元亀戦記 江北の虎

西村重紀

文字の大きさ
19 / 39
第四章 永禄の変

しおりを挟む
 七月二十八日、覚慶は亡き兄義輝の近臣一色藤長、細川藤孝らの手により幽閉先の興福寺から脱出した。脱出に手を貸したのは、甲賀の地侍和田弾正忠惟政であった。
 惟政は、嘗て仕えていた六角氏を頼り、覚慶主従を近江国甲賀郡にある自身の居城にて匿った。次いで、十一月二十一日に甲賀郡から野洲郡矢島に移った。
 翌永禄九年(一五六六)二月十七日、覚慶は矢島御所に於いて還俗すると足利義秋と名乗った。更に四月二十一日には、秘かに調停に働き掛けた結果、従五位下左馬頭に叙任、任官した。
「和田、予はいつになったら将軍の座に就ける」
 聡明な義秋は、窮屈な山里暮らしに飽きたらしく、このところ日課のように惟政に愚痴を溢していた。
「今暫く、今暫くお待ちを」
 惟政には、今のところ義秋を宥める言葉を掛けることしか、術はなかった。
「六角、江北の浅井、美濃の斎藤、越前の朝倉、尾張の織田、甲斐の武田、越後の上杉に渡りをつけよ。予が早急に上洛出来るよう手筈を整えよ」
 義秋は、右手に持った扇子を上下に振りながら、癇癪玉が破裂したように真っ赤に顔を染め、早口で捲くし立てた。
 矢島御所にいた義秋は、当時対立関係にあった各地の戦国大名たちを和解させ、一刻も早い上洛をと考えていたのだ。その手先となって動いたのが、和田惟政や細川藤孝、一色藤長といった奉公衆や御供衆たちだった。
「細川殿、某は尾張小牧山城へ向かいまする」
 惟政が言うと、藤孝は小さく頷き、口を開いた。
「ならば拙者は、江北の浅井を回り、次いで美濃に入り斎藤に」
「いいえ、稲葉山の斎藤には某が話をつける。ご貴殿は、江北に向かったその足で、若狭の武田、越前の朝倉へ」
「心得た」
「宜しくお願い致す」
 惟政は盟友細川藤孝に深々と頭を下げた。
「然らばこれにてごめん」
 藤孝が腰を上げようとすると、惟政は彼を呼び止めた。
「待たれよ、細川殿。湖国の山道は何処も深くて険しい。道案内が必要であろう」
「道案内でござるか……」
 藤孝は怪訝そうに惟政の馬面を見詰めた。
「入られよ」
 と言って、惟政は手のひらを叩いた。
 突如背後の障子が開いた。藤孝は振り返り視線を向けた。一人の青年が両膝を突き、座っていた。
「この御仁は……?」
 藤孝が訝し気に尋ねる。
「犬上郡佐目の豪族、明智十郎左衛門殿のご子息じゃ」
「明智十兵衛でござる」
「細川与一郎じゃ」
 藤孝は、身分卑しき地侍の小倅を蔑むような目で見詰めた。
「某が、細川殿を無事小谷まで案内致しましょう」
 光秀は酷薄な唇の端に薄ら笑いを浮かべた。
「某、浅井家のご家中に知り合いがおりまする」
「左様か……」
 藤孝は吐き擦れるような口調で言った。

 数日後、小谷城下の清水谷の浅井屋敷で、藤孝と光秀の両名は長政と対面することになった。その場には、直経の顔もあった。
「細川兵部大輔殿か、このような山国にようこそお越し下された」
 長政は、足利家被官の藤孝に対し、少しへり下った態度をとった。
「して、本日のご用の趣きは……?」
 長政は藤孝の顔を凝視した。更に、彼の下座で控える地侍の異常な目つきが気になった。
「有体に申し上げれば、早々に六角殿と和議を結ばれ、矢島のおわす義秋公を奉じ、上洛の途に就いて頂きとう願いに上がった次第で」
「六角と和議を……積年の恨みを水に流し」
 と藤孝の従者が付け加えた。
「口が過ぎるぞ、十兵衛」
「この者は?」
「江州犬上郡佐目の住人、明智十兵衛でござる」
 光秀は、長政を前にして臆することなく名乗った。
「明智とやら、相分かった。水に流そう……されど、六角承禎入道殿が不承知と申されるのであれば仕方ない」
「その義はご心配なく」
 光秀に代わり藤孝が答えた。
「さて、お二方はこのあと何処に向かわれる」
「若狭の武田殿と、越前の朝倉殿の許へ」
「朝倉殿の許でござるか……ならば、我が父下野に頼み、添え書きを認め貰おう。父と朝倉殿とは入魂の間柄故」
「これは心強い。是非ともお願い申し上げる」
 藤孝は、双頬を綻ばせ喜びの声を上げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

道誉が征く

西村重紀
歴史・時代
南北時代に活躍した婆沙羅大名佐々木判官高氏の生涯を描いた作品です

傾国の女 於市

西村重紀
歴史・時代
信長の妹お市の方が、実は従妹だったという説が存在し、その説に基づいて書いた小説です

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】 3巻からは戦争編になります。 戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。 ※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

【アラウコの叫び 】第2巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

影武者の天下盗り

井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」 百姓の男が“信長”を演じ続けた。 やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。 貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。 戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。 炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。 家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。 偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。 「俺が、信長だ」 虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。 時は戦国。 貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。 そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。 その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。 歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。 (このドラマは史実を基にしたフィクションです)

処理中です...