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第三章 美濃攻め
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吐く息が白くなり始めた師走の半ば頃、遠藤直経は家人を伴い、雪がちらつき始めた小谷城下の清水谷を歩いていた。
時刻は、申の下刻(午後五時前)。
陽も落ち清水谷の町は闇に覆われていた。頼りとなる明かりは、常夜灯の燈火と家人が直経のために足下を照らす燭台の微かな光だけだった。
「近頃はめっきりと寒くなりましたね、旦那様」
「ああ」
直経は、先を行く家人の弥平次の背中に向かって頷く。
これから直経主従が向かう先は、清水谷に立つ安養寺氏秀の拝領屋敷だった。
小谷城下の清水谷は区画整備され、浅井家の重臣たちの拝領屋敷が建ち並んでいた。そればかりではなく、市場や商家など町衆たちの家々も軒を連ねていた。
浅井家の家臣たちは、普段それぞれの領地に築かれた城や館に居を構え、領国経営を行っていたのだが、特に主だった家臣はこの清水谷に居館を持ち在番していた。直経や氏秀もその中の一人だった。
「ここで待っておれ」
「はい」
弥平次に告げると、直経は安養寺家の木戸門脇の通用口を潜り、敷地内に足を踏み入れた。勝って知ったる何とやれで、そのまま正面玄関の式台まで行く。
引き戸の前に立つ。
「ごめんっ」
直経は、家中の者に聞こえるよう大声を張り上げた。
すると、それほど間を置かず、安養寺家に仕える家人が直経の前に現れた。
「これは遠藤様ではございませぬか、ささお上がり下さい。奥の座敷にて主が待っております」
「左様か」
直経は、軽く雪を掃い落すと蓑傘と腰に佩びた太刀を安養寺家の家人に渡した。
藁で編んだ深沓を脱ぎ屋敷内に上がった。
家人に案内され、奥座敷に向かう。襖障子を開け八畳ほどの広さの部屋に入った。
「遅くなり申した」
直経は、背中を丸め火鉢に手を翳す氏秀に告げた。
「外は寒かったであろう。さあ、こっちに来て喜右衛門殿も火鉢に当たったらどうじゃ」
「忝い」
直経は小さく頷くと、火鉢の前に腰を下ろした」
「誰か、酒を持って来い」
「安養寺殿、拙者のことはお構いなく。それよりも本日のご用の趣きは……?」
「まあ、そう焦るな」
短気な直経とは違い、気長な氏秀は笑みを浮かべながら言った。
「されど……」
直経は上目遣いで氏秀を見詰める。
ちょうどそこに、女中が酒と肴を乗せたお膳を運び入れた。
「そこに置いて下がれ」
「はい」
頷くと、女中はお膳を火鉢の横に置き、直経に一礼して座敷を離れた。
酒の肴は、琵琶湖で獲れた川魚を煮たものだった。魚は本諸子だ。
「生憎こんなものしか出せんが……さあ召し上がれ」
「これは忝い、ご相伴に預かる」
早速諸子を煮たものに箸を伸ばした。
「上手い」
「左様か、それは良かった」
「ささ、一献」と酒も勧める。
「これは相済まぬ」
酒が進み、ほろ酔い気分になったところで、氏秀は本題に切り出した。
「本日、喜右衛門殿にお越し頂きたのは、お屋形様のことで少し……」
「お屋形様が如何致した?」
尋ねながら直経は、杯の酒を飲み干した。
「何れ織田と手を結ぶおつもりとみた」
そう明言しながら、氏秀は直経に酒を勧める。
直経は杯を差し出しながら、怪訝そうに首を傾げる。
「……織田とか、あまり感心出来ぬ話でござるな」
「左様だ」
「拙者の下で働く細作(忍者)の話によると、六角が放った甲賀者の他、織田の手の者らしき間者が、この清水谷に出入りしておるみたいじゃ」
言ったあと、直経は酒臭い溜め息を吐き出した。
「六角入道承禎殿からの偏諱である賢の文字を捨てられたまでは良かったのじゃが、まさか長政様と変えられてしまわれるとは思いも寄らなんだ。我が倅、三郎左衛門を尾張清須に遣わし、大うつけと誼を通じるとは……お屋形様は一体何をお考えなのじゃ」
「お屋形様の叔父御井口殿も嘆いておられた。尾張の大うつけに被れておられると……」
直経は残念そうに首を横に振った。
「早急に手を打たねばならぬの」
杯の中の酒を飲み干し、氏秀は呟くように言った。
「ああ」
直経も相槌を打つと、酒の喉の奥に流し込んだ。
時刻は、申の下刻(午後五時前)。
陽も落ち清水谷の町は闇に覆われていた。頼りとなる明かりは、常夜灯の燈火と家人が直経のために足下を照らす燭台の微かな光だけだった。
「近頃はめっきりと寒くなりましたね、旦那様」
「ああ」
直経は、先を行く家人の弥平次の背中に向かって頷く。
これから直経主従が向かう先は、清水谷に立つ安養寺氏秀の拝領屋敷だった。
小谷城下の清水谷は区画整備され、浅井家の重臣たちの拝領屋敷が建ち並んでいた。そればかりではなく、市場や商家など町衆たちの家々も軒を連ねていた。
浅井家の家臣たちは、普段それぞれの領地に築かれた城や館に居を構え、領国経営を行っていたのだが、特に主だった家臣はこの清水谷に居館を持ち在番していた。直経や氏秀もその中の一人だった。
「ここで待っておれ」
「はい」
弥平次に告げると、直経は安養寺家の木戸門脇の通用口を潜り、敷地内に足を踏み入れた。勝って知ったる何とやれで、そのまま正面玄関の式台まで行く。
引き戸の前に立つ。
「ごめんっ」
直経は、家中の者に聞こえるよう大声を張り上げた。
すると、それほど間を置かず、安養寺家に仕える家人が直経の前に現れた。
「これは遠藤様ではございませぬか、ささお上がり下さい。奥の座敷にて主が待っております」
「左様か」
直経は、軽く雪を掃い落すと蓑傘と腰に佩びた太刀を安養寺家の家人に渡した。
藁で編んだ深沓を脱ぎ屋敷内に上がった。
家人に案内され、奥座敷に向かう。襖障子を開け八畳ほどの広さの部屋に入った。
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「外は寒かったであろう。さあ、こっちに来て喜右衛門殿も火鉢に当たったらどうじゃ」
「忝い」
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「まあ、そう焦るな」
短気な直経とは違い、気長な氏秀は笑みを浮かべながら言った。
「されど……」
直経は上目遣いで氏秀を見詰める。
ちょうどそこに、女中が酒と肴を乗せたお膳を運び入れた。
「そこに置いて下がれ」
「はい」
頷くと、女中はお膳を火鉢の横に置き、直経に一礼して座敷を離れた。
酒の肴は、琵琶湖で獲れた川魚を煮たものだった。魚は本諸子だ。
「生憎こんなものしか出せんが……さあ召し上がれ」
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