後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

文字の大きさ
152 / 171
十一章 蓖麻子《ひまし》

1、早朝に【1】

しおりを挟む
 夏至が近い。
 新年から数えて十番目の節季である夏至の前後は「過夏麦グオシアマイと呼ばれる夏祭りも行われる。
 ちょうど麦の収穫の時期と重なるので、豊穣に感謝する祭りだ。

 冬場は夜が長いので、朝までに消えてしまう灯籠もあるが、夏至の頃は日の入りが遅く日の出が早いので、ほぼすべての灯籠に火が残っている。
 翠鈴ツイリンは棒を掲げて、吊り灯籠の明かりを消していく。

「ねむ……っ」

 回廊には他に人がいないので、遠慮せずあくびをする。

 東の空は、紅梅色や朱鷺色が鮮やかだ。西の空にはまだ夜の気配を宿した藍や群青色が濃い。日が昇る前なので、六月でも少し肌寒く感じる。
 長い回廊は、翠鈴が進む先にはまだ火が灯っている。進んだ後は火が消えて、青い静寂に沈んでいる。

佩玉はいぎょくのことを、光柳クァンリュウさまにお話ししないとな」

 ぽつりと翠鈴は呟いた。
 いずれ翠鈴は後宮を出る。その時に陛下から下賜された佩玉があれば、光柳もいらぬ苦労が減る。減るのだが……。

「光柳さまは、自立なさりたいからなぁ」

 たとえば屋敷の権利書をやろう、と陛下がおっしゃるなら。さすがにそれは翠鈴も断る。
 斗牛とぎゅうの佩玉は、これみよがしに掲げるものではない。翠鈴も光柳も高官ではないのだから。
 いざという時のお守りのようなものだ。

 翠鈴は衿の辺りにそっと手を添える。佩玉とはいえ、後宮で翠鈴がそれを腰から下げるわけにはいかない。かといって宿舎に置きっぱなしも怖い。
 なので、ずっと懐に佩玉を入れて持ち歩いているのだ。
 貴重品と共に歩き、貴重品と共に過ごし、貴重品と共に寝る。
 常に神経を尖らせているので、ここのところ眠りも浅い。

「光柳さまに、どう切り出せばいいんだろ。自尊心を傷つけず、陛下や皇后陛下のご厚意を無碍にすることもなく」

 うーん、と翠鈴は唸った。
 バサッバサッと風が吹く。大きな白い影が、庭を横切った。白鷺だ。
 庭の木の枝に、白鷺がすっと止まっている。とても端正で、悩みなど超越したような姿だ。
 翠鈴は再びあくびをした。まどろみばかりで、深い睡眠がとれていない。

「どうした。寝不足か?」

 突然、背後から声をかけられて。翠鈴は「ひっ」と引きつった声を出した。
 いつの間に現れたのだろう。ふり返ると、翠鈴の背後に光柳が立っていた。気配も感じないなんて、よほどぼうっとしていたようだ。

「お、おはようございます。早いんですね」
雲嵐ユィンランを置いてきた。早朝に仕事を増やしては申し訳ないからな」

 いや、主が夜明けと共にふらふら出歩く方が、雲嵐さまも心配なのでは? それは思いやりではないと思います、と突っ込みたいのはやまやまだが。
 いつものことなので、翠鈴は指摘しない。

 きっと目が覚めた雲嵐は、空っぽの寝台を眺めて「やられた」とため息をこぼすことだろう。
 
「何か御用でいらしたんですよね」

「ふむ」と、光柳はあごに手を添えて首をかしげる。指の曲げ具合やその位置だけで、上品さが二割増しだ。

「なに、夢の中だけでは飽き足らず、現実の君に会いに来ただけだ」

 光柳が指を動かした。いけない、色気まで増した。
 まだ辺りには朝霧が残っているので、庭の緑が大気に滲んでいる。それすらも光柳の上品さを彩る背景となる。

「そうだな。強いて用事というなら、生まれたての朝の中を進む君が、未央宮に灯籠の明かりではなく陽の光をいざなう。君の前には夜の残滓があり、君の後には朝が来る。まるで神聖な儀式のようではないか? その凛々しいさまをこの目に留めたいんだ」

 うっ、と翠鈴は言葉を詰まらせた。

(そうだった。この人、詩人だった)

 しかも始末の悪いことに。光柳はただ美辞麗句を並べているだけではなく、本当に心の底から翠鈴を麗しいと思っているのだ。
 出会った当初は「射殺しそうな目だ」とか散々なことを言われたのに。
 光柳の前にいると、翠鈴は背中がもぞもぞしてしょうがない。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

番を辞めますさようなら

京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら… 愛されなかった番。後悔ざまぁ。すれ違いエンド。ゆるゆる設定。 ※沢山のお気に入り&いいねをありがとうございます。感謝感謝♡

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。