49 / 78
三章
10、夢の中で【1】
しおりを挟む
夜、お風呂から上がったわたしは、犬のぬいぐるみのアレクを抱きしめた。
ベッドに腰を下ろすと、石鹸のいい匂いがたちこめる。
うう、ううっ。どうしよう、お父さまもお母さまも了承済みで、わたしはいずれアレクのお嫁さんになるんだわ。
はっ! 幸福すぎて、もしかして死んでしまうんじゃないかしら。
それともこれは夢?
わたしはぎゅううっと頬をつねった。
「いたた。夢じゃないわ」
わたしは頬から手を離した。その時、求婚された後のことをふと思い出した。
確かアレクは細い草の葉を一本ちぎり、その葉をわたしの指の周りに巻いたの。
何をしているのかしら? と首をかしげていると、アレクは草に爪で印をつけていた。緑の匂いがふわっと立ちのぼり、アレクは「細いですね」と呟いた。
おまじないかしらとも思ったけれど。結局何だったのかしら。
「でも、まさかもうお父さま達にお許しを得ていたなんて」
仕事の速さ、というのとは少し違うかもしれないけれど。
でも、アレクはそういうのがとても速くて手際がいいのね。
いつも側にいたのに、わたし気づかなかった。
彼はただ近くにいるだけじゃなくて、わたしが気づかない内に……わたしに気づかせないように守ってくれていたかもしれないのに。
「わたし、なにかしなくっちゃ」
ぽつりと口をついて出た言葉に、自分でも驚いた。
ずっと大人になりたいって言ってきたけれど。アレクの後を追いかけて……違うわね、アレクに後を追いかけさせてきたけれど。物理的に。
これからは彼に相応しい女性にならないと。いつまでも幼いわたしじゃいけないのよ。うん。
でも、なにをしていいのか分からない。
こんなにも嬉しくて幸福で、夢じゃないかしらって思うほどなのに。
結婚って、綺麗なドレスを着て誓いを立てて、それが終着点じゃないものね。
ふわふわと地に足のついていない娘だったかもしれない。でも、アレクの隣に並んでふさわしいように、わたしも本当の大人にならなくちゃ。
「おやすみ、アレク」と呟いて、わたしはお布団に潜り込んだ。
◇◇◇
夢を見ていると、すぐに分かったの。
だってわたしは子どもの頃の姿で、ひらひらのフリルのついたエプロンドレスを着ていたから。
石を手にして、いっしょうけんめいに何かを地面に描いている。後ろで「あー、ああー、苔がぁ」と庭師のおじいさんの悲鳴に似た声。
そういえば彼は最近、苔を育てるのに夢中だったわ。なんでも石を苔で覆うと素敵だとか、なんとか。小さな苔に宿る露のはかなさが、どうとか言ってたわ。
うん、大丈夫。これは夢だから。私が小さい頃には、お庭で苔を育ててはいなかったものね。
「姫さま、何をなさっておいでなのですか?」
声をかけてきたのはアレクだった。地面にしゃがみ込んでいるわたしに合わせて、彼もしゃがむ。アレクは小脇にぬいぐるみのアレクを抱えて、さらに右手には黒と白と赤のカラント、黒紫のデューベリーに、桑の実とおいしすぎるローガンベリーを持っていた。
たくさんのベリーが入った箱みたいな薄い木のお皿に、たっぷりの白いクリームがかかっている。
ああ、アレクとぬいぐるみのアレクとクリームたっぷりのベリー。この世の幸せを凝縮したみたいじゃない。熟したベリーの甘酸っぱい香りまで漂ってくる気がする。
「まだありますよ」と、アレクはポケットからジャムの瓶まで取り出した。それはお母さま特製のジャムだった。
はっ。こんなの欲望まみれの夢じゃない。
ちがう、ちがうのよ。小さなわたしは首をふる。
「わたしね、なにかがしたいの」
「何か、ですか?」
「おべんきょうしてるでしょ、それをやくにたてたいの。でも、なにをしたらいいのかわからなくて」
わたしにベリーを食べさせながら(これも欲望まるだしだわ)アレクは首を傾げた。
「おありでしょう? 姫さまにしかお出来にならないことが」
「え?」
「姫さまは、王太子殿下のお嬢さんであり、バート殿下のお姉さんなんですよ?」
この頃の年齢ならバートはまだ生まれていなかったけれど。夢だから、なぜか同じ六歳くらいのバートの姿を思い描いた。
「おとうさまとバートのおてつだい?」
こくりとアレクがうなずく。
そりゃあ、バートが生まれるまでは、もしかしたらわたしが将来即位するかもしれないって、そういうお勉強もしていたし。難しかったけど。
「なにも政に携わらなくともよいのです。ただ、クリスティアン殿下やバート殿下のような上に立つ方々では、したくともおできにならないこともあると思います」
ぱくぱく。アレクが口に運んでくれるベリーを、わたしはほおばる。
甘酸っぱくて、それにクリームも濃厚で美味しくって。ついつい口を開いてしまう。
「たとえ些細なことでも、王女でいらっしゃるからこそ意味があるのです」
次から次へとわたしにベリーを食べさせながら、アレクは微笑んだ。
どうして大事なお話をしているのに、わたしったら餌付けをされてるのかしら。
ベッドに腰を下ろすと、石鹸のいい匂いがたちこめる。
うう、ううっ。どうしよう、お父さまもお母さまも了承済みで、わたしはいずれアレクのお嫁さんになるんだわ。
はっ! 幸福すぎて、もしかして死んでしまうんじゃないかしら。
それともこれは夢?
