くす青い紙の花が、風に吹かれて壁際に集まった。呂充儀は、久しぶりに床を目にした。
「お酒をちょうだい。青蓮娘娘が調合なさったお酒よ。あるでしょう?」
「朝からお酒ですか」
晩溪の声には棘がある。呂充儀が侍女の南蕾を辞めさせたせいで、他の侍女の仕事が増えているらしい。
誰もが「忙しい、忙しい」と口にして、主である呂充儀とろくに話もしない。
自分は子を失って、こんなにもつらいのに。こんなにも悲しみと苦しみに耐えているのに。
なぜ始終、主のことを気にかけないのか。
「丁子のお茶の代わりよ。お茶のせいで流産したとは、思ってはいないけど」
それでも、未央宮の司燈の宮女がわざわざ南蕾に伝言させたことが気にかかる。
だから、呂充儀は丁子茶を飲んでもおいしいと思えなくなった。
「あの宮女だって薬酒は禁止しなかったわ」
「想像していなかっただけだと思いますが」
「いいから。持ってきてちょうだい」
呂充儀が強く命ずると、晩溪は部屋を出ていった。
卓の上に紙の束を残して。
流産のあと、ようやく起き上がれるようになった呂充儀は椅子に座って瞼を閉じている。
床一面に青い花びらが散り敷かれている。
紙を染めた青い蓮だ。床の木が見えぬほどに、青が降り積もっている。
「この青い蓮の花が、穢れを払うと巫女は話していたわ」
呂充儀は、自分の腹部に手を当てた。
目立つほどお腹は大きくなってはいなかったけれど。ここにいたはずの、自分の未来を変えてくれるはずの子はもういない。
自分の足もとに、ぽっかりと穴が空いてしまったかのようだ。
故郷の父からの急ぎの手紙には「あまり気に病むことはない。今回のことは残念だったが、また次を身ごもればよい。是が非でも陛下の愛情をつなぎとめなさい」と書いてあった。
(でも。子が流れたから、じゃあ次。その子がだめならまた次と、そんな物のように考えていいものなの?)
呂充儀は、乱れた文字の手紙を握りつぶした。湿った紙は音もしない。
流産の処置が、どれほど痛くて苦しかったと思っているの?
子を喪ってつらいのに。そのうえあんな激痛に耐えて。
また、子を孕めばいいですって?
「お父さまは、子を産む立場ではないから。お分かりにならないわ」
慰めなのだか、叱咤激励なのだか。いずれにしても、父の言葉は鬱陶しい。
こんなにもしっかりとやってきたのに。天堂教の神官の教えに従って、青蓮娘娘にお供えして、祈祷してもらった丁子を飲み続けたのに。
「なぜわたくしだけが、こんな憂き目に遭うの」
皇后の妊娠は順調だと耳にした。ただ、頭痛が治らずに悩んでいると。
(その程度は、苦しみでも何でもないわ)
呂充儀は、ぎりっと歯を食いしばった。
奥歯が痛い。あの夜、強烈な腹痛を覚えて、出血して。ぬるりとした血が太ももを伝って。
痛みを堪えて奥歯を噛みしめたから。子が流れたと産医から聞かされて、泣くのを堪えたから。
ずっとずっと痛みが続く。いつまで我慢を続けなければならないの?
「どうして雲嵐は、見舞いにも来ないの?」
「来るはずがございません」
冷ややかな声が聞こえた。見れば、侍女頭の晩溪が部屋に入ってきたところだった。手には白っぽい紙の束を持っている。
「雲嵐は、主上に気を遣って、わたくしを訪れることができないんじゃないの?」
「どうしてそうお考えなのですか?」
「だって奴隷の出である宦官が、九嬪と親しいなんて。主上はお許しにならないわ」
呂充儀の主張に、晩溪が眉をひそめる。
最近はいつもこうだ。流産の後は、心身ともに衰弱した呂充儀を気遣ってくれたのに。
(わたくしが子の弔いのために、天堂教の巫女を招いた日から侍女たちがよそよそしい)
呂充儀は親指の爪を噛んだ。
「雲嵐は身の程も知らずに、わたくしを慕ってしまったから。ほんとうは見舞いに来たいのに、我慢しているのかもしれないでしょう」
何もおかしなことを言ったわけではない。だが、呂充儀の主張を聞いた晩溪はため息をついた。まるで呆れたように。
「杜雲嵐を『汚い』と追い払ったのは、充儀さまでしょうに」
「あ、あれは。突然のことで驚いたから」
晩溪は何か言おうとして唇を開いた。だが、可哀想な者を見る目で呂充儀を眺めただけだ。
「まだ丁子の匂いがしますね」
晩溪が部屋の窓と扉を開け放つ。
風が部屋を抜け、馴染みのある甘くて刺激のある匂いが、薄れていく。
床を埋め尽くす青い紙の花が、風に吹かれて壁際に集まった。呂充儀は、久しぶりに床を目にした。
「お酒をちょうだい。青蓮娘娘が調合なさったお酒よ。あるでしょう?」
「朝からお酒ですか」
晩溪の声には棘がある。呂充儀が侍女の南蕾を辞めさせたせいで、他の侍女の仕事が増えているらしい。
誰もが「忙しい、忙しい」と口にして、主である呂充儀とろくに話もしない。
自分は子を失って、こんなにもつらいのに。こんなにも悲しみと苦しみに耐えているのに。
なぜ始終、主のことを気にかけないのか。
「丁子のお茶の代わりよ。お茶のせいで流産したとは、思ってはいないけど」
それでも、未央宮の司燈の宮女がわざわざ南蕾に伝言させたことが気にかかる。
だから、呂充儀は丁子茶を飲んでもおいしいと思えなくなった。
「あの宮女だって薬酒は禁止しなかったわ」
「想像していなかっただけだと思いますが」
「いいから。持ってきてちょうだい」
呂充儀が強く命ずると、晩溪は部屋を出ていった。
卓の上に紙の束を残して。
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