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十章 青い蓮
3、薬草酒
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侍女頭の晩溪が持ってきた薬酒を、呂充儀は自分で碗に注いだ。
こぽこぽと音を立てて、壺から焦げ茶色の液体が現れる。
芹の一種である過泥子、イナゴ豆、竜胆、薫衣草や薄荷に甘草など多くの種類の生薬を浸けこんだ薬草酒だ。
とろりとした酒を口にすると、独特の甘くて苦い味が広がっていく。
かつて地上に青蓮娘娘がいらした時に、伝えられたお酒だという。
「女炎帝といわれる薬師が、後宮に現れるそうね」
晩溪は返事をしない。呂充儀はひとりで話を続けた。
「そんな偽者の女神に傾倒している女官や宮女が多いんでしょ。馬鹿ね。どうせなら青蓮娘娘を信仰すればいいのに」
薬草種の酒精はきつい。だが、呂充儀は一息に碗を空にした。
待っていても晩溪は、二杯目を注いでくれない。これまでなら複数の侍女が側にいたのに。仕事が忙しいと、主の元に寄りつかない。
しょうがないから、呂充儀は手酌をした。
薬酒はいい。いくら飲んでも薬草を浸けてあるのだから、健康にいい。
煎じ薬に似た苦さに重なる甘さは、クセがあるが。後を引く味でもある。
「女炎帝さまは、ご立派です」
思いもがけない晩溪の反論に、呂充儀は碗を卓に置いた。唇の端から茶色いひとすじが、とろりと垂れる。
「病気とまではいかぬ、医局を頼りにくい症状ですら、女炎帝さまは治してくださいます。品階の差を気にかけることもなく、侍女も下女も差別することなく。安価で安全な薬を分けてくださるのです」
何を愚かなことを。呂充儀は、三杯目の薬酒を飲み干した。
「女炎帝はただの人間でしょ。青蓮娘娘は違うわ、真の女神よ。地上に生薬や薬酒を伝えてくださったのよ」
「ですが。そのお酒は碗一杯で、宮女のふた月ぶんの給金を越えます。充儀さまはすでに宮女の半年分の金額をお召しあがりになりました」
どうして自分が説教をされなければならないのだろう。
子を喪って、こんなにもつらいのに。
「女炎帝さまは、宮女からお金をむしり取りません。呂充儀さまが、天堂教の高額なお酒や生薬を取り寄せることがお出来になったり、法外な値の弔いを依頼できるのは、故郷のお父さまのお力があってのことです」
どうして女神のふりをした女への褒め言葉を、侍女頭から聞かなければならないのだろう。
何か……何かを間違えている気がする。
これまでは南蕾がいたから。
口ごたえもせず、主張もしない地味な南蕾に仕事を振ることで、侍女たちは後宮で楽に暮らせていたから。
不満が、主である呂充儀に向くことがなかったのだ。
「充儀さまはご存じないでしょうけれど。天堂教に入信できるのは、地位や財産がある者だけ。それが証拠に、この間のお弔いでは大勢の女官や宮女、宦官が集まっておりました。富のあるなしで信者を選ぶんですよ、天堂教は」
晩溪の声は冷たい。
いけない。このままでは。
お酒でぼうっとした頭で、呂充儀は考えを巡らせる。
「でも侍女でも天堂教の信者はいるわ。皇后の侍女も信者であると、巫女が話していたわ」
「充儀さま」
侍女の言葉は、ため息と共に発せられた。
「皇后陛下の侍女が、平民のわけがございませんよ」
これもだめだ。
女炎帝なんて、女神を騙る詐欺師に負けるわけにはいかない。
真の女神である青蓮娘娘の信徒として。そしてこの文彗宮の主として。
青蓮娘娘がすべての人を等しく愛して、慈愛に満ちているかを知らしめなければ。
そうだ。確か皇后は頭痛に悩んでいるはずだ。
未央宮の生意気な下女は、丁子のお茶は妊娠時は飲むことを禁じたが。
丁子以外のお茶が悪いとは聞いていない。
皇后の頭痛を治して恩を売れば。皇帝陛下は感動して、また自分の元に通ってくるに違いない。侍女たちも「さすがは充儀さま」と見直してくれるだろう。
なによりも、皇后自らが感謝をするだろう。今は蘭淑妃にしか許されていない「皇后娘娘」の呼称を、充儀にも認めるかもしれない。
皇后は偏屈なのか、普通の敬称である皇后娘娘を己が心を許したものにしか使わせない。
「充儀さま。宮女がこの部屋を掃除しますので、床の青い花はすべて捨てさせていただきます」
「いいわよ。その代わり、持ってきた紙を藍で染めてちょうだい。それから蓮の花の形に切り抜くのよ」
「侍女頭である私がですか?」
「当然よ。下女になんて任せられないわ。天堂教に奉納するのよ、丁寧にね」
晩溪は自分が持ってきた紙の束に目を向けると、肩を落とした。
