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第5話 捨てられた聖遺物
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ルーデン村の朝は静けさと喧騒が同時に訪れる。
鳥の囀りが村の目覚ましで、人々の生活音がそれに重なっていく。
アレンはこの三日間、村の鍛冶屋の手伝いをしていた。
鍛冶と言っても魔法の武具を作るわけではなく、農具の修理や、馬車の車輪を直す程度の単純作業だ。
「おお、アレン、こっちの鍬、また折れちまった。昨日の猪のせいだ。」
「了解です。すぐ直しますね。溶接し直して、ついでに鉄の流れを整えておきます。」
「溶接? 鉄の流れ? お前、何言ってるんだ?」
アレンは苦笑して右手を軽く掲げた。
手のひらに青白い光が集まり、鍬の折れた部分がじゅっと音を立てて再結合する。
鍛冶屋の親父は口をぽかんと開けて見ていた。
「まじかよ……お前、こっちの仕事まで奪う気か?」
「いえ、手伝いのつもりです。僕も暇なので。」
「いや、助かるけどよ……やりすぎだ。村がまた変な信仰でも始めかねん。」
アレンは笑みを返し、鍬を手渡した。
そう言われるのも仕方ない。昨日の出来事以来、村人たちの中ではすでに“聖人様”という噂が広まっていた。
村長が止めても無駄で、朝には家々の戸口に野花や供え物まで並ぶようになった。
「……困ったな。」
アレンは肩を竦めて村の広場を歩く。
道の端では子どもたちが摘んだ花を並べながら祈っていた。
その真ん中に、彼の似顔絵に似せた彫像まで作られている。粘土細工とはいえ本人には少々居心地が悪い。
「アレン様、今日もお加減は?」
「いや、普通に元気ですよ……あの、様はやめましょう。」
「だって、あの魔獣を退けたんでしょう? 村の守護者様じゃないですか。」
「守護者ほど立派なものじゃありません。ただの農夫ですよ。」
何度言っても効果はなかった。
元より“無自覚な奇跡”が積み重なっている。人の考えが変わるわけがない。
――しかしその日、思いがけない“異物”が彼の元へ運び込まれた。
◇
昼過ぎ、農作業を終えたアレンが井戸の水で顔を洗っていると、息を切らした少年が走ってきた。
「アレンさん! 大変です! 村の外れで何か光る石が!」
「光る石?」
「森の中に埋まってたんですけど、誰も近づけなくて……。手を伸ばしたら熱くて、でも壊すこともできなくて!」
アレンは少年の話を聞き、心当たりが浮かんだ。
「もしや……聖遺物かもしれませんね。」
「せいい……ぶつ?」
「昔、王都の神殿に保管されていた、神の加護を宿した器具。形のない魔力を封じるものです。」
森へ急いで向かうと、そこには直径一メートルほどの透明な球体があった。
中心に浮かぶ光は温かな金色だが、その周囲を不気味な黒い線が絡みついている。
――封印が解けかけている。
「こんなものが辺境に……」
アレンは膝をつき、手をかざした。
近づくだけで皮膚が焼けるような熱。普通の人間なら死にかねないほどの濃密な聖と魔の力。
彼の脳裏によぎったのは、王都時代。
神殿研究区画の地下倉庫で見かけた禁忌の格納球――“神の心臓”とまで呼ばれた代物だった。
「なぜ、こんなものを辺境に捨てた?」
答えはひとつしかない。
――アレンを陥れた誰かが、彼の周囲に“禁忌の証拠”をばらまいている。
背後でミーナたちが立っていた。
「アレンさん、それ、危なくないんですか?」
「大丈夫です。少し調整するだけですから。」
光球を指でなぞるように触れると、内部の魔力がうねった。
爆風を予感した瞬間、アレンの全身が柔らかな光を放った。
ふっと風が止み、音が消える。
やがて、あれほど暴れていた力が静まりかえり、濁った黒が消える。
残ったのは澄んだ蒼の輝き。
木々がざわめき、動物たちが一斉に声を上げた。
「……これでもう安全です。」
アレンが立ち上がると同時に、聖遺物は淡い音を立てて彼の掌に吸い込まれるように溶けた。
「え、それ今どこに?」
「僕の中ですよ。危険なものですから、預かっておきます。」
ミーナはぽかんとし、他の村人たちがざわついた。
「アレン様が……神の光を……」
「本物の加護だ!」
「やっぱり、この人は聖人なんだ!」
瞬く間にその噂は広がり、村人どころか隣村までが拝みに来る始末。
アレンは頭を抱えた。
「はぁ……これではますます誤解が広がる」
本人はただ危険を封じただけ。だが外から見れば空から祝福を降ろしたような光景だった。
◇
夜。
村の広場では焚き火が焚かれ、聖音を再現したという子どもたちの合唱が始まっていた。
アレンはその輪の外で、遠くの空を見上げていた。
