追放された万能聖魔導師、辺境で無自覚に神を超える ~俺を無能と言った奴ら、まだ息してる?~

たまごころ

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第13話 納屋が静かすぎる夜

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 その夜、アレンは久しぶりに自分の家に戻っていた。  
 といっても、まだ工事途中の半壊の木造小屋だ。天井の梁が途中で止まり、床も完全には張られていない。  
 それでも雨風はしのげるし、星はよく見える。  
 何より、王都の石造りとは違う温もりがここにはあった。  

 鍋の中では、村の子供たちがくれたイモと豆のスープがしずかに煮えている。  
 湯気を見ながらアレンは背をのばし、静かな夜気を吸い込んだ。  
 山の方には雲がかかり、虫の声が途切れがちだ。いつも賑やかな村の外れが、やけに静かに感じられる。  

 ――静かすぎる。  

 勘というより、世界の“呼吸”がずれているような違和感だった。  
 外の闇が、今夜だけ少し濃い。風の流れが一点に吸い込まれている。  

 ふと、納屋の扉がかすかに軋んだ。  
 すぐ近くの、羊と馬のいる共同の納屋だ。  
 普段なら動物たちの鼻息や鳴き声が聞こえるはずなのに、今夜は一音もしない。  

 アレンは鍋の火を消すと、立ち上がった。  
 ゆっくりと外に出る。  
 月光が雲に隠れ、村全体が霧のようにぼんやりして見える。  

「……嫌な気配だ。」  

 彼の足取りは迷いがなかった。  
 納屋までの短い道を進むたび、背筋にじっとりと汗が流れる。  
 風の中に、わずかに血の匂いが混じっていた。  

 扉を開けた瞬間、空気が凍った。  
 中は闇。  
 ランプの火すら吸われるように弱々しい。  

 アレンは掌をかざし、小さな照明の魔法を放つ。  
 だが、白光が空気に溶けるように掻き消えた。  
 通常の術式が働かない――結界だ。  

 彼は眉をひそめ、指先に別の術式を描く。  
「……“聖流安定式”。」  
 空間の揺らぎが整うと同時に、わずかな光が戻った。  

 そこにあったのは、奇妙すぎる光景だった。  
 羊も馬も、全員が眠るように立ったまま動かない。  
 呼吸が浅く、目を見開いたまま固まっている。  
 そしてその中央で、黒い影がじっと背を向けていた。  

「誰です。」  
 アレンが静かに声をかける。  

 影はすぐには答えず、背中越しに首だけこちらへ向けた。  
 目が、赤い。人ではない。  
 だが、どこか哀しい光を宿している。  
「……殺さないでください。」  

 囁くような声。  
 アレンは構えを解かず、近づいた。  
「人間の言葉を話すのですか。」  
「はい……僕は、魔族の子。王都から……逃げてきました。」  

 灯りがわずかに揺れると、その姿が明らかになった。  
 少年だ。十歳ほどの魔族。灰色の髪と長い耳、背に小さな角がある。  
 その手には錆びた鎖の残骸が巻きついていた。  

「捕虜、でしたか。」  
「研究されて……逃げました。ここなら、見つからないと思って……」  
 言葉を詰まらせながら、彼は涙をこらえた。  
 周囲に立つ家畜たちは、この少年が無意識に放つ魔力波に反応して“仮死状態”になっていたのだ。  

 アレンは息を吐いた。  
「なるほど。魔族は王都では禁制生物の扱い。生きたまま捕まれば、再実験に使われる。……難儀ですね。」  
「殺さないの?」  
「殺す理由がない。」  

 少年の目が震える。  
 アレンはゆっくりと膝をつき、同じ高さに視線を合わせた。  
「君の名前は?」  
「……セリオ。」  
「セリオ、少しの間ここにいなさい。ただし、外には出ないように。魔力の気配が強すぎる。匿うには工夫が必要です。」  
「いいの……? 本当に?」  
「ええ。ただ、騒ぎになれば困るのは君です。村の人は人間ですからね。」  

 セリオはきょとんとしたあと、小さく頷いた。  
「ありがとう……人間にありがとうって言ったの、初めて。」  

 アレンは微笑んだ。  
「では、記念日ですね。」  

         ◇  

 夜更け。  
 セリオを納屋の奥に寝かせ、アレンは小屋に戻った。  
 しかし、扉の前で足が止まる。  
 あの少年を王都が放置するはずがない。  
 王都と魔族の戦争は終わっていない。捕縛対象が逃げたとあらば捜索が入る。  

(おそらく三日以内に追跡部隊が来る。問題は……誰が命令を出しているかだ。)  

 胸の内に微かな痛みが走る。  
 十年前、彼が救おうとして救えなかった“魔族の少女”の顔が浮かんだ。  
 同じような赤い瞳。  
 その時、彼の中で何かがひとつ決まった。  

「……今度は、守ろう。」  

         ◇  

 翌朝。  
 ミーナが村の朝市に行く途中、納屋の前で不意に足を止めた。  
 中から微かに聞こえる声。  
「……にんげん? ……アレンさん?」  
「誰かいるの?」  

 扉を開けかけた瞬間、アレンが駆けてきた。  
「ミーナさん! 中には入らないでください。」  
「へ? え、な、なんで?」  
「ああ、いや、魔物……いえ、家畜の調整中でして。念のため封印術を試しているのです。」  
「へぇ……。アレンさん、なんでもできるんですね。」  

 ミーナは不思議そうに首をかしげたが、納屋の扉の隙間に一瞬だけ赤い光を見た。  
 それが何なのか問おうとした瞬間、アレンの穏やかな笑みが遮った。  
「心配いりませんよ。全て順調です。」  

         ◇  

 昼過ぎ。  
 村の外れを一羽の伝令鳥が飛び去っていった。  
 鳥の脚には黒い封蝋のついた通信筒。宛先は――王都聖殿。  

 そこには短い文面が記されていた。  

『目標区域において瘴気反応を観測。魔族由来と推定。  
 転移標の痕跡あり。再捕獲部隊を派遣されたし。』  

 夕暮れ、王宮の塔でその通報を受け取ったレオニール王子は、顔に笑みを浮かべる。  
「魔族を匿う、か。アレン、貴様はやはり“人”の側にはいない。」  

 命令が出される。  
 “異端者アレン=クロード及び魔族個体捕縛”――。  
 翌朝には、神殿騎士団の特別部隊が辺境へと出発することになる。  

         ◇  

 夜。  
 セリオは布団の中で眠っていた。  
 その顔には穏やかな笑みがある。  
 アレンはわずかに安堵し、扉の外の夜空を見上げた。  

「静かすぎる夜というのは、嵐の前触れと昔から決まっているんですがね。」  

 呟いたその声は、風に溶けて消えた。  
 村を包む闇の奥で、遠くから鎧のわずかなきしみが響く。  
 神殿騎士団――白銀の影が夜明けを待ち、すでに村へ向けて進行を始めていた。
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