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12.離宮・王妃の回想(9)★女性といたしている声が入っています
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板一枚の向こう側で何が起きているのか、知らないほど子どもではなかった。
人が集まる場所には店ができる。商売だって様々ある。利用する者だってそれぞれだ。
ライルは女と枕を交わしたことはない。自分が潔癖だとも思っていない。
けれど、二人で使っていた部屋へそういう女を招き、ことに及ぶのは違うだろう。
『……んっ……せっかちねぇ……若いんだから……』
『……違ぇよ……だけだ』
『ふふっ。やっぱり若いわ……』
揺れる声にはっとして、その場を飛び去った。
ハムザとは偶然、相部屋になっただけの間柄だ。何もかも自分と同じ温度を求めてはいけない。それでも、幾ばくかの落胆があったのは事実だった。丁度、角砂糖の隅が欠けたように。
その後、地下の部屋には戻らなかった。鳥一羽が寝泊まりする隙間くらい、探せばどこにだってある。こんなときちっぽけな鳥になれることがありがたかった。
ハムザとは顔も合わせることなく帰国した。
例年になく早いという初雪が降っていた。
■
冬の王宮は落ち着いている。
傭兵は戦がないので城を去っている。王宮務めの兵士はいるけれど、寂しく感じるのは彩りのない庭園のせいかもしれない。
葉が落ちた木々に、むき出しになった土。うっすらと雪化粧がされても殺風景だ。
ただ本宮から距離のある離宮だけ、ガラスが日に当たるときらきらと輝いている。病弱だった先々代の王妃が住んでいたそこは、日々の慰めになるよう温室もあるそうだ。
主がいないのなら、温室で何も育ててはいるまい。
もし自由に使えるとしたら、どんな花がいいか。鮮やかな色に包まれながら、そこで命が芽吹く季節を楽しみに待つのだ。
贅沢な夢にふっと笑みがこぼれた。今のライルにとって春とは、再び戦場へ赴かねばならない季節だ。
それまでは落ち着いて手紙が書ける。こんな時間は貴重だ。
何より大事な弟への手紙は、あの頬と同じくらい柔らかく温かい言葉で埋めよう。朝は小鳥のさえずりと陽の光に包まれ、夜は慈しみの帳で安寧を迎えられるように。日々は健やかに伸びやかに過ごしてほしい。
それから、兄はいつも弟を想っていることも。一つ一つ言葉を選んで、文字に愛情を託した。
前回、リガーレへの手紙を託した女はヤスミンという。彼女を書簡管理室で見付けると、手紙と共にそっと銀貨五枚を渡す。
「国外へは銀貨八枚よ」
「この前と違うのですか?」
「雪が降ると山を越えるのにも時間がかかるでしょう? だから冬の間は割高になるの。春になったらまた銀貨五枚に戻るわ。どうする?」
王冠が浮き彫りになった硬貨を三枚追加して渡す。シャラフとの繋がりはライルの糧だ。
「お願いします」
「分かったわ。必ず届けるように伝えて置くからね」
ヤスミンの目が弧を描くと目尻に皺が寄った。
手持ちの銀貨も金貨もまだある。値上がりしても、費用を気にせずこれからも手紙は送れる。
次の戦までにおける兵士たちの過ごし方はそれぞれだ。
怪我をしていれば回復が第一優先。身体を動かせるようになれば各自鍛錬もするし、集団演習にも参加する。
怪我が完治したライルはアーシムの指導を受けていた。
「走り込みが終わったら、今日も反射神経を鍛えよう」
アーシムが槍に見立てた長い棒を次々と繰り出す。棒の先は綿と布で保護されているので、当たっても怪我はしないようになっている。
「はっ……っけっこう、当たってしまった……」
「でも回数は減ってるし、息が上がるのも遅くなってる。大丈夫、ちゃんと成長してるから」
褒められれば素直に嬉しい。
「ありがとうございます……」
「頑張ろう。できることはたくさんあるよ」
善意というものを煮詰めて飴にしたらきっとアーシムの瞳と同じ、空色になりそうだと思った。
負傷者として帰国している彼は左腕に包帯をしている。かすり傷だと言って、指導にあたってくれていた。
ライルはディルアの国にも国王にも良い印象ははない。いずれ国を継ぐ弟シャラフのために母国を存続させないといけないからだ。
けれどディルアにも良い人間はいる、と認識を変えるなってきた。
「接近戦に備えた鍛錬も追加しよう」
「空中で?」
「ははっ。違う違う。人の姿でいるとき、万一地上で敵と遭遇した場合のためだ。倒せなくていいからさ。一瞬だけ間が持てれば、ライルは空へ逃げられるだろう? そうしたら大男相手でもライルの勝ちだ」
「なるほど」
小柄なのを逆に利用するんだ、とアーシムは続けた。
相手の足下や、剣を持ってない腕の下を狙う動き。様々な手本を見せられた。
「生きるためなんだから、卑怯でいいんだ。包帯を巻いている奴が相手なら、そこを狙え。丸腰の時に襲われたら、目潰しでもいい。敵が避けた隙に鳥になるんだ……って、偉そうに言っちゃったけど、素早く身体を変えるってできるかな?」
「でき……ます」
「どれくらい早くできる? 瞬きするくらい?」
「そこまで速くないです。……少し長いため息くらいかな」
「……ためいき? あはっ! いいね、長いため息か! はははっ! じゃあ短いため息になれるようにしよう。逃げるのが目的だから、少しでも速い方が有利になる」
