後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

文字の大きさ
145 / 171
十章 青い蓮

11、帰り道【1】

しおりを挟む
 もし南蕾ナンレイが天堂教の信者であれば、宮を移っても指先は染まったままだろう。
 だが、未央宮で働くようになった南蕾の指はもう青くない。

「皇后陛下は、日頃から頭痛をお持ちでした。呂充儀《ルーじゅうぎ》さまはそのことを知って、痛みに効く夏白菊を贈ってくれたのでは?」

 翠鈴は、皇后の侍女に問うた。

 天堂教がどのような教義かは知らないが。宗教なのだから、祈りの時間はあるはずだ。
 ひとりだけではなく、信者同士が集まって祈りを捧げることもあるに違いない。その時に、皇后の侍女は呂充儀と頻繁に会っているのだろう。

「そう。呂充儀さまからいただいたお茶よ。茶外茶だから、皇后陛下のお体にもいいでしょう、と親切に分けてくださったの」

 侍女は手にした盆を、胸の前で抱きしめている。とても強く。

「充儀さまは、ご自身もつらいはずなのに。皇后陛下のことを案じてくださったわ。青蓮娘娘チンリエンニャンニャンのお茶は薬湯でもあるのだから。弱った体にたいそう効くのよ」

 その薬湯が問題なのだ、と翠鈴は思った。
 だが、まずは侍女にすべてを説明させる必要がある。怒りがこみあげても、ただ黙って聞くしかない。

「なのに……」

 侍女は、ぐっと唇を噛んだ。

「せっかくの夏白菊のお茶を、呂充儀さまの侍女頭である晩溪ワンシーが止めているって聞いたわ。苦しむ人をあまねく救うという青蓮娘娘の教義をないがしろにされたと、充儀さまは怒っていらっしゃったのよ」
「なぜ、その晩溪という侍女頭が止めたのか。呂充儀から理由は訊かなかったのですか? 制止するに足る根拠があると、考えなかったのですか?」

 質問を挟んだのは、皇后だった。
 後宮内で最高位の女性であり、主である皇后に詰問されて、侍女はうなだれた。

「呂充儀さまは、青蓮娘娘の熱心な信者でいらっしゃいますから。なにも間違いはございません」

 態度は遠慮がちなのに。侍女の言葉は不遜に聞こえた。

(もしかすると。この侍女は皇后陛下よりも、同じ教徒である呂充儀を尊敬しているのだろうか)

 それは危険だ。
 皇后陛下は蘭淑妃と目を合わせて、深く息をついた。

「陛下は後宮内での信仰の自由をお認めになっています。ですが。それは布教をしてよいということではありません」
「布教だなんて、そんなつもりはございません。呂充儀さまは、ほんとうに真心から、親切心でお茶をくださったんです」

 たしかに侍女は、皇后に青蓮娘娘を祀るように勧めてはいない。礼拝に参加するべきだとも、経典を読むようにとも言っていないだろう。

 肉食や、五葷ごくんといった葱や大蒜にんにく、韮などを禁ずる宗教があるが。たとえ経典を読むように命じられずとも、食生活にまで口出しをするようであれば。それは教義の押しつけに他ならない。

 たしかに呂充儀は布教をしたわけではない。だが、ここにいる誰もが、彼女の親切など信じていない。

 翠鈴や呂充儀の侍女であった南蕾、未央宮の侍女頭である梅娜は、呂充儀のわがままに振りまわされた。
 社交的な蘭淑妃でさえ、呂充儀とは顔を会わせないようにしていた。
 今回の夏白菊のお茶に関しては、皇帝陛下と皇后陛下が判断を下すだろう。

 蘭淑妃は、皇后が横になるのを手伝っている。
 四夫人の内で、蘭淑妃にだけ心を許している皇后。それほどにこの後宮では信じられる者が少ないのだろう。

「呂充儀に話を聞きたいところだけれど。わたくしの体調では、先に伸ばした方がよさそうですね」
「どうか、呂充儀さまを信じてください」 

 侍女は言い募るが。皇后は静かに首をふる。

「もうよい。わたくしは疲れました。出ていきなさい」と、皇后は侍女に命じた。

「お前の主は、どうやらわたくしではないようね」

◇◇◇ 

 寿華宮からの帰り道。蘭淑妃と梅娜メイナー、翠鈴は言葉少なだった。

 小雨はすでにやんでいる。だが雲はまだ厚く、塀の瓦も道の敷石もしっとりと濡れていた。
 鳥が涼しい声で鳴いている。
 だが、重苦しい雰囲気が三人を包んでいた。当然だ。呂充儀の親切心など、誰も信じていない。

「もしかすると。呂充儀は、お生まれになる御子を狙ったのではなく。皇帝陛下の気を引こうとしたのかもしれませんね」
「どういうこと?」

 梅娜が、ふり返って翠鈴に尋ねる。

「流産した呂充儀のもとへ、皇帝陛下がお通いになるとは思えません。充儀の心を慰めることはあっても、体を重ねるとは考えにくいのです」
「それはまあ……そうよね」

「慰めることもあるのかどうか」と、蘭淑妃が立ちどまった。

「主上は厄介ごとをお嫌いになるから。しばらくは呂充儀を避けるでしょうね」

 蘭淑妃は、なかなかに辛辣だ。
 だが、この三人のなかで最も皇帝の気質や性格を把握しているのだから。間違いではないのだろう。
 桃莉公主は父親に懐いていないが。淑妃は、そんな娘を咎めることもない。

 仕方がない。桃莉公主は女の子で、陛下の跡を継ぐわけでもなく、ただ外交の駒に利用される。そういう立場なのだから。

「あっ」と、蘭淑妃が声を上げた。

「翠鈴。わたくし、気づいてしまったかもしれないわ。善意よ、あれは」
「淑妃さまのお考えで合っていると思います」

 翠鈴はうなずいた。

「え? なになに? わたしにも教えて」

 梅娜が慌てて、翠鈴の前に立つ。
 まぁ、確かに説明が必要だ。翠鈴は梅娜の背中に手を添えて「歩きながら話しましょう」と、促した。 
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。