元亀戦記 江北の虎

西村重紀

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第四章 永禄の変

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 永禄七年(一五六四)、長政の側室八重の方の懐妊が年明け早々に分かった。薬師の見立てによると、産み月は晩夏頃だ。
 やがて八重の方は無事臨月を迎え、この年の八月上旬に男子を出産した。妾腹の子ということで嫡男ではなく、幼名は万福丸と名づけた。
「お屋形様、若君ご誕生おめでとうございます。これにて浅井のお家も安泰です」
 家臣を代表して、清綱が長政に挨拶した。
「ふむ。喜ぶのはまだ早い……八重が産んだ子じゃ。浅井の家を継がす訳にはいかぬ」
 長政はどことなくしっくりとはせず、虚ろな眼差しを伊吹の峰に向けた。
「されど、やはり若君には違いはござらん」
「俺が何れ、継室を迎えたならば万福丸は廃嫡致さねばならぬ」
「お屋形様、それはまだ先のこと……」
「否、分からぬぞ」
「お屋形様には、何やらお考えがお有りとお見受け致す」
 清綱が毅然と言うと、長政は振り向き様、唇の端に薄笑いを浮かべたまま頷いた。
「織田尾張守信長殿のご家来が、先日参られた。手土産に鷹を一居頂戴した。返礼に何か誂え織田殿の許へ使いを遣らねばいけぬの……」
「やはりお屋形様は織田と手を結ぶおつもりか……?」
「それは分からぬ……父上が反対しておられる。越前の朝倉殿のこともある故」
「某はあまり感心出来ませぬな」
 清綱は眉間に深く縦皺を刻み、露骨に渋面を作った。
「ふん」
 長政は鼻先で笑うと、再び伊吹の峰を見詰めた。

 永禄八年(一五六五)五月十九日。
 早朝、卯の刻(午前六時)過ぎに小谷城を出た長政は、赤尾親子、遠藤直経、安養寺氏種らと数十名の近習を伴って久し振りに鷹狩に出掛けた。昨年、信長から贈られたあの鷹だ。一歳半になるメスのハイタカだ。長政はその鷹を、五郎八と名づけた。狩場は坂田郡米原だ。これより南は、嘗て六角の領国だったが、観音寺騒動以後長政の命を受けた直経が国人衆たちを調略して、今では浅井家に与している。
 琵琶湖と江南を一望出来る小高い丘に陣幕を張り、そこを拠点した。鷹狩は単なる戦国武将の遊興ではなく、ある種の軍事訓練だった。まずは獲物となる鶴、白鳥、雉やウサギなどの小動物を勢子が見つけ追い立てる。そこに鷹を放ち獲物となる小動物を捕らえるのだ。つまり悠々とした戦国武将のお遊び止まらず、実戦に備えた模擬戦だった。
「お屋形様、勢子が雉をあちらの山に追い立てました」
 清綱が指差しながら告げた。
「鷹を放つと致すか」
「御意」
 鷹匠が、一歳半になるメスのハイタカ五郎八を素早く放した。
 長政はそれを目で追いながら、自分も鷹が飛び立った山に向かって歩き出した。赤尾親子や直経が長政の後を追う。
「六角の動きに変わりはないか?」
「ございません」
 直経が答えた。
「佐和山の磯野に命じて、目を光らせておけ」
 長政は米原の南に位置する佐和山城を一瞥すると、先ほど放ったハイタカに目をやった。
 ハイタカは獲物の雉を捕らえ、その鋭い爪で絞め殺していた。嘴で獲物の肉を啄む前に、鷹匠が野鳥の肉をハイタカに与え、気を逸らした。その隙に雉をハイタカから引き離し、長政の許へ持って行った。
「見事じゃ、五郎八っ、ようやった」
 既に息絶えた雉を掲げ、長政は満面の笑みを浮かべた。
「天晴でございまする」
「執着至極でございまする」
 重臣たちは、鷹狩の成功を祝い喜び、高々と声を上げた。
 このあと、数回近江の山野に鷹を放ち鷹狩を楽しんだ。

 その頃、洛中にて政変が起こっていた。
 三好義継、三好三人衆、松永久迪らによって二条御所が襲われ、室町幕府十三代将軍足利義輝が横死したのだ。永禄の変である。
 前年に亡くなった養父三好長慶の跡を継いだ義継は、当時対立関係にあった将軍足利義輝を亡き者にせんと企み、約一万の軍勢を率い上洛。白昼堂々と二条御所を包囲した。
 剣豪将軍として名高い義輝は、自らも太刀を揮って応戦したが、多勢に無勢、結局最後は潔く自害して果てた。
 事件後、三好三人衆、松永久通らは、義輝の異母弟で鹿苑院院主の周暠を殺害。更に三好三人衆らの追手は、義輝の同母弟である興福寺一乗院門跡覚慶にもその刃を向けた。だが、覚慶は幸運にも久通の父松永弾正少弼久秀によって幽閉されるに留まった。

 永禄の変の情報は、忽ちのうちに全国に広がった。江北小谷城にも数日の後に届いた。
 清水谷の浅井屋敷の書院で、直経から直接報告を受けた長政は暫くの間絶句した。
「何と惨い。武門の棟梁であらせられる公方様を手に掛けるとは……三好と松永に天罰が下れ」
 長政は漸くその言葉を口にした。怒りで両肩が震えているのが自分でも分かった。
「京の町は荒れ果て、人々の暮らしはままならぬということです」
「左様か……早くこの乱世を終わらせねば」
 言うと、長政は溜め息を吐いた。
「……公方様には確か御舎弟がおありだった筈」
「はい。鹿苑院の周暠様は、三好一党の手に掛かりご生涯遊ばしました……興福寺一乗院の覚慶様は、松永霜台の手の者によって幽閉されておられまする」
「俺がお側近くに居たならば、覚慶様をお救い申し上げることが出来るのに……無念である」
 長政は、この小谷が京から地理的に離れていることを嘆いた。
「某の調べでは、観音寺城の六角殿が、秘かに甲賀者を使って覚慶様をお救いしようと試みているようでございます」
「六角殿が……」
「はい。先代承禎入道殿は、三好一党と幾度も刃を交えてござる。聞くところによりますれば、此度も一戦覚する覚悟があるとか」
「左様か、六角殿は三好と戦う気か……」
「はい。何れ三好は、阿波におわす義親公を将軍の座にと」
「そう、考えておるのじゃな?」
「はい。近いうちに畿内で戦が起こりまする。お屋形様、我らは如何致しまするか?」
「普通ならば斯様な折は、敵方である六角を背後から突くのが兵法の定法。されど、これは公方様を殺めた三好に味方することに等しい。武士としての一分に反する。やはり、武門の棟梁である将軍家に対する忠義に反する。戦が起これば六角殿に味方する」
「分かり申した。然らば某もそのように国人、地侍どもに伝えまする」
「宜しく頼むぞ」
「ははっ」
 直経は主君長政に一礼すると、その場を立ち去った。
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