雲ひとつない星空。その中心に、一筋の白い光が流れる。
流星――かと思いきや、それは分かれ、尾をまとい、点のように消えた。
「……転移か。」
低く呟いた。
魔法の気配だ。王都の方角から短距離転移の波長。
おそらく監視、あるいは捜索。
「本気で俺を“異端”として閉じ込めたいらしいですね」
アレンは苦笑した。
そのとき足元で何かが光った。
拾い上げると小さな破片――昼間の聖遺物の欠片だった。
それが瞬き、まるで意志を持つように魔力の文字を描いた。
《我を目覚めさせし者に問う――汝は神か、人か。》
「……どちらでもない。ただの農夫です。」
アレンの答えに、欠片は一瞬静まり、すぐに柔らかな光を返した。
《ならば、我は汝の影とならん》
光が彼の胸元に吸い込まれた。
焼けるような熱と同時に、心臓の奥で鈍い鼓動が跳ねる。
短い痛みのあと、視界の隅に見慣れぬ輝きが浮かんだ。
半透明の紋章――古代神話にしか登場しない“守護紋”。
「……まいったな。ますます解釈が面倒になる」
彼は髪を掻き上げ、再び空を見上げた。
その視線の先、はるか王都の高空では、第二王子レオニールが報告書を握りつぶしていた。
「辺境で……聖光柱を二度もだと!? 何を企んでいる!」
「殿下、目撃情報によれば、彼は“聖遺物を食った”とのことです」
「食っ、食ったぁ?!」
怒鳴り声が玉座の間に轟いた。
レオニールの眼光には、恐怖と焦燥が同時に宿っていた。
「聖遺物など人が触れただけで灰になる代物だ。それを……! あの無能が!? ありえん、絶対にありえん!」
「殿下、もし彼が――」
「黙れ! もし彼が何かを目覚めさせたなら、それを利用するのは我々だ。全軍に通達しろ。アレン=クロードはもはや脅威であると。」
王国全土に密命が下る。
“異端師”の名の下に、アレン追討を掲げた新たな動きが始まった。
◇
一方その頃、ルーデン村では、星明かりの下でアレンが静かに鍬を振っていた。
耕された大地は柔らかく、夜風が心地よい。
聖魔導師であった頃、決して知らなかった感覚。
地を触れ、風を感じ、命が脈打つ音を聞く。
「……これで良いんですよ。誰も傷つかず、穏やかに生きられれば。」
そう呟いた彼の背で、紋章が淡く光った。
地の底で眠っていた存在が揺れ始める。
遠い昔、神々が封じた“聖と魔の均衡”――その再起動が、まさに始まろうとしていた。
アレンはまだ知らない。
彼が“捨てられた聖遺物”を拾い上げた瞬間、世界の理が静かに軋みを上げたことを。
鳥の囀りが村の目覚ましで、人々の生活音がそれに重なっていく。
アレンはこの三日間、村の鍛冶屋の手伝いをしていた。
鍛冶と言っても魔法の武具を作るわけではなく、農具の修理や、馬車の車輪を直す程度の単純作業だ。
「おお、アレン、こっちの鍬、また折れちまった。昨日の猪のせいだ。」
「了解です。すぐ直しますね。溶接し直して、ついでに鉄の流れを整えておきます。」
「溶接? 鉄の流れ? お前、何言ってるんだ?」
アレンは苦笑して右手を軽く掲げた。
手のひらに青白い光が集まり、鍬の折れた部分がじゅっと音を立てて再結合する。
鍛冶屋の親父は口をぽかんと開けて見ていた。
「まじかよ……お前、こっちの仕事まで奪う気か?」
「いえ、手伝いのつもりです。僕も暇なので。」
「いや、助かるけどよ……やりすぎだ。村がまた変な信仰でも始めかねん。」
アレンは笑みを返し、鍬を手渡した。
そう言われるのも仕方ない。昨日の出来事以来、村人たちの中ではすでに“聖人様”という噂が広まっていた。
村長が止めても無駄で、朝には家々の戸口に野花や供え物まで並ぶようになった。
「……困ったな。」
アレンは肩を竦めて村の広場を歩く。
道の端では子どもたちが摘んだ花を並べながら祈っていた。
その真ん中に、彼の似顔絵に似せた彫像まで作られている。粘土細工とはいえ本人には少々居心地が悪い。
「アレン様、今日もお加減は?」
「いや、普通に元気ですよ……あの、様はやめましょう。」
「だって、あの魔獣を退けたんでしょう? 村の守護者様じゃないですか。」
「守護者ほど立派なものじゃありません。ただの農夫ですよ。」
何度言っても効果はなかった。
元より“無自覚な奇跡”が積み重なっている。人の考えが変わるわけがない。
――しかしその日、思いがけない“異物”が彼の元へ運び込まれた。
◇
昼過ぎ、農作業を終えたアレンが井戸の水で顔を洗っていると、息を切らした少年が走ってきた。
「アレンさん! 大変です! 村の外れで何か光る石が!」
「光る石?」
「森の中に埋まってたんですけど、誰も近づけなくて……。手を伸ばしたら熱くて、でも壊すこともできなくて!」
アレンは少年の話を聞き、心当たりが浮かんだ。
