後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

文字の大きさ
144 / 171
十章 青い蓮

10、夏白菊

しおりを挟む
「おそらくはこのお茶は夏白菊なつしろぎくを干したものでしょう。菊といっても、どちらかといえば野菊のように小さな花をびっしりとつけます。熱を下げるという意味の名もあり、他にはマトリカリアとも呼ばれます」

 菊という名で一括りにされるが。菊は生薬としては咳や目の充血に用いられる。そして夏白菊は頭痛に効く。
 効能が違うのだ。つまり副作用も違う。

「問題なのは、菊は妊婦が飲むのによいのですが。夏白菊は、逆に妊婦が飲んではいけない生薬であるということです。流産や早産につながります」

 皇后が息を呑んだ。
 沈黙が辺りを支配する。

 以前、蘭淑妃は翠鈴に見立ててもらった黒豆のお茶を皇后に贈った。
 妊婦でも問題がないと判断した上でのことだ。
 夏白菊のお茶を勧めようとは、翠鈴は決して考えない。

「この夏白菊は、誰が持ってきたものですか?」

 翠鈴は問いかけた。
 嬉々として毒となるものを運び込んでいた買い物代行の夏雪シアシュエは、もう後宮に現れない。
 だとしたら別の誰かだ。

「神さまのお下がりであると、聞きました。女性を守る神さまです」

 部屋に控えていた侍女が、かすれる声で答えた。

「持ってきたのは誰ですか?」

 翠鈴に尋ねられた侍女は、うつむいた。宮女である自分が問うても無理だろう。翠鈴は、ちらっと蘭淑妃に視線を向けた。
「お願いします」と、声にならない程度に小さく告げる。

 いくら直に言葉を交わすことを認められても、宮女から皇后に発言を促すような態度はとれない。だが蘭淑妃ならば話は別だ。

皇后娘娘ファンホウニャンニャン

 蘭淑妃が、そう声をかけるだけで充分だった。 

「神のお下がりと言いましたね。どの神ですか? 誰が持参したのですか?」

 皇后は寝台に上体を起こしたまま、凛と声を張りる 体が苦しいだろうに。そんな様子を感じさせない強さだ。
 皇后陛下の問いを無視することはできない。
 侍女は立ったまま左右のこぶしを握りしめた。

「加護を授けてくれる女神です」

 それだけを告げて、侍女は再び口をつぐむ。埒が明かない。

「恐れながら、言葉を差し挟む無礼をお許しください」

 翠鈴は皇后に頭を下げた。そして侍女の前へと進む。

「その女神は、青蓮娘娘チンリエンニャンニャンですね。そして夏白菊をあなたに渡したのは、呂充儀ルーじゅうぎさま。違いますか?」

 指摘されて、侍女がびくっと身をすくめた。
 やはりそうか。翠鈴は小さく息をつく。

「翠鈴。どうしてそれが分かるの?」

 蘭淑妃が説明を求める。もっともだ。ただ推測するだけでは、誰も納得しない。

「呂充儀さまの侍女頭が、倒れたからです。その日、文彗宮ぶんけいきゅうにお手伝いに行った南蕾ナンレイさんは指を青く染めて戻ってきました」

 皇后と蘭淑妃が顔を見合わせる。どういうことか? と、ふたりの目が問うている。

「先に申しておきますが。こちらにいらしゃる侍女と、呂充儀さまの侍女頭は、皇后陛下の切迫早産とは無関係だと存じます」

 関係のない者を巻きこんではいけない。
 皇后には権力がある。だからこそ、咎が他に及ばぬように細心の注意を払わねばならない。

 一介の宮女でしかない自分だが。品階すらない隠れた薬師であるが。
 薬師としての自分の言葉には、人を動かすだけの重みがある。
 翠鈴は息を呑んだ。

「呂充儀のお子さまが流れ、天堂教の巫女が弔いに後宮を訪れていました。先日、文彗宮ぶんけいきゅうに向かう行列を見かけたのです」

 派手な行列だった。
 祝いごとにも弔いにも青い蓮の花を用いると、雲嵐ユィンランが教えてくれた。
 空へ向かって撒かれた花は、紙で作られたものだ。蓮が開花するのは夏であるし、そもそも青い蓮など咲かない。

「あなたの指先が青いのは、天堂教の象徴である蓮の花弁を染料で染めたからではないですか? 紙を蓼藍たであいで染め、それを蓮の形に切り抜いていく。呂充儀さまとあなたは、どちらも天堂教の信者ですね?」

 新杷国しんはこくでは宗教の自由が認められている。後宮では、異国から嫁いでくる女性もいるのだから、信仰までは奪われない。

 儀式に使うのか、或いは供え物なのか。天堂教の信者は、紙の蓮花を青く染める。

 呂充儀は自ら染めものなどしない。だから代わりに侍女である南蕾ナンレイの手が、青く汚れていた。文彗宮を追いだされ、未央宮で働くようになり、南蕾の手からは青の色が薄れていった。もう染料に手を浸すことがなくなったから。

 だが侍女頭が倒れて、南蕾が再び染め物を命じられた。
 そしてこの皇后陛下の侍女は、教義に則って自ら藍染めをしているのだろう。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。