後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

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十章 青い蓮

12、帰り道【2】

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「呂充儀は、間違いなく皇后陛下の頭痛を治してさしあげたかったのです」
「じゃあ、親切ってことよね」

「表面上は」と、翠鈴は梅娜と歩調をそろえた。

 木々の葉から落ちる雨だれが、足もとの水たまりに落ちて水紋が広がった。

「皇后陛下も体調が改善なされば『呂充儀のおかげで頭痛が治ったのです』と、皇帝陛下にお話しするでしょう。さらに『充儀は、なんと優しい人なのだ』と感激なさいます。それが呂充儀の考えだと思います」

「そうよ、梅娜。ちょっと考えれば分かることよ。将を射んとすればまず馬からというでしょう。呂充儀は、皇后娘娘に自分を褒めさせたいのよ。それも陛下の前で」

 さっきまで気鬱そうだった蘭淑妃の声が、弾んでいる。
 自身が推測したことを、翠鈴が認めたのが誇らしいのか。あるいは、皇后陛下が呂充儀に利用されずに済んだことが嬉しのか。そのどちらかもしれないけれど。

「ちょっと考えても分かりませんよ」

 梅娜は口を尖らせた。だが、思い出したように翠鈴に問いかける。

「夏白菊って聞いたことがないけど。危ないものなの?」
「いえ。妊娠中でなければ問題はありません。漢方でも頭痛に処方される呉茱萸湯ごしゅゆとうは、妊娠中は飲まない方がいいです。呉茱萸湯と同じで、夏白菊も子宮を収縮させるので危険です」

 頭痛に効く釣藤散ちょうとうさん桂枝人参湯けいしにんじんとうも、妊婦には慎重に投与しなければならない。

 翠鈴が、夜更けに売る生薬は外用であることが多い。内服するものであっても、主に陳皮などの安全なものだ。
 体内の水分量を調節する五苓散ごれいさんを扱うこともあるが。その時は買い手の症状や状態を確認し、充分に注意を促している。

 女性と宦官ばかりの後宮で、基本的に妊娠をするのは妃嬪や側室と決まっている。
 何かあってからでは、遅いのだ。

「茶外茶として、気軽に飲めるものは怖いんですよ」

 先日、翠鈴が光柳に渡した薫衣草は妊娠中に飲んでもいいが。大量には飲まない方がいい。彼は男性だから、気兼ねなく渡した。

(丁子のお茶に関しては、呂充儀はその危険性を知らなかった。今回の夏白菊も同じだ。彼女は、青蓮娘娘に関するものならば、何の疑いもなく受け入れるし、人に勧めるんだわ)

 足もとに転がっていた小石を、翠鈴はつま先でこつんと蹴った。
 悪意は最低だ。だが、善意もまた厄介だ。
 良かれと思って相手に勧めても、それは自己満足にしかならないことも多い。むしろ迷惑にもなる。
 なのに善意であるがゆえに、断りづらいのだ。

(呂充儀……迷惑な人)

 口には出せないが。翠鈴ばかりでなく、蘭淑妃も梅娜も同じ考えのはずだ。

「翠鈴は、いろんなことを知っているのね。杷京では珍しいものでも、詳しいし」
「そうよ。翠鈴がうちの宮にいてくれて、とても助かっているわ。皇后娘娘の件も、翠鈴に相談しなければひどいことになっていたわ」

 梅娜と蘭淑妃に褒められて、翠鈴は恐縮した。
 ただ子供の頃から、知識を積みあげてきただけなのだ。両親や姉を喜ばせたくて、勉強をしていたのかもしれない。それが今でも後宮の人々を救う結果になっているのが不思議だ。

 翠鈴は自分の知識に、漢方とは違うものがあるのを自覚している。
 それは薫衣草くんいそうであり、冬菩提樹であり、馬芹クミンだ。

 故郷の村は山の麓にある。薬師が住む里なので、薬草を栽培しているが。そのなかには、胡国ばかりかさらに西方を原産地とする植物もある。
 西方の生薬は、あまりにも当たり前で。だから翠鈴は、両親や里の者にも入手先を尋ねたことはない。
 過去に、村の者がそれらを栽培し、生薬との飲み合わせの悪さや禁忌についても研究した可能性が高い。

 天堂教の巫女たちは、薬草の効能については詳しそうだ。だが、禁忌までは信者に伝えない。
 女神の薬だから万能であると信じているのか。それとも摂取してはならぬ場合もあると知らぬのか。
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