「もしや……聖遺物かもしれませんね。」
「せいい……ぶつ?」
「昔、王都の神殿に保管されていた、神の加護を宿した器具。形のない魔力を封じるものです。」
森へ急いで向かうと、そこには直径一メートルほどの透明な球体があった。
中心に浮かぶ光は温かな金色だが、その周囲を不気味な黒い線が絡みついている。
――封印が解けかけている。
「こんなものが辺境に……」
アレンは膝をつき、手をかざした。
近づくだけで皮膚が焼けるような熱。普通の人間なら死にかねないほどの濃密な聖と魔の力。
彼の脳裏によぎったのは、王都時代。
神殿研究区画の地下倉庫で見かけた禁忌の格納球――“神の心臓”とまで呼ばれた代物だった。
「なぜ、こんなものを辺境に捨てた?」
答えはひとつしかない。
――アレンを陥れた誰かが、彼の周囲に“禁忌の証拠”をばらまいている。
背後でミーナたちが立っていた。
「アレンさん、それ、危なくないんですか?」
「大丈夫です。少し調整するだけですから。」
光球を指でなぞるように触れると、内部の魔力がうねった。
爆風を予感した瞬間、アレンの全身が柔らかな光を放った。
ふっと風が止み、音が消える。
やがて、あれほど暴れていた力が静まりかえり、濁った黒が消える。
残ったのは澄んだ蒼の輝き。
木々がざわめき、動物たちが一斉に声を上げた。
「……これでもう安全です。」
アレンが立ち上がると同時に、聖遺物は淡い音を立てて彼の掌に吸い込まれるように溶けた。
「え、それ今どこに?」
「僕の中ですよ。危険なものですから、預かっておきます。」
ミーナはぽかんとし、他の村人たちがざわついた。
「アレン様が……神の光を……」
「本物の加護だ!」
「やっぱり、この人は聖人なんだ!」
瞬く間にその噂は広がり、村人どころか隣村までが拝みに来る始末。
アレンは頭を抱えた。
「はぁ……これではますます誤解が広がる」
本人はただ危険を封じただけ。だが外から見れば空から祝福を降ろしたような光景だった。
◇
夜。
村の広場では焚き火が焚かれ、聖音を再現したという子どもたちの合唱が始まっていた。
アレンはその輪の外で、遠くの空を見上げていた。
雲ひとつない星空。その中心に、一筋の白い光が流れる。
流星――かと思いきや、それは分かれ、尾をまとい、点のように消えた。
「……転移か。」
低く呟いた。
魔法の気配だ。王都の方角から短距離転移の波長。
おそらく監視、あるいは捜索。
「本気で俺を“異端”として閉じ込めたいらしいですね」
アレンは苦笑した。
そのとき足元で何かが光った。
拾い上げると小さな破片――昼間の聖遺物の欠片だった。
それが瞬き、まるで意志を持つように魔力の文字を描いた。
《我を目覚めさせし者に問う――汝は神か、人か。》
「……どちらでもない。ただの農夫です。」
アレンの答えに、欠片は一瞬静まり、すぐに柔らかな光を返した。
《ならば、我は汝の影とならん》
光が彼の胸元に吸い込まれた。
焼けるような熱と同時に、心臓の奥で鈍い鼓動が跳ねる。
短い痛みのあと、視界の隅に見慣れぬ輝きが浮かんだ。
半透明の紋章――古代神話にしか登場しない“守護紋”。
「……まいったな。ますます解釈が面倒になる」
彼は髪を掻き上げ、再び空を見上げた。
その視線の先、はるか王都の高空では、第二王子レオニールが報告書を握りつぶしていた。
「辺境で……聖光柱を二度もだと!? 何を企んでいる!」
「殿下、目撃情報によれば、彼は“聖遺物を食った”とのことです」
「食っ、食ったぁ?!」
怒鳴り声が玉座の間に轟いた。
レオニールの眼光には、恐怖と焦燥が同時に宿っていた。
「聖遺物など人が触れただけで灰になる代物だ。それを……! あの無能が!? ありえん、絶対にありえん!」
「殿下、もし彼が――」
「黙れ! もし彼が何かを目覚めさせたなら、それを利用するのは我々だ。全軍に通達しろ。アレン=クロードはもはや脅威であると。」
王国全土に密命が下る。
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◇
一方その頃、ルーデン村では、星明かりの下でアレンが静かに鍬を振っていた。
耕された大地は柔らかく、夜風が心地よい。
聖魔導師であった頃、決して知らなかった感覚。
地を触れ、風を感じ、命が脈打つ音を聞く。
「……これで良いんですよ。誰も傷つかず、穏やかに生きられれば。」
そう呟いた彼の背で、紋章が淡く光った。
地の底で眠っていた存在が揺れ始める。
遠い昔、神々が封じた“聖と魔の均衡”――その再起動が、まさに始まろうとしていた。
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