【完】王妃の座を愛人に奪われたので娼婦になって出直します

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一章(エレオノール視点)

母の怒り

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 夜着の薄手のまま、ココットに傷つけられた頬の傷の労りも無く、実家に戻ったエレオノールに継母は容赦無い言葉を浴びせた。

「この役立たず!」

 廃された知らせは既に届いていたのだろう。深夜に戻ったのにも関わらず、屋敷には煌々と明かりが灯っていて、叩き起こされた使用人達が忙しく駆けずり回っていた。

「だから早く世継ぎを産めと散々言ったのに!時間は充分にあったのに!お前はこの三年何をしてきたんだ!」

 怒号と共に茶器が飛んできて、足元に落ちる。割れたカップから熱い紅茶が飛び散り夜着を濡らした。

「お父さまは?」
「陛下の元へ向かったよ!お前の失態へ謝罪にね!」

 継母の癇癪は今に始まったことではない。これまでも散々、心無い言葉を浴びせられてきたし、手が出るのも一度や二度でも無かった。実母が死んで一ヶ月もしない内にやって来た継母は、エレオノールを何かの敵のようにあれこれと虐待してきた。三年前に王族との結婚話が舞い込むと、コロッと態度を変えてエレオノールに優しく接してきた。自らも王族の一員になれたのがよほど嬉しかったのだろう。暴力や罵りこそ無くなったものの顔を見れば世継ぎは出来たのかと、そればかりだった。

 いま、ジョン新王陛下の妻で無くなった以上、継母はエレオノールに媚びる必要も無くなった。それどころか自分の地位も危うい。最悪、父の爵位を返上されるかもしれない。そんな危機感からくる怒りの矛先が、余計にエレオノールに向けられた。

「こんなことなら一服盛って無理やりベッドに連れ込ませるべきだったのよ!忌々しい陰気な女から産まれたお前ごときが、陛下を誘惑出来るわけがないものね!」

 ここでもまた陰気と言われる。死んだ母はそんな人では無かった。母は明るく優しい人だった。エレオノールにも愛情を注いでくれた。

「役立たずがここに居ても邪魔なだけだ!お前の居場所は無いよ!早く出ておゆき!」

 行く宛てなど無い。ここを追い出されたら、エレオノールは死ぬだろう。王妃でなくなり、実家にも助けてくれないとなれば、生きる術は無い。死にたいとは思わないが、生きたいとも思わない。
 
「エレオノール様」

 割れた茶器を片付けていた使用人が、こちらへとさり気なく部屋の外へと誘導してくる。
 別の使用人が継母に何かを告げていて、そちらに気を取られている隙に、エレオノールを外へと連れ出してくれた。

「ありがとう。ミリア」

 ミリアの手を握る。ミリアは一度だけ首を横に振った。彼女はかつてエレオノールの侍女だった。嫁いでからは離れ離れで連絡も絶っていたが、屋敷で孤立していたエレオノールにとって姉のような存在だった。

「傷の手当てをいたします。こちらへ」
「変わりない?弟さんはお元気?」
「エレオノール様のお陰で、良い医師を紹介してもらえましたので弟もすっかり元気になりました。今度大学へ」
「それはよかったわ」
「わたしなどはどうでもよいのです」

 ミリアは手を強く握り返してきた。

「こんなにお痩せになって。傷の手当てもされずに追い出されるなど」

 声が震えていた。エレオノールはミリアが涙を見せるのを初めてみた。どうしたらいいのか分からず、ごめんねと言うともっと泣かれた。

 一階の厨房にたどり着く。中に入ると、料理人たちの他にもメイドや庭師、御者まで集合していた。皆、エレオノールが廃されたのを知ってやって来たのは明白だった。

「皆…迷惑を」

 頭を下げようとすると、ミリアから止められる。まずは手当てだと、椅子に座らされ、傷薬を塗って包帯が巻かれる。

「あの、ごめ──」
「エレオノール様、カモミールです」

 絶妙なタイミングでカップが置かれる。置いたのはまだ少女のメイドだった。またしても謝罪出来なかったエレオノールはとりあえずカモミールに口をつけた。
 柔らかな香り。気分が落ち着く。

「──美味しい。やっぱりモネのカモミールは上手ね」

 メイドのモネはまだ十八で、十三で働きに来たときは右も左も分からなかったが、その時からカモミールを淹れるのが誰よりも上手だった。三年ぶりの味が、胃から身体中に染み渡る。

「私の腕では、宮中には劣ります」
「そんなことないわ。モネが一番」

 モネは、はにかんでありがとうございますと言った。恥ずかしがり屋なのも変わらない。妹のように愛らしかった。

「お嬢さま、お久しぶりでございます」

 挨拶したのは、御者のイオリネだった。もともと彼は母の実家から付いてきた古株で、馬の扱いが屋敷の中で最も上手だった。エレオノールの乗馬は、御者に教えてもらったものだ。

「イオリネ、懐かしいわ。また会えて嬉しい」
「私もでございます。陛下のことでは、さぞ胸を痛められたでしょう。どうか心穏やかに過ごせますよう、我々も精一杯勤めさせていただきます」
「私はここにいられないの」
「存じております」

 御者は帽子を胸に当て膝をついた。初老の彼には辛い姿勢だ。エレオノールは慌てて止めさせようと肩を抱くが、御者は頑として立たなかった。

「教会ならば、お嬢さまを受け入れてくれるでしょう。お召し物を変えて、お食事をお召し上がりになられてから、ご案内します」

 御者の言葉を受けて、見計らったように皆も膝を付く。目の前で使用人たちが頭を下げる姿に、エレオノールは初め何の反応も出来なかった。
 戸惑うエレオノールに、御者が緩やかに微笑みかけた。

「お嬢さま、教会でも私どもはお仕えしますのでご安心ください」
「そんなこと、出来ないわ。雇い主はお父さまだし、それに私のせいで貴方たちにも被害が及んでいるもの」
「私どもは何においても、お嬢さまの安寧を望んでおります」
「…どうして?」

 屋敷でも宮廷でも厄介者扱いされてきた。ただの伯爵の娘で、実母は他界して後ろ盾は無い。エレオノールに取り入る必要など全く無い。金で雇われた使用人であればあるほど、金を払う主人に仕えるのが自然だ。
 今だって、エレオノールが宮廷から追い出されたせいで、こんな深夜に騒動に巻き込まれ迷惑をかけている。エレオノールは皆から恨まれて当然だと思っていた。

「この屋敷を離れられて、お嬢さまは幸せになったと思っておりました」

 御者の笑みが歪む。

「しかし宮廷では、お嬢さまはお幸せにはなれなかった」
「あなた達には屋敷で過分に仕えてもらいました。私を助ける必要は無いのよ?」
「そんな不義理は出来ません」

 御者は強い口調で言った。

「エレオノール様ほどの善人はおりません」
「私は何もしていませんよ」
「ご自覚が無いのが、お嬢さまの美点かもしれません」

 本当に心当たりが無かった。貴族の中には使用人に暴力を振るう者もいるが、さすがにそれをしないだけでこんなにも尽くしてはくれないだろう。

 御者は更に続けた。

「私は所詮、下賤の生まれですから高貴な方の幸せを推し計れません。お嬢さまの幸せの形を想像する無礼をお許しください」
「…なにを言っているの?」
「ただの耄碌した御者の独り言です」

 御者だけではない、エレオノールにかしずく全ての使用人たちが、ふいに偶然でなく必然的にここに集められた者たちのような、運命的なものを感じさせた。不思議な感覚だった。

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