追放された万能聖魔導師、辺境で無自覚に神を超える ~俺を無能と言った奴ら、まだ息してる?~

たまごころ

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第48話 風の子たち

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 春の終わり、デールの街は陽気に包まれていた。  
 森の桜に似た白花が散り始め、風とともに街の上空を舞っていく。  
 丘の上の風譜の館には多くの子どもたちが集まり、「風の授業」と呼ばれる小さな学びの時間が始まるところだった。  
 リィナは窓を開け放ち、風の入り具合を確かめながら声を張った。  
 「さあ、今日は“風に名前をつける日”よ!」  
 机に並ぶ小さな顔たちが一斉にぱっと輝く。  

 「ねぇ先生、たとえば“風太”とかでもいい?」  
 「いいわね。でも風太にはどんな性格があるの?」  
 「えっと……優しいけど、時々怒って嵐になる!」  
 「ふふ、それもまた人間の風ね。」  
 数人の子どもが笑い、別の子が続けて「ぼくは“すや風”。ねむいの」と言って昼寝を始め、また笑いが起きた。  
 この部屋の空気には、どこかもう一人いるような温もりが漂っていた。  
 時折、窓から吹き込む風が彼女の髪を撫でていくと、昔からの友人がそっと背中を押しているようでならなかった。  

 授業が終わると、子どもたちは自分たちで作った小さな「風車紙」を持って丘を駆け下りていった。  
 風に紙を乗せ、回転するたびにそれぞれの名前が風に擦れて微かな音を立てる。  
 その音を聞きながら、リィナは笑顔で手を振った。  
 「いい風になって帰ってきてね。」  
 青空の中で紙片が点のように散っていく。子どもたちの笑い声が、町じゅうの風車と混ざり合い、遠くまで届いていた。  

         ◇  

 午後になると、メイルが館に顔を出した。  
 「主任、少しよろしいですか?」  
 「どうしたの?」  
 「記録院から新しい報告書が届きました。北の山岳地帯で“風の記憶層”が形成されたそうです。」  
 「記憶層?」  
 「風に蓄積された語りや歌が重なって、空気そのものが響いているのだと。」  
 メイルはわくわくした様子で地図を広げる。  
 「ここです、この谷のあたり。でも観測隊の人たちは“誰かの声が返ってくる”って言うんです。」  
 リィナの胸がわずかに揺れた。  
 ――誰かの声。  

 「現地へ行く準備をお願いします。」  
 「主任も同行されるのですか?」  
 「ええ。風が話すなら、きっとあの人もいる。」  
 リィナの瞳は、過去と未来を見つめるように静かに輝いていた。  

         ◇  

 山岳への旅は二日かかった。  
 森を抜け、岩肌が露出する道を登るたびに風は強さを増す。  
 谷の入口には灰色の石碑があり、古い文字で「風を綴る地」と刻まれていた。  
 メイルが耳を澄ませて言った。  
 「聞こえます……声です!」  

 その瞬間、空から透明な響きが降り注いだ。  
 耳には届かないほど細い音。でも胸の奥に、確かに言葉が触れる。  
 『――ここにいるよ。』  
 声は懐かしかった。  
 「アレンさん……?」  
 リィナが囁いた途端、風が旋回し、谷の壁一面に光の模様が浮かび上がった。  

 模様は文字でも絵でもない、まるで生きた風そのもののように流動している。  
 小さな音が連なり、ひとつの旋律を形づくった。  
 それは彼が残した“理風の詩”――再構築の時代の終わりに歌われた祈りの旋律。  

