後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

文字の大きさ
153 / 171
十一章 蓖麻子《ひまし》

2、早朝に【2】

しおりを挟む
(困ったな。突然の訪問が嬉しいなんて)

 翠鈴は詩に詳しいわけではないが。即興で詠んだ詩であっても、光柳が自分を思ってくれているのがこれでもかと伝わってくる。
 だから以前のように「紙と筆があれば、光柳さまが戯れに詠んだ詩を書き留めておけるのに」などと不粋なことは考えない。

 今この時であるからこそ生まれた詩は刹那のものであり、風と共に消えるが故に儚く美しいのかもしれない。

 庭に繁る草花の葉に降りた朝露が、昇りはじめた朝日を受けて煌めいている。まるで水晶の粒を散りばめたように、きらきらと。
 そのまばゆさを受けながら、光柳はすっと立っている。涼やかに。

「ところで翠鈴。何を隠した?」
「え?」

 問われたことが何であるのか、翠鈴はすぐには理解できなかった。

(あ、もしかして)

 懐に忍ばせた斗牛の玉が、突然重さを増したように感じた。
 不意打ちだ。翠鈴は取り繕うこともできずに、顔に警戒の色を滲ませた。
 佩玉のことを光柳にどう伝えるか。まだ考えがまとまっていない。

 詩人である光柳は、顔色を読むことに長けている。しかも、とぼけたところで見逃してくれるほど甘くはない。

 沈黙を風がさらう。
 光柳は瞼を閉じた後、軽く手を上げた。

「いや、言いたくないのならいいのだが。あまりしつこくすると、君に嫌われてしまうからな。だが、気にはなるだろう?」
「た、たいした物では」

 翠鈴の声が上ずる。
 嘘です。たいした物です。過分なほどに貴重な品を預かりました。携帯しているだけでも緊張して眠れぬほどです。

「私には関係のない物かな」

 関係あります、と言えたならどれほど楽か。

「蘭淑妃から何か贈られたのか? いや、それならいいのだが。宦官だって……いや、宦官だからこそ恋をするだろう? 結婚はできても子は生せぬ。寂しさゆえに、人を求めることも多い。だからこそ、翠鈴も宦官から恋文をもらうこともあるかもしれない」

 光柳は頭を掻きながら、ぼそぼそと覇気のない声で呟いた。その表情には戸惑いが浮かんでいる。

(どうしよう。話が変な方に向かってる)

 妙な汗をかいてしまった翠鈴に、いつもの冴えはない。
 どこから誤解を解けばいいのやら。想像力が逞しい人は、ほんのわずかな違和感から話を広げてしまうようだ。

 その時だった。「翠鈴ー。こっち終わったよ」と、軽やかな声が聞こえた。
 回廊の奥から、手を振りながら軽やかな足取りで由由が駆けてくる。由由は今日も元気だ。

「あ、光柳さまだ。おはようごさいます」

 振っていた手をおろして、由由が改まって拱手きょうしゅする。光柳の表情が一変した。ぱっと明るい笑顔を浮かべたのだ。
 いや、正確には他人に心の内を見せないために、笑顔を張りつけたのだろう、見事だ。翠鈴はちょっと感心した。

「仕事の邪魔をして済まなかったな。では、私はもう戻るとしよう。雲嵐に心配をかけてはいけないからな」

 光柳が翠鈴の横を過ぎていく。
 ふわっと涼しい香りの風が起こった。翠鈴のよく知る香り、薫衣草くんいそう冬菩提樹ふゆぼだいじゅだ。以前に贈ったお茶を、光柳は香袋として使用してくれているのだ。今も、ずっと。

「あの」

 翠鈴は手を伸ばしていた。そして、光柳の袖を掴んでいた。
 ふり返った光柳は、驚いたように目を見開く。そして輝く笑顔を見せたのだ。
 先ほどの笑みを張りつけた、浅くて薄い表情ではなかった。

(駄目だ。わたし、この人のまっすぐな感情表現に弱いかも)

「その香り……」
「ああ、気づいたか? 最近少し匂いが薄れてきてな。雲嵐が『揉んでみてはいかがですか?』と提案してくれてな」

 懐から香袋を取り出して、光柳はきゅっと指を閉じた。

「ほら、こうすれば香りが甦るだろ? お気に入りなんだ」

 本当に、それはもう本当に嬉しそうに、光柳は香袋を見つめた。

 きっと新たに作り直すと翠鈴が申し出ても、光柳はその香袋を捨てないだろう。最初に翠鈴からもらったものだから、とずっと大事にするに決まっている。
 香りが失せても、握りすぎて中の薫衣草と冬菩提樹が砕けてしまっても。

「光柳さま。今度、お話しさせてください」

 翠鈴の口から思わず言葉が出てしまった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。