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一章(エレオノール視点)
廃妃と王妃
しおりを挟む部屋に戻ると、仕えていた女官がわっと泣き出した。エレオノールはそっと肩を撫でた。
「泣かないで、レイル」
レイルの目からは大粒の涙が流れていた。エレオノールがハンカチで拭っても次から次から溢れて止まらなかった。
輿入れした日から献身的に仕えてれた心優しい女官だった。気心も知れて、何でも話せる友達のような存在だった。
「エレオノール様に皆の前であんな仕打ち。いくら気に入らないからってあんまりです!」
「全ては陛下がお決めになります。もう終わった事です」
「でも、でも」
レイルはえづいて喋れなくなってしまった。肩を震わせて、悲しみと怒りを表していた。
本来ならこれくらい感情を出した方が楽だったのかもしれない。いや、自分の代わりにレイルが泣いてくれたから、幾分か楽になれた。
他の女官にレイルを任せる。他の女官も、エレオノールを気遣ってカモミールを用意してくれた。夜着に着替える前にと、湯浴みの準備をしてくれた。夫には恵まれなかったが、常に身近な世話をしてくれる者たちには恵まれた。三年やっていけたのも、この者たちのおかげだった。
夜着に着替え、寝台に横になる。国章ブローチは取り上げられたが、それ以上の沙汰は無い。即日王宮を追い出されることは無さそうだが、明日には荷物をまとめてここを出ていこう。
目を閉じでみたが、眠れるはずがなかった。
深夜、何か言い争う声が聞こえた。エレオノールが身体を起こすのと、扉が開くのは同時だった。
「あらぁ?まだいたの?」
愛人のココットだった。いや、もう王妃だ。酒のニオイをまとわせて、千鳥足で近づいてくる。エレオノールは寝台から降りて、カーテシーの礼を取ろうとした。向こうの方が位は上なのだから、エレオノールから挨拶する礼儀がある。
エレオノールの挨拶をたっぷり眺めたココットは、大きなため息をつくと、扇を広げて自ら仰いだ。
「ここはアタシの部屋だよ。もうアンタのじゃないの早く出てって」
「陛下のご指示はありませんが」
「陛下から何のご指示が貰えるってんだい。アンタはもう王妃でも妻でもないくせに」
隣の部屋から男の声がした。ひどく酔っ払ったような声。
「陛下もお休みされるの。ここで」
わざとねちっこく言われる。三年、一人で眠っていたこの寝台で、これからココットとジョンが眠る。お休みされると言ったが、眠るだけではないのは明白だった。何故なら隣の部屋の男──ジョンが騒いでいる。はばかりのない、あまりにも下品な物言いにエレオノールは耳を塞ぎたかった。
「アンタがまだ居るって知ったら興醒めよ。陛下もやる気を無くされてしまうわ。ほら、さっさとそこの──」
ココットが指をさす。
「使用人の扉から出ていきなさい」
エレオノールは夜着のままだった。夜着は寝室でのみ着るもの。こんな格好では外へは出てゆけない。だが着替えるような時間は貰えそうになかった。
「あ、そうだわ」
何かを思いついたらしいココットは、使用人用の扉を開けて言った。
「最後だろうから教えてやるよ。なぜ陛下がアンタを嫌っていたかをさ」
今更何を聞けと言うのだろうか。戴冠式前日に王妃を降ろされ、夜着一つで使用人扉から出ていこうとしているエレオノールに、これ以上の何を聞けと言うのか。
ココットは下卑た笑いを見せた。
「その顔だよ。ニコリともしない。愛嬌も何も無い。つまんない顔」
この顔だよと言わんばかりに頬を軽く叩かれる。
「陛下はよくおっしゃっていただろう?陰気な女だって。アンタは笑いもしなければ泣きもしない。いじめがいが無くってつまんないってさ」
「──っあ!」
頬に痛みを感じて、ココットから離れる。逃さないとばかりに髪を掴まれ、使用人扉の通路へと引っ張られる。通路は狭く、灯りと呼べるものは何も無い。暗闇で上手く歩けず足がもつれて床に倒れ込む。頬に触れた指が滑っていた。おそらくは血だ。ココットの長い鋭い爪に引っかかれ傷になっていた。
「いくらジョンが嫌っていても、先代には気に入られてたからタカをくくってたんだろ?まさか王妃になれないなんて思ってなかったんだろ?高慢な女」
ココットはエレオノールを見下しながら、かつん、と冷たい靴音が響かせた。
「アンタみたいなのが王妃であり続けたら、いつまで経っても世継ぎは生まれない。この国を滅ぼしかねない悪女をのさばらせておく訳にはいかないからね。早々に見切りをつけた陛下は流石だわ」
でも安心して、とココットは声を細めて言った。
「陛下の子は、私が産むわ。この私の子が、次の国王になるの」
足を踏まれ、顎を掴まれる。頬の傷に爪を立てられ、激痛が襲う。息を吹きかけられ、酒のニオイにむせそうになる。
「泣きもしないなんだから」
ココットの手が離れる寸前まで、爪だけが執拗に傷口をえぐる。
「最後までつまんない女。そこの廊下で聞き耳でも立ててなさいよ。陛下を落としたアタクシの、手練手管でも勉強していったら?」
あざ笑う声と共に扉が閉まる。それはエレオノールが宮廷で聞いた、最後の言葉だった。
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