追放された万能聖魔導師、辺境で無自覚に神を超える ~俺を無能と言った奴ら、まだ息してる?~

たまごころ

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第47話 風宿(ふうしゅく)の約束

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 デールの街に春の雨が降った。  
 森の端の丘から見下ろすと、街全体が靄に包まれ、風車の羽根が霧の中で静かに回っている。  
 リィナは外套の裾を払い、滑らないように杖をついて歩いた。  
 彼女がこれから向かうのは、かつてアレンが残した最後の研究地――“風宿の塔”。  
 王都と森のあいだにあるその塔は、理を観測するための古い遺構であり、今では世界中の風が交差する地として知られている。  

 ルディア王国の記録院から正式な依頼が届いたのは一ヶ月前だった。  
 近年、風宿の塔の周辺で異常な共鳴波が観測されているという。  
 「世界の風が、ひとつの場所に還ろうとしているのかもしれない」――リリアの署名が添えてあった。  

 リィナは出発前に風譜の館を後継者のメイルに任せ、最小限の荷をまとめた。  
 そして、ただ一つ懐に入れたのは、アレンが遺した青い羽根――“理風の鍵”。  
 彼の声がまだどこかでこの風に溶けているような気がしてならなかったのだ。  

         ◇  

 塔への道は静寂そのものだった。  
 森を抜けると、小さな谷が広がる。  
 谷底には透明な池があり、その中央に塔の影が映っている。  
 石造りの塔は半ば崩れながらも健在で、周囲には無数の風紋が刻まれていた。  
 一本の杖を突きながらリィナは進む。塔の扉は開いており、中から微かな風の唸りが聞こえる。  

 「ここが、風の記憶の始まり……。」  

 塔の中央には、円形の祭壇があった。  
 その上に、古代語で“風宿の碑(いしぶみ)”と刻まれた青い石が静かに光っている。  
 リィナが近づくと、石の表面にうっすらと波紋が走った。  
 手を伸ばし、指先を触れさせる。  
 瞬間、空気が震え、塔全体が低く唸った。  

 「……応えている。」  
 彼女の声に呼応するように、風が舞い上がり、天井の孔を抜けて空へ昇る。  
 塔の壁面に刻まれた古文字が淡く輝き、闇の中に線を描き始める。  
 光の筋が絡みあい、空中にひとつの姿を形作った。  

 それは、青白い風の衣を纏う人影。  
 輪郭は儚く、しかし確かに見覚えのある姿だった。  
 「……やっぱり、あなたなのね。」  
 数年ぶりに耳にする、懐かしい笑い声が響いた。  

 「君は変わらないな、リィナ。」  
 「あなたこそ……また記録に残るような登場の仕方をして。」  
 アレンは静かに笑い、半透明の手を掲げた。  
 「この塔は、僕が最後に設計した装置の一部だ。世界中の風に刻まれた記録を一度だけ集約できるようにした。」  
 「じゃあ、この共鳴は……?」  
 「人の声だよ。」  
 アレンの目が穏やかに光る。  
 「風に託されたすべての願いが、行き場を無くして集まってきている。  
  その願いが、次の理を求めているんだ。」  
 リィナは息を呑んだ。  
 「次の理……それは、私たち人の理とは別の?」  
 「違わない。けれど、それを“書く者”が必要なんだ。君しかいない。」  
 「私が?」  
 「君は世界を見た。悲しみも喜びも、すべて記録してきた。  
  理とは式ではなく、物語の総和なんだ。それを形にすれば、風は次の世代へ繋がる。」  

 沈黙が塔を包んだ。  
 リィナは祭壇の前で膝をつき、青い羽根を取り出した。  
 「なら、もう一度――あなたに助けてもらうわね。」  
 羽根が光を放ち、青い粒子が彼女とアレンの間に散る。  
 彼女の筆箱が震え、金のペンが宙に浮かぶ。  
 アレンの声が優しく響いた。  
 「これは僕から“語る権利”の贈り物だ。」  

