元亀戦記 江北の虎

西村重紀

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第二章 家督

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 この戦国時代における主従関係の基本は〝恩賞と奉公〟である。主君と家臣は持ちつ持たれつ、つまり〝ギブアンドテイク〟の関係なのだ。主従関係及び軍事組織の根幹は、寄親、寄子の制度にあった。寄親は重臣などの有力家臣で、寄子は別称を寄騎、もしくは同心といい、寄親の下に配属された下級武士だ。寄親は、日常に於いて寄子を監視し取り締まり、また訴訟や嘆願などの取次も行った。戦時には、寄親は配下の寄子を従え、主君のために参陣した。ただ、寄親と寄子の間に主従関係はなく、両者は何れも身分上では主君の家臣である。あの晩、雨森城に集った者は皆、寄親に該当した。
 数多の群雄が割拠する戦国時代に於いて、戦国大名は家臣にとって必ずしも絶対的な専制主君とはいえない。江戸時代に見られる主従関係はこの時点ではまだ存在せず、戦国時代の主君と家臣団は、互いに依存し合い協力体制を取る同志の関係にあった。戦国最強と謳われた武田信玄や、軍神上杉謙信ですら、家臣団の意向を無視して勝手に出陣することは出来ず、何事も評定を開いた上で決定が下されていた。
 時として家臣団の意向を無視する主君は、皆一様に下剋上の餌食となった。下剋上とは、下が上に剋つと書くが、文字通り下の立場にある者が上位者を斃し、その地位を奪うことに相違ない。浅井家も亮政の代に、下克上で主家筋に当たる京極家を倒し、北近江の盟主となって君臨することになった。しかし久政は、雨森清貞たち寄親にとって良き主君ではなかった。それ故、浅井家の将来を担う賢政に対する彼らの期待は尋常ならざるものがあった。

 野良田の合戦の時、浅井と同盟を結ぶ越前の朝倉左衛門督義景は北近江に援軍を派遣している。
 そのお礼として久政は義景に茶器を送った。井戸茶碗だ。更に義景からその返礼として、以前から久政が所望していた鷹が一居ひともと送られて来た。因みに鷹は、一羽、二羽とは数えず、一居ひともと二居ふたもとと数える。一歳を迎えたメスのハイタカだ。つまり一回換羽した片塒である。鷹匠による調教も済んでおり、いつでも鷹狩に出掛けられる。
 鷹狩に使う鷹は、大型のものだとオオタカやクマタカなどがあるが、何れも気性が荒い。そのため、中型のハイタカやハヤブサなどがよく使われ、性別はメスの方がよいとされる。
 鷹匠が、山に分け入り巣から雛を取り出して、幼いうちから鳥の肉などを与え育てるのだ。
 戦国時代には鷹狩が盛んに行われていた。戦国大名は皆、挙って鷹狩に熱中していた。また、茶器と同様に鷹は贈答品として重宝されていたのだ。
 戦国時代後期に入り、織田信長によって天下の大勢が決すると、東北地方や各地の大名は、信長と誼を通じるため鷹を送っていた。
 秋が深まった頃、久政は僅かばかりの家臣を伴い鷹狩に出掛けた。無論、朝倉義景から送られたあの一歳になるメスのハイタカを連れて出掛けた訳だ。
 久政は朝から上機嫌で小谷城を発った。狩場は小谷山の西、山本山辺りだ。獲物は野ウサギやキジなどの小動物である。
 その日の辰の刻限(午前八時)。
 赤尾清綱、海北綱親、雨森清貞たち浅井三人衆を中心とした寄親たちは、遂に行動を起こした。久政が鷹狩に出掛けた隙を衝いて、赤尾らは配下の寄子を率いて小谷城に押し寄せ占拠したのだ。
 北近江の山野に自慢の鷹を放ち、鷹狩を堪能している久政の許に、重臣らによる謀叛の報せが届いたのは昼前だった。
「お屋形様、一大事でございますっ!」
 小谷城から馬を飛ばして馳せ参じた小姓が、乗馬したまま久政に言上した。
 それは、五郎丸と名づけたメスのハイタカが、野ウサギを捕らえた直後だった。鷹匠と談笑していた久政は、鷹の鋭い爪で締めつけられ絶命した獲物を一瞥すると、馬上の小姓に怪訝そうに目をくれた。
「何事じゃ……?」
「む、謀叛にございます」
「謀叛じゃと……」
 久政は我が耳を疑うような素振りを見せた。
「赤尾、海北、雨森殿らの手勢によって、先ほど小谷城を奪われました」
「ま、まことか……こうしてはおれぬ。即刻小谷に引き上げるぞ」
 久政は吐き捨てるように言うと、皮手袋を外し、それを近習に手渡した。そして、この近くで、手綱を繋いでいる馬の許へ早足で向かった。
 半刻(一時間)後、久政一行が小谷城に戻ってみると、全ての城門が閉じられ、矢倉で監視に当たっていた城兵たちが鏃を向けて来た。
「美作っ、これは一体何の真似じゃ!」
 閉じられた大手門の前で、久政は赤尾清綱の官途名を叫んだ。
 すると、甲冑を着込んだ清綱が矢倉に現れた。
「お屋形様には家督をご嫡男新九郎様にお譲り遊ばし、速やかにご隠居頂けるようお願い申し上げます」
「おのれ、謀ったな……」
「お聞き届け願わぬ時は、我ら皆お屋形様と一戦に及ぶ覚悟」
 清綱の右横に立つ清貞が澱みない言葉で言った。
「誰かぁ! 謀叛人どもを成敗致せ!」
 顔を紅潮させた久政が、わなわなと両肩を震わせながら呻った。
「矢を射かけよ」
 清綱は、威嚇射撃を矢倉の上の弓衆に命じた。
 途端、数本の矢が放たれ、久政は恐れ慄いた。そのあと身の危険を感じた久政は、僅かな供を連れ湖上に浮かぶ竹生島へ逃れた。
 斯くして浅井家の当主は、二代久政から三代賢政へ移ることになった。不承不承ながらも、時流に逆らえず家督を息子に譲った久政は、それ以降京極丸へ移った。
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