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第11話 魔物は隣の畑にもいるらしい
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朝露の残る土の上を、アレンは素足で歩いていた。
冷たい感触が足の裏を通して伝わる。
昨夜の瘴気獣騒ぎのあとは、村に妙な静けさが漂っていた。
火の被害は最小限、誰一人怪我もなく済んだ――それがむしろ不自然だと村人たちは言う。
実際、アレンが何をしたかを正確に見た者はいなかった。
炎が消えたあと、そこに立っていた彼の姿しか記憶にないのだ。
「おはようございます、アレンさん!」
ミーナが籠を抱えて駆け寄ってきた。
快活な声はいつも通りだが、その瞳にはまだ昨夜の名残がある。
「皆、怪我ひとつなく済みましたよ。おばあちゃんも元気! でも……」
「でも?」
「畑が、ちょっと変なんです。」
ミーナが指差した先、昨日の戦いで炎が上がった場所がある。
焦げた大地に、ところどころ緑が芽吹いている――まるで火の痕から新しい命が生まれたように。
アレンはしゃがみ込み、指で土を掘り返した。
土の層が柔らかすぎる。夜のうちに誰かが触れたか? いや、魔力の残滓だ。
「これは、少し厄介ですね。」
呟きながら、土の奥を撫でるように魔力を流す。即座に反応があった。
地の奥に微かな“動き”――小型の魔物か、それとも植物の擬態系か。
「ミーナさん、念のため村人を呼んでください。少し危険かもしれません。」
ミーナは戸惑いながらも走って行った。
アレンは小さく息を整え、土の上に掌を当てた。
「……自分から出てきてほしいのですがね。」
柔らかく語りかける声。だが次の瞬間、地面が震えた。
土の裂け目から、無数の蔓が飛び出した。
その先端には牙のような棘が並び、空気を切り裂く音を立てる。
それは生きた植物――瘴気を吸った草木が変異した“血喰い蔦”だった。
「やはり、まだ残っていましたか。」
アレンは杖を引き抜く。
とはいえ、攻撃するつもりはない。
むしろ逆――再び「癒し」の光で穏やかに封じる。
蔦が彼の足へと襲いかかった瞬間、アレンの瞳が淡く光を帯びた。
手のひらがほんのりと温かく輝く。
蔦が触れた場所から、黒い色が薄れ、緑が戻っていく。
「……眠りなさい。もう、戦う必要はありません。」
ひとつ、またひとつと蔦が力を失い、静かに大地へ沈んでいった。
消えたあとには、普通の草が残るだけ。
魔力反応も完全に静止した。
背後から駆け寄る足音。
村人たちが鍬を振りかざして息を呑む。
「アレンさん、今の……」
「魔物は、ずいぶんと繊細なんですよ。人間よりも。」
「繊細……?」
「ええ。少しでも恐怖を与えると、敵になる。安心を与えれば、静まり返る。」
アレンの言葉の意味がどれだけ伝わったかは分からない。
だが、不思議なことに、村人たちはその言葉を聞くだけで心が落ち着いていくのを感じた。
怒りも不安も、まるで土に吸われるように消えていった。
「……アレンさんが来てから、変なことばっかり起こるな。」
「いい方向に、ですよ。」
笑って返すアレンに、村人のひとりがぽつりと呟いた。
「お前さん、本当に“人間”なのか?」
アレンはしばし黙り、空を見上げた。
「さて、どうでしょうね。」
◇
昼下がり、村の広場では鍛冶屋の親父が大声を上げていた。
「おーいアレン! この前修理してもらった井戸、どうなってんだ!? 今朝急に水が増えすぎて溢れてんぞ!」
「うーん、それは……自然現象じゃないですかね?」
「自然で水柱が三メートルも上がるか!?」
「確かに。」
親父が頭を抱えている間にも、子どもたちが楽しそうに笑いながら水遊びをしていた。
冷たく透明な水が村の生命線を取り戻した証拠でもある。
誰もそれを止めようとしなかった。
「アレンさん!」と別の声。ミーナが手を振る。
「畑、見てください! 昨日の場所、花が咲いてます!」
アレンが振り返ると、確かに焦げ跡だった場所から鮮やかな青い花が咲いていた。
村人たちは驚き、口々に噂する。
「奇跡だ……」
「ほら見ろ、あの人は神様の使いだ!」
アレンは苦笑して首を振る。
「花は強いだけですよ。炎のあとほどよく育つ。自然の摂理です。」
「でも、青い花なんてこの辺じゃ見たことないよ?」