わたしはぎゅううっと頬をつねった。
「いたた。夢じゃないわ」
わたしは頬から手を離した。その時、求婚された後のことをふと思い出した。
確かアレクは細い草の葉を一本ちぎり、その葉をわたしの指の周りに巻いたの。
何をしているのかしら? と首をかしげていると、アレクは草に爪で印をつけていた。緑の匂いがふわっと立ちのぼり、アレクは「細いですね」と呟いた。
おまじないかしらとも思ったけれど。結局何だったのかしら。
「でも、まさかもうお父さま達にお許しを得ていたなんて」
仕事の速さ、というのとは少し違うかもしれないけれど。
でも、アレクはそういうのがとても速くて手際がいいのね。
いつも側にいたのに、わたし気づかなかった。
彼はただ近くにいるだけじゃなくて、わたしが気づかない内に……わたしに気づかせないように守ってくれていたかもしれないのに。
「わたし、なにかしなくっちゃ」
ぽつりと口をついて出た言葉に、自分でも驚いた。
ずっと大人になりたいって言ってきたけれど。アレクの後を追いかけて……違うわね、アレクに後を追いかけさせてきたけれど。物理的に。
これからは彼に相応しい女性にならないと。いつまでも幼いわたしじゃいけないのよ。うん。
でも、なにをしていいのか分からない。
こんなにも嬉しくて幸福で、夢じゃないかしらって思うほどなのに。
結婚って、綺麗なドレスを着て誓いを立てて、それが終着点じゃないものね。
ふわふわと地に足のついていない娘だったかもしれない。でも、アレクの隣に並んでふさわしいように、わたしも本当の大人にならなくちゃ。
「おやすみ、アレク」と呟いて、わたしはお布団に潜り込んだ。
◇◇◇
夢を見ていると、すぐに分かったの。
だってわたしは子どもの頃の姿で、ひらひらのフリルのついたエプロンドレスを着ていたから。
石を手にして、いっしょうけんめいに何かを地面に描いている。後ろで「あー、ああー、苔がぁ」と庭師のおじいさんの悲鳴に似た声。
そういえば彼は最近、苔を育てるのに夢中だったわ。なんでも石を苔で覆うと素敵だとか、なんとか。小さな苔に宿る露のはかなさが、どうとか言ってたわ。
うん、大丈夫。これは夢だから。私が小さい頃には、お庭で苔を育ててはいなかったものね。
「姫さま、何をなさっておいでなのですか?」
声をかけてきたのはアレクだった。地面にしゃがみ込んでいるわたしに合わせて、彼もしゃがむ。アレクは小脇にぬいぐるみのアレクを抱えて、さらに右手には黒と白と赤のカラント、黒紫のデューベリーに、桑の実とおいしすぎるローガンベリーを持っていた。
たくさんのベリーが入った箱みたいな薄い木のお皿に、たっぷりの白いクリームがかかっている。
ああ、アレクとぬいぐるみのアレクとクリームたっぷりのベリー。この世の幸せを凝縮したみたいじゃない。熟したベリーの甘酸っぱい香りまで漂ってくる気がする。
「まだありますよ」と、アレクはポケットからジャムの瓶まで取り出した。それはお母さま特製のジャムだった。
はっ。こんなの欲望まみれの夢じゃない。
ちがう、ちがうのよ。小さなわたしは首をふる。
「わたしね、なにかがしたいの」
「何か、ですか?」
「おべんきょうしてるでしょ、それをやくにたてたいの。でも、なにをしたらいいのかわからなくて」
わたしにベリーを食べさせながら(これも欲望まるだしだわ)アレクは首を傾げた。
「おありでしょう? 姫さまにしかお出来にならないことが」
「え?」
「姫さまは、王太子殿下のお嬢さんであり、バート殿下のお姉さんなんですよ?」
この頃の年齢ならバートはまだ生まれていなかったけれど。夢だから、なぜか同じ六歳くらいのバートの姿を思い描いた。
「おとうさまとバートのおてつだい?」
こくりとアレクがうなずく。
そりゃあ、バートが生まれるまでは、もしかしたらわたしが将来即位するかもしれないって、そういうお勉強もしていたし。難しかったけど。
「なにも政に携わらなくともよいのです。ただ、クリスティアン殿下やバート殿下のような上に立つ方々では、したくともおできにならないこともあると思います」
ぱくぱく。アレクが口に運んでくれるベリーを、わたしはほおばる。
甘酸っぱくて、それにクリームも濃厚で美味しくって。ついつい口を開いてしまう。
「たとえ些細なことでも、王女でいらっしゃるからこそ意味があるのです」
次から次へとわたしにベリーを食べさせながら、アレクは微笑んだ。
どうして大事なお話をしているのに、わたしったら餌付けをされてるのかしら。
10
あなたにおすすめの小説
モンスターを癒やす森暮らしの薬師姫、騎士と出会う
甘塩ます☆
恋愛
