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第14話 森の奥の少女
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夜明けの光が霧を裂き、ルーデン村の森を包み込んだ。
朝靄の向こうには無数の木々が並ぶ。昨日の夜までの静寂が嘘のように、鳥の囀りが戻っていた。
だが、アレンの心には妙なざらつきがあった。
あの“静かすぎる夜”――それがただの偶然とは思えない。
厨房で小鍋を火にかけながら、アレンは独り言のように呟いた。
「魔族の少年を匿い、瘴気の残滓が消えた。さて、次は何が来るのやら……。」
扉の向こうから足音。
ミーナが息を切らして駆け込んできた。
「アレンさん! 大変です!」
「落ち着いてください。今度は何がどうしました?」
「森へ入った狩人が帰ってこないそうです! 三人も!」
アレンは小鍋を止め、手を拭った。
「……連鎖してますね。封印が戻ったはずの祠、その奥か。」
村長からの呼び出しも待たず、アレンは外套を羽織った。
森に入る前に、納屋の扉を開け、眠るセリオに声をかける。
「セリオ、出てはだめですよ。今日は森の奥で少し見てくることがあります。」
「うん……気をつけて。」
その穏やかな返事に微笑みを返し、扉を閉める。
◇
森の入口には既に数人の若者が集まっていた。
皆、顔が青ざめている。行方不明者の家族の一部だ。
「朝になっても戻らない。血の匂いもしねぇんです。まるで消えたみたいなんだ。」
「足跡は?」
「途中で途切れてる。地面に吸い込まれたように……」
アレンは目を閉じ、地に片膝をつけた。
魔力の流れを探る。
空気がねじれている――歪み、だ。
自然界の循環が壊れたときに発生する、瘴気とは異なった異常。
「この範囲、一体何が……」
地脈を追うと、森のさらに奥、古樹群の中心に微かな光の線が見えた。
まるで、誰かが導くように。
アレンは立ち上がった。
「危険ですから、皆さんは戻ってください。私が一人で見てきます。」
「だけどアレンさん、一人で行くなんて――」
ミーナが心配顔で言いかけたが、アレンの表情を見て言葉を飲み込んだ。
彼の目は冗談を許さないほど冷静で、それでいて、どこか懐かしさを感じさせる静寂を湛えていた。
◇
森の奥は昼でも薄暗い。
木々が生い茂り、地面は黒く湿っている。
風が生温い。まるで森全体が息をしているようだった。
アレンは杖を軽く振り、足跡を浮かび上がらせる簡易の探査を行う。
三人分の新しい足跡が、確かに途中まで続いていた――が、突然そこで途切れ、地面の跡が不自然に陥没している。
「地割れ? ……いや、違うな。」
跡の先、赤いリボンが落ちていた。
アレンはそれを拾い、目を細める。
血はついていない。新品同然。誰かが意図的に置いたとしか思えない。
その瞬間、周囲の気配が変わった。
木々がかすかに揺れ、枝の隙間から影が落ちる。
「……通さない、ってことですね。」
軽く笑みを浮かべ、身構えた。
霧の中から現れたのは、一人の少女だった。
年の頃はミーナと同じくらい、十四、五。
しかし、その瞳は異様に透明で、体の輪郭が微かに透けている。
「あなた……人間?」
鈴のような声。
「ええ、たぶんそうです。あなたは?」
「“私は”、森の守人。けれど、もう守っていない。……あなたは、封印を壊した人?」
その問いにアレンの手が止まる。
「壊した覚えはありません。ただ、動きを止めた存在を鎮めただけです。」
「なら、同じ。”そこに眠るもの”を静かにしたのね。」
少女が微笑んだ。
その表情は儚げで、けれど不気味なほど穏やかだった。
「行方不明の村人たちは、どこに?」