あまりにも笑うので、どうやらおかしなことを言ったようだとライルはようやく気付く。
悪くない気分だった。
人が集まる場所には店ができる。商売だって様々ある。利用する者だってそれぞれだ。
ライルは女と枕を交わしたことはない。自分が潔癖だとも思っていない。
けれど、二人で使っていた部屋へそういう女を招き、ことに及ぶのは違うだろう。
『……んっ……せっかちねぇ……若いんだから……』
『……違ぇよ……だけだ』
『ふふっ。やっぱり若いわ……』
揺れる声にはっとして、その場を飛び去った。
ハムザとは偶然、相部屋になっただけの間柄だ。何もかも自分と同じ温度を求めてはいけない。それでも、幾ばくかの落胆があったのは事実だった。丁度、角砂糖の隅が欠けたように。
その後、地下の部屋には戻らなかった。鳥一羽が寝泊まりする隙間くらい、探せばどこにだってある。こんなときちっぽけな鳥になれることがありがたかった。
ハムザとは顔も合わせることなく帰国した。
例年になく早いという初雪が降っていた。
■
冬の王宮は落ち着いている。
傭兵は戦がないので城を去っている。王宮務めの兵士はいるけれど、寂しく感じるのは彩りのない庭園のせいかもしれない。
葉が落ちた木々に、むき出しになった土。うっすらと雪化粧がされても殺風景だ。
ただ本宮から距離のある離宮だけ、ガラスが日に当たるときらきらと輝いている。病弱だった先々代の王妃が住んでいたそこは、日々の慰めになるよう温室もあるそうだ。
主がいないのなら、温室で何も育ててはいるまい。
もし自由に使えるとしたら、どんな花がいいか。鮮やかな色に包まれながら、そこで命が芽吹く季節を楽しみに待つのだ。
贅沢な夢にふっと笑みがこぼれた。今のライルにとって春とは、再び戦場へ赴かねばならない季節だ。
それまでは落ち着いて手紙が書ける。こんな時間は貴重だ。
何より大事な弟への手紙は、あの頬と同じくらい柔らかく温かい言葉で埋めよう。朝は小鳥のさえずりと陽の光に包まれ、夜は慈しみの帳で安寧を迎えられるように。日々は健やかに伸びやかに過ごしてほしい。
それから、兄はいつも弟を想っていることも。一つ一つ言葉を選んで、文字に愛情を託した。
前回、リガーレへの手紙を託した女はヤスミンという。彼女を書簡管理室で見付けると、手紙と共にそっと銀貨五枚を渡す。
「国外へは銀貨八枚よ」
「この前と違うのですか?」
「雪が降ると山を越えるのにも時間がかかるでしょう? だから冬の間は割高になるの。春になったらまた銀貨五枚に戻るわ。どうする?」
王冠が浮き彫りになった硬貨を三枚追加して渡す。シャラフとの繋がりはライルの糧だ。
「お願いします」
「分かったわ。必ず届けるように伝えて置くからね」
ヤスミンの目が弧を描くと目尻に皺が寄った。
手持ちの銀貨も金貨もまだある。値上がりしても、費用を気にせずこれからも手紙は送れる。
次の戦までにおける兵士たちの過ごし方はそれぞれだ。
怪我をしていれば回復が第一優先。身体を動かせるようになれば各自鍛錬もするし、集団演習にも参加する。
怪我が完治したライルはアーシムの指導を受けていた。
「走り込みが終わったら、今日も反射神経を鍛えよう」
アーシムが槍に見立てた長い棒を次々と繰り出す。棒の先は綿と布で保護されているので、当たっても怪我はしないようになっている。
「はっ……っけっこう、当たってしまった……」
「でも回数は減ってるし、息が上がるのも遅くなってる。大丈夫、ちゃんと成長してるから」
褒められれば素直に嬉しい。
「ありがとうございます……」
「頑張ろう。できることはたくさんあるよ」
善意というものを煮詰めて飴にしたらきっとアーシムの瞳と同じ、空色になりそうだと思った。
負傷者として帰国している彼は左腕に包帯をしている。かすり傷だと言って、指導にあたってくれていた。
ライルはディルアの国にも国王にも良い印象ははない。いずれ国を継ぐ弟シャラフのために母国を存続させないといけないからだ。
けれどディルアにも良い人間はいる、と認識を変えるなってきた。
「接近戦に備えた鍛錬も追加しよう」
「空中で?」
「ははっ。違う違う。人の姿でいるとき、万一地上で敵と遭遇した場合のためだ。倒せなくていいからさ。一瞬だけ間が持てれば、ライルは空へ逃げられるだろう? そうしたら大男相手でもライルの勝ちだ」
「なるほど」
小柄なのを逆に利用するんだ、とアーシムは続けた。
相手の足下や、剣を持ってない腕の下を狙う動き。様々な手本を見せられた。
「生きるためなんだから、卑怯でいいんだ。包帯を巻いている奴が相手なら、そこを狙え。丸腰の時に襲われたら、目潰しでもいい。敵が避けた隙に鳥になるんだ……って、偉そうに言っちゃったけど、素早く身体を変えるってできるかな?」
「でき……ます」
「どれくらい早くできる? 瞬きするくらい?」
「そこまで速くないです。……少し長いため息くらいかな」
「……ためいき? あはっ! いいね、長いため息か! はははっ! じゃあ短いため息になれるようにしよう。逃げるのが目的だから、少しでも速い方が有利になる」
あまりにも笑うので、どうやらおかしなことを言ったようだとライルはようやく気付く。
悪くない気分だった。
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