 彼女は深く息を吸い、ペンを走らせた。  
 空中に文字のような光が幾重にも描かれる。  
 それは音楽の旋律のようでもあり、祝詞のようでもあった。  
 「アレンさん……聞いていてくださいね。」  

 『今ここに、新しい理を刻む。  
  それは神のためではなく、人が生きるための記録。  
  悲しみも誇りも、すべてが風となって巡り、人を再び結ぶ。  
  書く者と読む者を隔てない理――名を“語生(ごしょう)の風”という。』  

 塔の光が爆ぜた。  
 風が渦を巻き、青い炎のように天へ伸びる。  
 アレンの姿がその中に溶けていく。  
 「ありがとう、リィナ。君なら続けてくれると信じていた。」  
 「消えてしまうの?」  
 「僕はもう、世界そのものの声になる。それが一番自然な姿だ。」  
 「嫌です……!」  
 「僕は永遠に君たちの風の中にいる。君が書けば、僕はそこにいる。  
  だからこの先の理を、どうか見届けて。」  

 リィナの目から涙が落ちた。  
 風の粒がそれを包み、光に変える。  
 「約束します。」  
 「ありがとう。さあ、新しい世界の夜明けを――」  

 アレンの姿が霧のように消えた瞬間、塔は白光に包まれた。  
 外の空に裂け目のような光環が走り、無数の風が四方へと飛び散る。  
 その音はまるで、世界中の人々が一斉に息をする音だった。  

         ◇  

 目を開けると、リィナは塔の外にいた。  
 雨は止み、空は鏡のように澄んでいた。  
 森の上には、見たことのない光の帯が浮かんでいる。  
 それはまるで風そのものが色を持ち、世界を織り成しているかのようだった。  

 リィナの周囲には、吹き溜まる風が集まっていた。  
 彼女が新たに刻んだ理が、風そのものとなり始めている。  
 「これが、語生(ごしょう)の風……。」  
 風が頬をかすめた。  
 その中に微かにアレンの声が混ざっている。  

 ――ありがとう。君がいる限り、理は続く。  

 「ええ、ちゃんと聞こえています。」  
 彼女は頷き、祭壇から拾い上げた青い羽根を胸に抱いた。  
 今ではその輝きは金に変わっている。  
 「これがあなたの旅の終わりなら、私の旅の始まりですね。」  

         ◇  

 デールに帰り着いたのは数日後だった。  
 街は風名の余韻に満ち、子どもたちは風の名前で遊び始めている。  
 メイルが駆け寄り、息を弾ませながら言った。  
 「主任! 世界中の観測塔で“新しい声”が記録されました! 風が言葉を発しているんです!」  
 リィナは頷き、微笑んだ。  
 「それでいいの。これからは、風が自分で語る時代よ。」  

 人々の笑い声が響く。  
 空の雲が散り、黄金の帯が再び現れた。  
 リィナは羽根を掲げ、囁く。  
 「あなたの願いは、確かに受け継ぎました。  
  この世界はもう、語りと風が共にある。」  

 風が一際強く吹く。  
 街の風車が一斉に回り、人々が歓声を上げた。  
 その光景を見上げながら、リィナは心の中で静かに告げた。  

 ――アレンさん、聞こえますか?  
 ――あなたの理は、いま“生きて”話しています。  

 風が優しく頬を撫でる。  
 まるで「聞こえている」と答えるように。  
 金色の光が街を包み、人々の間をくぐり抜けて、遠い空に消えていった。  

 風宿の約束は果たされた。  
 理は記録となり、物語は風となる。  
 そして風は、名も知らぬ誰かの息吹の中に再び宿っていく。  

 その夜、リィナの机には一枚の新しい紙があった。  
 そこにはこう記されていた。  

 ――『理はもう旅を終えた。しかし風の物語はこれから始まる。  
  語る者がある限り、この世界に沈黙は訪れない。  
  名もなき風へ、感謝を。』  

 窓の外では春告げの風が吹いていた。  
 どこまでも柔らかく、どこまでも優しい風だった。
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