「この森の底。……でも、もう人としては戻れない。」
アレンの眉が動く。
「それは、“何か”に喰われたという意味ですか?」
「喰われたのではなく、“飲まれた”の。森に。私も、そうして生まれた。」
唇から洩れるたび、風が止まり、空気が冷たくなる。
アレンは静かに杖を構えた。
「あなたがそれを望んだのですか?」
「違うけど……もう止まらない。森は飢えてる。だから、あなたも“取り込まれる”。」
少女の瞳が緑から赤へと変わった。瞬間、周囲の地面が脈打つように揺れた。
次々に現れる影。かつての村人たちが、木皮に覆われた“殻”と化していた。
動くたびに軋む音を立て、目だけが虚ろにアレンを見つめる。
「……これが、森に飲まれた人間の成れの果てですか。」
アレンは大地に手をついた。
「ならば、あなたたちごと洗い流しましょう。眠りの中で、もう一度“人の形”へ。」
地面から光が走る。
彼の足元に円環状の陣が展開し、空気が逆巻く。
それは攻撃でも破壊でもなく、“再構築”の力――古の聖魔融合術の応用だ。
「――再生領域《リグレス・キャンバス》。」
光が森全体に広がる。
霧が消え、黒い土が淡く透き通る。
木人たちの体から木皮がはがれ、下から人間の肌が覗いた。
少女が驚き、目を見開く。
「そんなこと……できるはずが……!」
「“できるはずがない”は、昔から人の勝手な理屈です。自然はもっと寛容ですよ。」
光が収まり、地に横たわる人々の呼吸が戻った。
少女はおののきながらアレンを見上げ、頬を紅潮させる。
「……あなた、何者?」
問いに対し、アレンは少し笑いながら答えた。
「ただの、少し頑固な治癒師です。」
少女は俯き、ぽつりと呟く。
「私、もうすぐ消える。役目がなくなったから。」
「本来のあなたは何を守っていたんです?」
「人の願い。森を“癒せ”という声。けれど……その人は、もういない。」
遠い昔を懐かしむように微笑む姿に、アレンは息を飲んだ。
「なら、今度は自分のために生きなさい。」
「生きる……わたしが?」
「ええ。その役目“だけ”で存在していたなら、今からでも人としてやりなおせる。ほら――。」
アレンが手を掲げると、少女の体に淡い光が走る。
霧のようだった身体が少しずつ形を取り、人間の肌を取り戻していく。
彼女の肩に置かれた手が温かく光る。
「名前は?」
「……リィナ。森の……リィナ。」
「いい名です。明日からここでは、ただの“リィナ”でいい。」
少女の瞳がかすかに潤んだ。
「ありがとう。わたし、こんな風に名前を呼ばれたの、初めて。」
「では、それも今日が記念日ですね。」
◇
帰り道、運ばれた村人たちは気絶していたが命に別状はなかった。
森の異変は沈静化し、一帯の魔力も安定を取り戻した。
村に戻ると、ミーナが泣きそうな顔で出迎えた。
「アレンさん! 本当に無事でよかった……!」
「ええ。少しだけ新しい“村人”を拾ってきましたがね。」
「へ?」
アレンの後ろに立つ少女を見て、ミーナは目を丸くした。
リィナは恥ずかしそうに会釈をする。
「もしかして……また拾ってきました?」
「拾われました、の方が正しいかもしれません。」
笑い合う二人の傍らで、リィナの瞳がふと空を見上げた。
その向こう、遠くの空に光の筋が走る。
王都からの伝令船の魔法航路。
アレンはわずかに眉を寄せ、心の中でつぶやいた。
「静かな夜が続くわけがないか。」
風が吹き抜け、森の青葉がさざめく。
リィナの髪に陽が差し、まるで復活した命を祝うかのように輝いていた。
その一方で――その光景をひとり、離れた丘の上から見下ろす銀髪の男の姿があった。
審問官ハイゼル・エクレール。
微動だにせず、ただ呟く。
「再構築術……完全に再現している。アレン、君は本気で“神”を超える気か?」
