王妃の椅子~母国のために売られた公子

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11.離宮・王妃の回想(8)

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 矢と矢の隙間を飛ぶ。射程範囲から脱出したいのに、行く手を阻まれて高く上がれない。

「あれは神の名を騙るペテンの鳥だ! 射殺せー!」

 鋭い風を側頭部へ感じた。次に冷たさが、そして熱さが、それから痛みが襲う。
 全てが一瞬だった。

「おのれ、まだ生きているぞ! 確実に殺せ!」

 痛みはあるが翼は無事だ。
 血が目に入って視界が赤くなる。それでも空が分かれば、上下さえ分かれば飛べる。まだ飛べる。飛ばなければ。ライルは矢を避けながら上昇を続けた。
 するとあちこちの城壁から大きな音がして、いくつもそれが続く。
 ディルア軍の後方から最新の巨大投石機が到着していたのだ。

「急げ! ダーイフを休ませるなー! 用意! 発射ー‼」

 ディルアの攻撃にダーイフの大弓が乱れる。
 地上では城壁にあるやぐらから火が上がっていた。投石機は人の頭ほどある石を飛ばす。ぶつかった壁には穴が開いた。
 戦況が傾く。
 攻略が進み、城壁から縄ばしごが下ろされる。内側から正門を開け、外にいたディルア兵が待ってましたと一気に内へ侵入を果たす。
 この流れは変えられまい。ライルは上空から勝利を確信した。
 しばらくすると、ディルアの国旗が中央の塔に掲げられた。城主は捕まるとその場で処刑された。
 勝ち戦であっても、ディルア軍にも負傷兵は出ている。ライルは救護部屋で軍医による治療を受けた。もう血は止まっていた。

「ごめん、わたしは鳥の治療はしたことないんだ。うーん、憶測だけど人に戻ると傷の箇所も広がりそうだから、このまま鳥になっている方がいい気もする。あと、今夜は熱が出るだろうから早く休むんだよ」

 軍医が申し訳なさそうに薬を塗る。
 動けるライルが救護室のベッドを使うの気が引けた。
 まだ騒がしい城内の中を飛び、地下へ入った。地下には大概葡萄酒の貯蔵室があるものだ。特に貴重な葡萄酒の管理は執事がするものなので、貯蔵室の隣が執事の部屋になっている場合が多い。
 案の定、地下には一部屋だけ設えの良い部屋があった。金目の物は取られた後だが寝台は無事だ。ふかふかの枕の上に落ち着くと、途端に疲労と眠気が襲ってきた。



 どれほど寝ていただろうか。熱があるのは分かっていた。むしろ熱のせいで目が覚めたのかもしれない。喉も渇いている。空腹でもあるけれど、食べ物を調達しに行ける体力は残っていない。
 耳を澄ませると祝宴の賑やかな様子が聞こえた。そこへ重そうな足音が重なり、徐々に大きくなる。どうやらこの部屋を目指しているようだった。ライルは一声「カァー」と鳴いてみた。ライルが部屋にいると知らせるためだ。相手が寝台に寝転んで、枕にいる自分を潰しでもでもしたらかなわない。
 すると燭台の明かりとともにやってきた人物が、半ば感心するかのように声をかけてきた。ハムザである。

「お前、酒も飲まねぇくせに、いい部屋に目をつけやがったなぁ……」

 そういうハムザも本来なら酒を飲む年齢ではないのに、手には酒瓶がある。この執事室は厨房にも近い、隣の部屋は葡萄酒の貯蔵室。酒飲みなら最高の部屋なのだ。

「お前怪我しただろ。あぁ、返事いいや。その塗り薬見たら分かるわ。手当てされてんならいい。飯食ったか? 蜂蜜いるか? 熱あんなら水飲むか?」
「カァ……」
「何言ってるか全然分からねぇな。しゃーねぇ。全部持ってくるから待ってろ」

 少しすると、蜂蜜を入れた皿と水の入った杯と、チーズを盆へ乗せて戻ってきた。
 ありがたく蜂蜜を舐めていると、ハムザがライルの横へごろんと寝転ぶ。

「俺も今夜はここで寝る」

 蜂蜜の恩があるので強く抗議ができない。
 だがハムザから強い匂いがした。臭い。なんだこの匂いは、ともう一度嗅ぐ。
 馬糞の匂いだ。汗も混じって強烈だ。

「カッ、カァ、カァ」
「うっせぇ。疲れてんだから、もう俺は動かねぇぞ。馬の世話の手伝いをさせられたんだ。降格よりましだが、何頭いると思ってんだ。くそっ」

 もとより身分に合った扱いはされていない様子だが、処分的な何かがあったようだった。
 本人の性格なのか、文句は言いつつも気にしていないみたいで「ここの城主、チーズ好きだったのかもな。どれも旨ぇもんばっかりだ」と機嫌良くしていた。
 馬糞と汗の匂いに葡萄酒とチーズまで加わった。移動できるものならそうしていたが、ライルも熱で動けない。少しでも悪臭を避けたくて、そっぽを向いて再び眠りに就いた。



 翌日いっぱいは寝込んだが、後はすっかり熱が引いた。ワヒドと名乗った軍医はライルを診察すると、酷く驚いて言った。

「凄いね、もうほとんど傷が見えないよ。見事と言うか、うん。お見事だ。いつもこんなに治りが早いの?」

 ライルは無言で首を傾げた。
 鳥の姿をとってるときに、怪我らしい怪我をしたことがなかったのだ。

「ライル君は帰国者リストに載っているね。もう怪我の心配はなさそうだけど、負傷者は優先的にディルアへ帰国できるからそうするといいよ」

 ライルにとって本当の『帰国』はリガーレだ。いちいちそう主張するのがどれだけ無駄なのか知っているので、頷くだけにした。
 ほとんどの兵士はこの城で冬を過ごす。王のカビルや一部の者は一旦ディルアへ戻り、春の進撃に合わせてまたここへやって来るのだ。
 ハムザはどうするのだろうか。残留か、それとも帰国なのか。あの夜は疲れたから移動したくないと言っていたくせに、部屋を変えることなくそのまま居座っていた。

 診察を終えたライルは執事室へ続く通路を移動する。建物の中は扉が厄介だ。閉まっていれば通りかかる誰かに開けてもらう必要がある。
 部屋の前までどうにか辿り着くと、扉は閉まっていた。地下は人通りは少ない。昼も夜も静かだ。
 ハムザが在室だといいが。
 扉の取っ手に止まって耳を澄ませると、中から声がした。
 甘くねだるような女のものだ。
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