「……それは、そうかもしれませんね。」
彼が先日拾った“聖遺物の欠片”――あれが地脈に触れて、思わぬ影響を及ぼしている気がした。
ただ、人に言っても納得はしないだろう。
アレンは花の一輪を摘み取り、掌を光らせた。
花弁が淡く輝き始め、風に乗って散っていく。
その欠片が村の空に舞い、街中に青い光が降り注いだ。
「うわ……綺麗……!」
「まるで祝福みたいだ。」
ミーナが目を輝かせて叫んだ。
「アレンさん、やっぱり奇跡です!」
「奇跡、ね……ただの副作用ですよ。」
呆れたように笑いつつも、その表情はどこか優しかった。
◇
その頃、王都。
神殿の最上層で、白い法衣に身を包んだ男が報告を受けていた。
「ルーデン村の周囲から、神域反応を再検知しました。対象は“癒し”系統、だが同時に“再構築”の属性を含みます。」
「再構築……? ありえん。あれはもはや創造の領域だ。」
「それを、ひとりの人間が行使しているようです。」
男はゆっくりと立ち上がる。
その名はハイゼル・エクレール。聖王国神殿の最高審問官にして、アレンがかつて仕えていた部署の直属の上司だった。
「アレン=クロード……冗談であってほしいものだな。」
低く呟かれた声に、祈祷師たちの顔が恐怖に強張る。
「殿下からも勅命が来ております。対象を観察し、必要とあらば排除せよと。」
「排除、か。――愚か者どもめ。世界で最も消してはならぬ灯を、焚き火と同列に扱うなど。」
ハイゼルはマントを翻し、空を見上げた。
「俺が行く。アレンが何を見て、何を掴んだのか。直接確かめる。」
その決意が、やがて王国を巻き込む新たな転換点となる。
◇
夜。
静まり返った村で、アレンは灯火の下に座っていた。
昼間の蔦の欠片をすり潰し、植物の瘴気除去剤を調合している。
普通の薬師には到底扱えない純粋魔素だが、彼にはそれを安定させる“何か”があった。
一輪の青い花を手に取り、焔に透かす。
花弁が揺れて、微かな声が響いた。
《わが主よ、地は整い、息吹は戻りました。》
「……また喋りましたね。あなたは一体、どこまで覚えているんです?」
《我は欠片。あなたの願いが形を取ったもの。》
「そういう詩的なのは苦手なんですよ。」
アレンは笑って、花をそっと土に還した。
「それでも、この村には平和が似合います。二度と戦争の炎が届かぬように。」
そう呟いた瞬間、遠くで犬の遠吠えが聞こえた。
その鳴き声は、まるで何かを警告するかのように続いていた。
アレンは目を閉じた。
風が止み、夜の空気が少しだけ重くなる。
誰に知られることもなく、村の外れの地中で、再び微かな瘴気が動き出していた。
それはまだ小さい――しかし、確実に世界の均衡を揺るがす“因子”の胎動だった。
冷たい感触が足の裏を通して伝わる。
昨夜の瘴気獣騒ぎのあとは、村に妙な静けさが漂っていた。
火の被害は最小限、誰一人怪我もなく済んだ――それがむしろ不自然だと村人たちは言う。
実際、アレンが何をしたかを正確に見た者はいなかった。
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ミーナが籠を抱えて駆け寄ってきた。
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「皆、怪我ひとつなく済みましたよ。おばあちゃんも元気! でも……」
「でも?」
「畑が、ちょっと変なんです。」
ミーナが指差した先、昨日の戦いで炎が上がった場所がある。
焦げた大地に、ところどころ緑が芽吹いている――まるで火の痕から新しい命が生まれたように。
アレンはしゃがみ込み、指で土を掘り返した。
土の層が柔らかすぎる。夜のうちに誰かが触れたか? いや、魔力の残滓だ。
「これは、少し厄介ですね。」
呟きながら、土の奥を撫でるように魔力を流す。即座に反応があった。
地の奥に微かな“動き”――小型の魔物か、それとも植物の擬態系か。
「ミーナさん、念のため村人を呼んでください。少し危険かもしれません。」
ミーナは戸惑いながらも走って行った。
アレンは小さく息を整え、土の上に掌を当てた。
「……自分から出てきてほしいのですがね。」
柔らかく語りかける声。だが次の瞬間、地面が震えた。
土の裂け目から、無数の蔓が飛び出した。