彼の瞳に映るのは、光を背負い立つアレンの背。
それは、もはや人の理におさまりきらない存在の始まりだった。
朝靄の向こうには無数の木々が並ぶ。昨日の夜までの静寂が嘘のように、鳥の囀りが戻っていた。
だが、アレンの心には妙なざらつきがあった。
あの“静かすぎる夜”――それがただの偶然とは思えない。
厨房で小鍋を火にかけながら、アレンは独り言のように呟いた。
「魔族の少年を匿い、瘴気の残滓が消えた。さて、次は何が来るのやら……。」
扉の向こうから足音。
ミーナが息を切らして駆け込んできた。
「アレンさん! 大変です!」
「落ち着いてください。今度は何がどうしました?」
「森へ入った狩人が帰ってこないそうです! 三人も!」
アレンは小鍋を止め、手を拭った。
「……連鎖してますね。封印が戻ったはずの祠、その奥か。」
村長からの呼び出しも待たず、アレンは外套を羽織った。
森に入る前に、納屋の扉を開け、眠るセリオに声をかける。
「セリオ、出てはだめですよ。今日は森の奥で少し見てくることがあります。」
「うん……気をつけて。」
その穏やかな返事に微笑みを返し、扉を閉める。
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皆、顔が青ざめている。行方不明者の家族の一部だ。
「朝になっても戻らない。血の匂いもしねぇんです。まるで消えたみたいなんだ。」
「足跡は?」
「途中で途切れてる。地面に吸い込まれたように……」
アレンは目を閉じ、地に片膝をつけた。
魔力の流れを探る。
空気がねじれている――歪み、だ。
自然界の循環が壊れたときに発生する、瘴気とは異なった異常。
「この範囲、一体何が……」
地脈を追うと、森のさらに奥、古樹群の中心に微かな光の線が見えた。
まるで、誰かが導くように。
アレンは立ち上がった。
「危険ですから、皆さんは戻ってください。私が一人で見てきます。」
「だけどアレンさん、一人で行くなんて――」
ミーナが心配顔で言いかけたが、アレンの表情を見て言葉を飲み込んだ。
彼の目は冗談を許さないほど冷静で、それでいて、どこか懐かしさを感じさせる静寂を湛えていた。
◇
森の奥は昼でも薄暗い。
木々が生い茂り、地面は黒く湿っている。
風が生温い。まるで森全体が息をしているようだった。
アレンは杖を軽く振り、足跡を浮かび上がらせる簡易の探査を行う。
三人分の新しい足跡が、確かに途中まで続いていた――が、突然そこで途切れ、地面の跡が不自然に陥没している。
「地割れ? ……いや、違うな。」
跡の先、赤いリボンが落ちていた。
アレンはそれを拾い、目を細める。
血はついていない。新品同然。誰かが意図的に置いたとしか思えない。
その瞬間、周囲の気配が変わった。
木々がかすかに揺れ、枝の隙間から影が落ちる。
「……通さない、ってことですね。」
軽く笑みを浮かべ、身構えた。
霧の中から現れたのは、一人の少女だった。
年の頃はミーナと同じくらい、十四、五。
しかし、その瞳は異様に透明で、体の輪郭が微かに透けている。
「あなた……人間?」
鈴のような声。
「ええ、たぶんそうです。あなたは?」
「“私は”、森の守人。けれど、もう守っていない。……あなたは、封印を壊した人?」
その問いにアレンの手が止まる。
「壊した覚えはありません。ただ、動きを止めた存在を鎮めただけです。」
「なら、同じ。”そこに眠るもの”を静かにしたのね。」
少女が微笑んだ。
その表情は儚げで、けれど不気味なほど穏やかだった。
「行方不明の村人たちは、どこに?」
「この森の底。……でも、もう人としては戻れない。」
アレンの眉が動く。
「それは、“何か”に喰われたという意味ですか?」
「喰われたのではなく、“飲まれた”の。森に。私も、そうして生まれた。」