これまで清めのために床に散り敷いていた紙の青い花を、呂充儀は決して片づけさせなかった。
だが、今後の見通しが立った今。いつまでも仄暗い弔いの中に留まってはいられない。
こぽこぽと音を立てて、壺から焦げ茶色の液体が現れる。
芹の一種である過泥子、イナゴ豆、竜胆、薫衣草や薄荷に甘草など多くの種類の生薬を浸けこんだ薬草酒だ。
とろりとした酒を口にすると、独特の甘くて苦い味が広がっていく。
かつて地上に青蓮娘娘がいらした時に、伝えられたお酒だという。
「女炎帝といわれる薬師が、後宮に現れるそうね」
晩溪は返事をしない。呂充儀はひとりで話を続けた。
「そんな偽者の女神に傾倒している女官や宮女が多いんでしょ。馬鹿ね。どうせなら青蓮娘娘を信仰すればいいのに」
薬草種の酒精はきつい。だが、呂充儀は一息に碗を空にした。
待っていても晩溪は、二杯目を注いでくれない。これまでなら複数の侍女が側にいたのに。仕事が忙しいと、主の元に寄りつかない。
しょうがないから、呂充儀は手酌をした。
薬酒はいい。いくら飲んでも薬草を浸けてあるのだから、健康にいい。
煎じ薬に似た苦さに重なる甘さは、クセがあるが。後を引く味でもある。
「女炎帝さまは、ご立派です」
思いもがけない晩溪の反論に、呂充儀は碗を卓に置いた。唇の端から茶色いひとすじが、とろりと垂れる。
「病気とまではいかぬ、医局を頼りにくい症状ですら、女炎帝さまは治してくださいます。品階の差を気にかけることもなく、侍女も下女も差別することなく。安価で安全な薬を分けてくださるのです」
何を愚かなことを。呂充儀は、三杯目の薬酒を飲み干した。
「女炎帝はただの人間でしょ。青蓮娘娘は違うわ、真の女神よ。地上に生薬や薬酒を伝えてくださったのよ」
「ですが。そのお酒は碗一杯で、宮女のふた月ぶんの給金を越えます。充儀さまはすでに宮女の半年分の金額をお召しあがりになりました」
どうして自分が説教をされなければならないのだろう。
子を喪って、こんなにもつらいのに。
「女炎帝さまは、宮女からお金をむしり取りません。呂充儀さまが、天堂教の高額なお酒や生薬を取り寄せることがお出来になったり、法外な値の弔いを依頼できるのは、故郷のお父さまのお力があってのことです」
どうして女神のふりをした女への褒め言葉を、侍女頭から聞かなければならないのだろう。
何か……何かを間違えている気がする。
これまでは南蕾がいたから。
口ごたえもせず、主張もしない地味な南蕾に仕事を振ることで、侍女たちは後宮で楽に暮らせていたから。
不満が、主である呂充儀に向くことがなかったのだ。
「充儀さまはご存じないでしょうけれど。天堂教に入信できるのは、地位や財産がある者だけ。それが証拠に、この間のお弔いでは大勢の女官や宮女、宦官が集まっておりました。富のあるなしで信者を選ぶんですよ、天堂教は」
晩溪の声は冷たい。
いけない。このままでは。
お酒でぼうっとした頭で、呂充儀は考えを巡らせる。
「でも侍女でも天堂教の信者はいるわ。皇后の侍女も信者であると、巫女が話していたわ」
「充儀さま」
侍女の言葉は、ため息と共に発せられた。
「皇后陛下の侍女が、平民のわけがございませんよ」
これもだめだ。
女炎帝なんて、女神を騙る詐欺師に負けるわけにはいかない。
真の女神である青蓮娘娘の信徒として。そしてこの文彗宮の主として。
青蓮娘娘がすべての人を等しく愛して、慈愛に満ちているかを知らしめなければ。
そうだ。確か皇后は頭痛に悩んでいるはずだ。
未央宮の生意気な下女は、丁子のお茶は妊娠時は飲むことを禁じたが。
丁子以外のお茶が悪いとは聞いていない。
皇后の頭痛を治して恩を売れば。皇帝陛下は感動して、また自分の元に通ってくるに違いない。侍女たちも「さすがは充儀さま」と見直してくれるだろう。
なによりも、皇后自らが感謝をするだろう。今は蘭淑妃にしか許されていない「皇后娘娘」の呼称を、充儀にも認めるかもしれない。
皇后は偏屈なのか、普通の敬称である皇后娘娘を己が心を許したものにしか使わせない。
「充儀さま。宮女がこの部屋を掃除しますので、床の青い花はすべて捨てさせていただきます」
「いいわよ。その代わり、持ってきた紙を藍で染めてちょうだい。それから蓮の花の形に切り抜くのよ」
「侍女頭である私がですか?」
「当然よ。下女になんて任せられないわ。天堂教に奉納するのよ、丁寧にね」
晩溪は自分が持ってきた紙の束に目を向けると、肩を落とした。
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