その先端には牙のような棘が並び、空気を切り裂く音を立てる。
それは生きた植物――瘴気を吸った草木が変異した“血喰い蔦”だった。
「やはり、まだ残っていましたか。」
アレンは杖を引き抜く。
とはいえ、攻撃するつもりはない。
むしろ逆――再び「癒し」の光で穏やかに封じる。
蔦が彼の足へと襲いかかった瞬間、アレンの瞳が淡く光を帯びた。
手のひらがほんのりと温かく輝く。
蔦が触れた場所から、黒い色が薄れ、緑が戻っていく。
「……眠りなさい。もう、戦う必要はありません。」
ひとつ、またひとつと蔦が力を失い、静かに大地へ沈んでいった。
消えたあとには、普通の草が残るだけ。
魔力反応も完全に静止した。
背後から駆け寄る足音。
村人たちが鍬を振りかざして息を呑む。
「アレンさん、今の……」
「魔物は、ずいぶんと繊細なんですよ。人間よりも。」
「繊細……?」
「ええ。少しでも恐怖を与えると、敵になる。安心を与えれば、静まり返る。」
アレンの言葉の意味がどれだけ伝わったかは分からない。
だが、不思議なことに、村人たちはその言葉を聞くだけで心が落ち着いていくのを感じた。
怒りも不安も、まるで土に吸われるように消えていった。
「……アレンさんが来てから、変なことばっかり起こるな。」
「いい方向に、ですよ。」
笑って返すアレンに、村人のひとりがぽつりと呟いた。
「お前さん、本当に“人間”なのか?」
アレンはしばし黙り、空を見上げた。
「さて、どうでしょうね。」
◇
昼下がり、村の広場では鍛冶屋の親父が大声を上げていた。
「おーいアレン! この前修理してもらった井戸、どうなってんだ!? 今朝急に水が増えすぎて溢れてんぞ!」
「うーん、それは……自然現象じゃないですかね?」
「自然で水柱が三メートルも上がるか!?」
「確かに。」
親父が頭を抱えている間にも、子どもたちが楽しそうに笑いながら水遊びをしていた。
冷たく透明な水が村の生命線を取り戻した証拠でもある。
誰もそれを止めようとしなかった。
「アレンさん!」と別の声。ミーナが手を振る。
「畑、見てください! 昨日の場所、花が咲いてます!」
アレンが振り返ると、確かに焦げ跡だった場所から鮮やかな青い花が咲いていた。
村人たちは驚き、口々に噂する。
「奇跡だ……」
「ほら見ろ、あの人は神様の使いだ!」
アレンは苦笑して首を振る。
「花は強いだけですよ。炎のあとほどよく育つ。自然の摂理です。」
「でも、青い花なんてこの辺じゃ見たことないよ?」
「……それは、そうかもしれませんね。」
彼が先日拾った“聖遺物の欠片”――あれが地脈に触れて、思わぬ影響を及ぼしている気がした。
ただ、人に言っても納得はしないだろう。
アレンは花の一輪を摘み取り、掌を光らせた。
花弁が淡く輝き始め、風に乗って散っていく。
その欠片が村の空に舞い、街中に青い光が降り注いだ。
「うわ……綺麗……!」
「まるで祝福みたいだ。」
ミーナが目を輝かせて叫んだ。
「アレンさん、やっぱり奇跡です!」
「奇跡、ね……ただの副作用ですよ。」
呆れたように笑いつつも、その表情はどこか優しかった。
◇
その頃、王都。
神殿の最上層で、白い法衣に身を包んだ男が報告を受けていた。
「ルーデン村の周囲から、神域反応を再検知しました。対象は“癒し”系統、だが同時に“再構築”の属性を含みます。」
「再構築……? ありえん。あれはもはや創造の領域だ。」
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男はゆっくりと立ち上がる。
その名はハイゼル・エクレール。聖王国神殿の最高審問官にして、アレンがかつて仕えていた部署の直属の上司だった。
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「俺が行く。アレンが何を見て、何を掴んだのか。直接確かめる。」
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夜。
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そう呟いた瞬間、遠くで犬の遠吠えが聞こえた。
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