唇から洩れるたび、風が止まり、空気が冷たくなる。
アレンは静かに杖を構えた。
「あなたがそれを望んだのですか?」
「違うけど……もう止まらない。森は飢えてる。だから、あなたも“取り込まれる”。」
少女の瞳が緑から赤へと変わった。瞬間、周囲の地面が脈打つように揺れた。
次々に現れる影。かつての村人たちが、木皮に覆われた“殻”と化していた。
動くたびに軋む音を立て、目だけが虚ろにアレンを見つめる。
「……これが、森に飲まれた人間の成れの果てですか。」
アレンは大地に手をついた。
「ならば、あなたたちごと洗い流しましょう。眠りの中で、もう一度“人の形”へ。」
地面から光が走る。
彼の足元に円環状の陣が展開し、空気が逆巻く。
それは攻撃でも破壊でもなく、“再構築”の力――古の聖魔融合術の応用だ。
「――再生領域《リグレス・キャンバス》。」
光が森全体に広がる。
霧が消え、黒い土が淡く透き通る。
木人たちの体から木皮がはがれ、下から人間の肌が覗いた。
少女が驚き、目を見開く。
「そんなこと……できるはずが……!」
「“できるはずがない”は、昔から人の勝手な理屈です。自然はもっと寛容ですよ。」
光が収まり、地に横たわる人々の呼吸が戻った。
少女はおののきながらアレンを見上げ、頬を紅潮させる。
「……あなた、何者?」
問いに対し、アレンは少し笑いながら答えた。
「ただの、少し頑固な治癒師です。」
少女は俯き、ぽつりと呟く。
「私、もうすぐ消える。役目がなくなったから。」
「本来のあなたは何を守っていたんです?」
「人の願い。森を“癒せ”という声。けれど……その人は、もういない。」
遠い昔を懐かしむように微笑む姿に、アレンは息を飲んだ。
「なら、今度は自分のために生きなさい。」
「生きる……わたしが?」
「ええ。その役目“だけ”で存在していたなら、今からでも人としてやりなおせる。ほら――。」
アレンが手を掲げると、少女の体に淡い光が走る。
霧のようだった身体が少しずつ形を取り、人間の肌を取り戻していく。
彼女の肩に置かれた手が温かく光る。
「名前は?」
「……リィナ。森の……リィナ。」
「いい名です。明日からここでは、ただの“リィナ”でいい。」
少女の瞳がかすかに潤んだ。
「ありがとう。わたし、こんな風に名前を呼ばれたの、初めて。」
「では、それも今日が記念日ですね。」
◇
帰り道、運ばれた村人たちは気絶していたが命に別状はなかった。
森の異変は沈静化し、一帯の魔力も安定を取り戻した。
村に戻ると、ミーナが泣きそうな顔で出迎えた。
「アレンさん! 本当に無事でよかった……!」
「ええ。少しだけ新しい“村人”を拾ってきましたがね。」
「へ?」
アレンの後ろに立つ少女を見て、ミーナは目を丸くした。
リィナは恥ずかしそうに会釈をする。
「もしかして……また拾ってきました?」
「拾われました、の方が正しいかもしれません。」
笑い合う二人の傍らで、リィナの瞳がふと空を見上げた。
その向こう、遠くの空に光の筋が走る。
王都からの伝令船の魔法航路。
アレンはわずかに眉を寄せ、心の中でつぶやいた。
「静かな夜が続くわけがないか。」
風が吹き抜け、森の青葉がさざめく。
リィナの髪に陽が差し、まるで復活した命を祝うかのように輝いていた。
その一方で――その光景をひとり、離れた丘の上から見下ろす銀髪の男の姿があった。
審問官ハイゼル・エクレール。
微動だにせず、ただ呟く。
「再構築術……完全に再現している。アレン、君は本気で“神”を超える気か?」
彼の瞳に映るのは、光を背負い立つアレンの背。
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