 かつて、アレンがこの場所で最後に話した言葉が甦る。  
 『語ること、それは理そのものだ。人が声を持てば、世界はまた動き出す。』  
 その音が蘇ったのだ。  

 谷の空気がまるで透明な水のように光る。  
 やがて風が彼女の周囲に集まり、柔らかく旋回した。  
 その中心に、小さな光の粒が生まれる。かすかに、人の形を思わせた。  
 「あなたの風……」  
 “リィナ、聞こえるか。”  
 「ええ。」  
 “僕はこの地の風に宿っていた。人が声を放つたび、その波がここに届いて少しずつ膨らんでいったんだ。”  
 「あなたが繋いでくれたから。だからこの世界はまだ語り続けているのね。」  
 “それを確かめに来たのだろう?”  
 「あなたに会うためです。」  
 “なら、もう一度始めよう。”  

 風の粒が彼女の胸に触れた。  
 次の瞬間、谷のあちこちから新しい音が響く。  
 子どもたちの笑い声。老人の祈り。旅人の歌。  
 それらが渾然となって一つの調べへと昇華していく。  
 リィナは涙を堪えきれなかった。  
 誰かが隣で笑っているような気配がした。  
 まるでアレン自身が、この風景そのものになったようだった。  

 彼の声が再び響く。  
 “人の記録はいつか消える。だけど、風は永遠に再生する。  
 言葉を残すことに意味があるんじゃない。話したその瞬間に、世界は更新されるんだ。”  
 「あなた……まるで今でも続けているみたい。」  
 “そうだ。理に終わりはない。君のように、語る者がいる限り。”  
 「じゃあ、これからも語ります。いつか子どもたちが、風の意味を自分で見つけられるように。」  
 “それが一番だ。”  
 アレンの声が遠のいていく。風の中に溶けて形を失う。  
 「待って、もう少しだけ――!」  
 けれど、答えは残り風だけだった。  

         ◇  

 山を下りる頃、風は穏やかになっていた。  
 谷を抜けて平原に戻ると、すでに夕暮れが迫っていた。  
 メイルが空を見上げる。  
 「主任、ほら!」  
 西の空に、澄んだ青色の帯が伸びていた。  
 それはまるで天空に浮かぶ一本の道のように広がっている。  
 「これは……!」  
 リィナは思わず息を飲んだ。  
 その帯の中に、風文字がいくつも瞬いている。  

 『ここからは、君たちの言葉で。』  

 アレンの最後の言葉だった。  
 リィナはそっと目を閉じた。  
 風が頬を撫で、再び吹き抜ける。  
 「さよなら。でもまた会える。きっと、次の語りで。」  

         ◇  

 デールへ戻ると、街は夕焼けの中に包まれていた。  
 風車がゆっくりと回り、子どもたちの作った“風の子”――風太やすや風、笑風が空を舞っている。  
 リィナはその光景を見上げ、小さな声で呟く。  
 「喜んでるのね。あなたがくれた風の名が、こうして生きてる。」  

 館に戻ると、机の上に一枚の新しい紙が置かれていた。  
 見覚えのない筆跡で、そこにはたった一行だけ。  

 ――『風の子たちは、もう歩き出した。』  

 彼女は微笑み、青い羽根をその上に置いた。  
 窓を開けると、夜風が室内に流れ込む。  
 羽根がふっと浮かび、外の闇に溶けていった。  

 その晩、デールには穏やかな風が吹き続けた。  
 どこからともなく届くささやきが、眠る人々の夢を撫でていく。  

 ――人が言葉を失わない限り、世界にはいつも風がある。  
 そしてその風には、語りの灯が息づいている。  

 夜空を横切る流星が、まるで誰かの笑い声のように広がった。  
 風の子たちが奏でる未来の音を、リィナは静かに聴いていた。  
 その耳に、かすかに届く。  

 「おやすみ、リィナ。」  

 それは、かつて理を繋いだ人の声だった。  
 彼の言葉はもう夢でも幻でもない。  
 ただ、風と共にある現実の声。  

 春の夜の空には、見えない手が新しい物語を書き続けていた。  
 それがこの世界の“再構築”の本当の姿――終わらない語りの中で生き続けるということだった。
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