小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃

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三章

10、夢の中で【1】

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 夜、お風呂から上がったわたしは、犬のぬいぐるみのアレクを抱きしめた。
 ベッドに腰を下ろすと、石鹸のいい匂いがたちこめる。

 うう、ううっ。どうしよう、お父さまもお母さまも了承済みで、わたしはいずれアレクのお嫁さんになるんだわ。
 
 はっ! 幸福すぎて、もしかして死んでしまうんじゃないかしら。
 それともこれは夢?
 わたしはぎゅううっと頬をつねった。

「いたた。夢じゃないわ」

 わたしは頬から手を離した。その時、求婚された後のことをふと思い出した。
 確かアレクは細い草の葉を一本ちぎり、その葉をわたしの指の周りに巻いたの。
 何をしているのかしら? と首をかしげていると、アレクは草に爪で印をつけていた。緑の匂いがふわっと立ちのぼり、アレクは「細いですね」と呟いた。

 おまじないかしらとも思ったけれど。結局何だったのかしら。

「でも、まさかもうお父さま達にお許しを得ていたなんて」

 仕事の速さ、というのとは少し違うかもしれないけれど。
 でも、アレクはそういうのがとても速くて手際がいいのね。
 いつも側にいたのに、わたし気づかなかった。
 彼はただ近くにいるだけじゃなくて、わたしが気づかない内に……わたしに気づかせないように守ってくれていたかもしれないのに。

「わたし、なにかしなくっちゃ」

 ぽつりと口をついて出た言葉に、自分でも驚いた。
 ずっと大人になりたいって言ってきたけれど。アレクの後を追いかけて……違うわね、アレクに後を追いかけさせてきたけれど。物理的に。
 これからは彼に相応しい女性にならないと。いつまでも幼いわたしじゃいけないのよ。うん。
 でも、なにをしていいのか分からない。

 こんなにも嬉しくて幸福で、夢じゃないかしらって思うほどなのに。
 結婚って、綺麗なドレスを着て誓いを立てて、それが終着点じゃないものね。

 ふわふわと地に足のついていない娘だったかもしれない。でも、アレクの隣に並んでふさわしいように、わたしも本当の大人にならなくちゃ。

「おやすみ、アレク」と呟いて、わたしはお布団に潜り込んだ。

◇◇◇

 夢を見ていると、すぐに分かったの。
 だってわたしは子どもの頃の姿で、ひらひらのフリルのついたエプロンドレスを着ていたから。

 石を手にして、いっしょうけんめいに何かを地面に描いている。後ろで「あー、ああー、苔がぁ」と庭師のおじいさんの悲鳴に似た声。
 そういえば彼は最近、苔を育てるのに夢中だったわ。なんでも石を苔で覆うと素敵だとか、なんとか。小さな苔に宿る露のはかなさが、どうとか言ってたわ。
 うん、大丈夫。これは夢だから。私が小さい頃には、お庭で苔を育ててはいなかったものね。

「姫さま、何をなさっておいでなのですか?」

 声をかけてきたのはアレクだった。地面にしゃがみ込んでいるわたしに合わせて、彼もしゃがむ。アレクは小脇にぬいぐるみのアレクを抱えて、さらに右手には黒と白と赤のカラント、黒紫のデューベリーに、桑の実とおいしすぎるローガンベリーを持っていた。

 たくさんのベリーが入った箱みたいな薄い木のお皿に、たっぷりの白いクリームがかかっている。

 ああ、アレクとぬいぐるみのアレクとクリームたっぷりのベリー。この世の幸せを凝縮したみたいじゃない。熟したベリーの甘酸っぱい香りまで漂ってくる気がする。

「まだありますよ」と、アレクはポケットからジャムの瓶まで取り出した。それはお母さま特製のジャムだった。

 はっ。こんなの欲望まみれの夢じゃない。
 ちがう、ちがうのよ。小さなわたしは首をふる。

「わたしね、なにかがしたいの」
「何か、ですか?」
「おべんきょうしてるでしょ、それをやくにたてたいの。でも、なにをしたらいいのかわからなくて」

 わたしにベリーを食べさせながら(これも欲望まるだしだわ)アレクは首を傾げた。

「おありでしょう? 姫さまにしかお出来にならないことが」
「え?」
「姫さまは、王太子殿下のお嬢さんであり、バート殿下のお姉さんなんですよ?」

 この頃の年齢ならバートはまだ生まれていなかったけれど。夢だから、なぜか同じ六歳くらいのバートの姿を思い描いた。

「おとうさまとバートのおてつだい?」

 こくりとアレクがうなずく。
 そりゃあ、バートが生まれるまでは、もしかしたらわたしが将来即位するかもしれないって、そういうお勉強もしていたし。難しかったけど。
 
「なにも政に携わらなくともよいのです。ただ、クリスティアン殿下やバート殿下のような上に立つ方々では、したくともおできにならないこともあると思います」

 ぱくぱく。アレクが口に運んでくれるベリーを、わたしはほおばる。
 甘酸っぱくて、それにクリームも濃厚で美味しくって。ついつい口を開いてしまう。
 
「たとえ些細なことでも、王女でいらっしゃるからこそ意味があるのです」

 次から次へとわたしにベリーを食べさせながら、アレクは微笑んだ。
 どうして大事なお話をしているのに、わたしったら餌付けをされてるのかしら。
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