後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

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十一章 蓖麻子《ひまし》

2、早朝に【2】

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(困ったな。突然の訪問が嬉しいなんて)

 翠鈴は詩に詳しいわけではないが。即興で詠んだ詩であっても、光柳が自分を思ってくれているのがこれでもかと伝わってくる。
 だから以前のように「紙と筆があれば、光柳さまが戯れに詠んだ詩を書き留めておけるのに」などと不粋なことは考えない。

 今この時であるからこそ生まれた詩は刹那のものであり、風と共に消えるが故に儚く美しいのかもしれない。

 庭に繁る草花の葉に降りた朝露が、昇りはじめた朝日を受けて煌めいている。まるで水晶の粒を散りばめたように、きらきらと。
 そのまばゆさを受けながら、光柳はすっと立っている。涼やかに。

「ところで翠鈴。何を隠した?」
「え?」

 問われたことが何であるのか、翠鈴はすぐには理解できなかった。

(あ、もしかして)

 懐に忍ばせた斗牛の玉が、突然重さを増したように感じた。
 不意打ちだ。翠鈴は取り繕うこともできずに、顔に警戒の色を滲ませた。
 佩玉のことを光柳にどう伝えるか。まだ考えがまとまっていない。

 詩人である光柳は、顔色を読むことに長けている。しかも、とぼけたところで見逃してくれるほど甘くはない。

 沈黙を風がさらう。
 光柳は瞼を閉じた後、軽く手を上げた。

「いや、言いたくないのならいいのだが。あまりしつこくすると、君に嫌われてしまうからな。だが、気にはなるだろう?」
「た、たいした物では」

 翠鈴の声が上ずる。
 嘘です。たいした物です。過分なほどに貴重な品を預かりました。携帯しているだけでも緊張して眠れぬほどです。

「私には関係のない物かな」

 関係あります、と言えたならどれほど楽か。

「蘭淑妃から何か贈られたのか? いや、それならいいのだが。宦官だって……いや、宦官だからこそ恋をするだろう? 結婚はできても子は生せぬ。寂しさゆえに、人を求めることも多い。だからこそ、翠鈴も宦官から恋文をもらうこともあるかもしれない」

 光柳は頭を掻きながら、ぼそぼそと覇気のない声で呟いた。その表情には戸惑いが浮かんでいる。

(どうしよう。話が変な方に向かってる)

 妙な汗をかいてしまった翠鈴に、いつもの冴えはない。
 どこから誤解を解けばいいのやら。想像力が逞しい人は、ほんのわずかな違和感から話を広げてしまうようだ。

 その時だった。「翠鈴ー。こっち終わったよ」と、軽やかな声が聞こえた。
 回廊の奥から、手を振りながら軽やかな足取りで由由が駆けてくる。由由は今日も元気だ。

「あ、光柳さまだ。おはようごさいます」

 振っていた手をおろして、由由が改まって拱手きょうしゅする。光柳の表情が一変した。ぱっと明るい笑顔を浮かべたのだ。
 いや、正確には他人に心の内を見せないために、笑顔を張りつけたのだろう、見事だ。翠鈴はちょっと感心した。

「仕事の邪魔をして済まなかったな。では、私はもう戻るとしよう。雲嵐に心配をかけてはいけないからな」

 光柳が翠鈴の横を過ぎていく。
 ふわっと涼しい香りの風が起こった。翠鈴のよく知る香り、薫衣草くんいそう冬菩提樹ふゆぼだいじゅだ。以前に贈ったお茶を、光柳は香袋として使用してくれているのだ。今も、ずっと。

「あの」

 翠鈴は手を伸ばしていた。そして、光柳の袖を掴んでいた。
 ふり返った光柳は、驚いたように目を見開く。そして輝く笑顔を見せたのだ。
 先ほどの笑みを張りつけた、浅くて薄い表情ではなかった。

(駄目だ。わたし、この人のまっすぐな感情表現に弱いかも)

「その香り……」
「ああ、気づいたか? 最近少し匂いが薄れてきてな。雲嵐が『揉んでみてはいかがですか?』と提案してくれてな」

 懐から香袋を取り出して、光柳はきゅっと指を閉じた。

「ほら、こうすれば香りが甦るだろ? お気に入りなんだ」

 本当に、それはもう本当に嬉しそうに、光柳は香袋を見つめた。

 きっと新たに作り直すと翠鈴が申し出ても、光柳はその香袋を捨てないだろう。最初に翠鈴からもらったものだから、とずっと大事にするに決まっている。
 香りが失せても、握りすぎて中の薫衣草と冬菩提樹が砕けてしまっても。

「光柳さま。今度、お話しさせてください」

 翠鈴の口から思わず言葉が出てしまった。
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