冷たい地下牢で育った少女リラは、自身の出自を知らぬまま、ある日訪れた混乱に乗じて森へと逃げ出す。そこで彼女は、凶暴な瘴気に覆われた狼と出会うが、触れるだけでその瘴気を浄化する不思議な力があることに気づく。リラは狼を癒し、共に森で暮らすうち、他のモンスターたちとも心を通わせ、彼らの怪我や病を癒していく。モンスターたちは感謝の印に、彼女の知らない貴重な品々や硬貨を贈るのだった。
そんなある日、森に薬草採取に訪れた騎士アルベールと遭遇する。彼は、最近異常なほど穏やかな森のモンスターたちに違和感を覚えていた。世間知らずのリラは、自分を捕らえに来たのかと怯えるが、アルベールの差し出す「食料」と「服」に警戒を解き、彼を「飯をくれる仲間」と認識する。リラが彼に見せた、モンスターから贈られた膨大な量の希少な品々に、アルベールは度肝を抜かれる。リラの無垢さと、秘められた能力に気づき始めたアルベールは……
陰謀渦巻く世界で二人の運命はどうなるのか
ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。
これは政略結婚ではありません
絹乃
恋愛
勝気な第一王女のモニカには、初恋の人がいた。公爵家のクラウスだ。七歳の時の思い出が、モニカの初恋となった。クラウスはモニカよりも十三歳上。当時二十歳のクラウスにとって、モニカは当然恋愛の対象ではない。大人になったモニカとクラウスの間に縁談が持ちあがる。その返事の為にクラウスが王宮を訪れる日。人生で初めての緊張にモニカは動揺する。※『わたしのことがお嫌いなら、離縁してください』に出てくる王女のその後のお話です。
助けた騎士団になつかれました。
藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。
しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。
一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。
☆本編完結しました。ありがとうございました!☆
番外編①~2020.03.11 終了
呪われた黒猫と蔑まれた私ですが、竜王様の番だったようです
シロツメクサ
恋愛
ここは竜人の王を頂点として、沢山の獣人が暮らす国。
厄災を運ぶ、不吉な黒猫─────そう言われ村で差別を受け続けていた黒猫の獣人である少女ノエルは、愛する両親を心の支えに日々を耐え抜いていた。けれど、ある日その両親も土砂崩れにより亡くなってしまう。
不吉な黒猫を産んだせいで両親が亡くなったのだと村の獣人に言われて絶望したノエルは、呼び寄せられた魔女によって力を封印され、本物の黒猫の姿にされてしまった。
けれど魔女とはぐれた先で出会ったのは、なんとこの国の頂点である竜王その人で─────……
「やっと、やっと、見つけた────……俺の、……番……ッ!!」
えっ、今、ただの黒猫の姿ですよ!?というか、私不吉で危ないらしいからそんなに近寄らないでー!!
「……ノエルは、俺が竜だから、嫌なのかな。猫には恐ろしく感じるのかも。ノエルが望むなら、体中の鱗を剥いでもいいのに。それで一生人の姿でいたら、ノエルは俺にも自分から近付いてくれるかな。懐いて、あの可愛い声でご飯をねだってくれる?」
「……この周辺に、動物一匹でも、近づけるな。特に、絶対に、雄猫は駄目だ。もしもノエルが……番として他の雄を求めるようなことがあれば、俺は……俺は、今度こそ……ッ」
王様の傍に厄災を運ぶ不吉な黒猫がいたせいで、万が一にも何かあってはいけない!となんとか離れようとするヒロインと、そんなヒロインを死ぬほど探していた、何があっても逃さない金髪碧眼ヤンデレ竜王の、実は持っていた不思議な能力に気がついちゃったりするテンプレ恋愛ものです。世界観はゆるふわのガバガバでつっこみどころいっぱいなので何も考えずに読んでください。
※ヒロインは大半は黒猫の姿で、その正体を知らないままヒーローはガチ恋しています(別に猫だから好きというわけではありません)。ヒーローは金髪碧眼で、竜人ですが本編のほとんどでは人の姿を取っています。ご注意ください。
【番外編】小さな姫さまは護衛騎士に恋してる
絹乃
恋愛
主従でありながら結婚式を挙げた護衛騎士のアレクと王女マルティナ。戸惑い照れつつも新婚2人のいちゃいちゃ、ラブラブの日々。また彼らの周囲の人々の日常を穏やかに優しく綴ります。※不定期更新です。一応Rをつけておきます。
二度目の初恋は、穏やかな伯爵と
柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。
冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる