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第四章 永禄の変
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斎藤義龍の病死によって家督を継いだ龍興は、武勇に秀でた祖父道三、父義龍、更に母方の祖父に当たる浅井亮政などとは比べものにならないほどの、凡庸な人物だった。
一方、岳父斎藤道三の遺言に従い、美濃攻略を急いだ織田信長であったが、亡き道三に鍛えられた美濃衆の精鋭を切り崩すことが出来ず、計画は頓挫した。
更にこれまで味方の筈であった従弟の尾張犬山城主織田信清が、龍興の調略に乗って信長に反旗を翻した。
夏の盛り――。
「この役立たずどもがぁっ!」
信長の罵声が辺りに響いた。
小牧山城の本丸主殿にいた信長は、苛立ちながら家臣を叱責した。
「誰ぞ、妙案は浮かばぬかっ」
唸り声を上げ、居並ぶ家臣たち一人一人に目を向けた。
だが、誰一人として癇癪持ちの信長とは視線を合わそうとはしない。信長のことが心底怖いのだ。
「その方らは、我が織田の将兵を長良川の魚の餌にするしか能がないのかぁ! このうつけどもめがぁ!」
「面目次第もございません」
宿老、佐久間右衛門尉信盛が申し訳なさそうに頭を下げた。
「柴田っ! 鬼柴田と謳われたその方も、美濃の小倅如きに破れ、命辛々おめおめと逃げて来たかぁ!」
信長が、巨漢柴田勝家を睨みつけた。
「申し訳ござらん」
勝家も、先ほどの信盛同様面目なさ気に一礼した。
「お屋形様、畏れながら申し上げます」
と末席に座る美濃国福束城主市橋壱岐守長利が言上した。
「何じゃ、九郎左衛門っ!?」
「江北浅井と手を結ばれたら如何でござろうか……?」
「ん? 浅井とか……」
「はい」
長利ははっきりとした口調でいい、大きく頷いた。
「それも一理あるの……九郎左衛門、上手く取り計らえ。それと今一つ、猿(木下藤吉郎秀吉)めと図って美濃の国人衆の調略も進めよ。浅井と手を結ぶのは美濃を我が手に収めてからよ」
「仰せの儀、ご尤も」
長利は恭しく頭を下げた。
「猿っ、ぐずぐずはしておられん。急げよ」
信長は、評定の間の端に座る秀吉に吐き捨てるように告げた。
「心得ましてござる」
藤吉郎は居並ぶ諸将の前で、仰々しく額ずいた。
観音寺騒動のあと、その触手を犬上郡と高島郡にまで伸ばし、勢力圏を拡大した長政は、永禄六年(一五六三)十月十三日の日付で、多賀社に禁制を出した。また、同月二十五日には、犬上郡勝楽寺の寺領を安堵する。
こうした中、長政の密命を受けた遠藤直経は、配下の細作(忍者)とともに境目の城や犬上郡一帯の国人衆、豪族の調略に乗り出していた。
「この辺りの地侍は皆、小谷のお屋形様に忠誠を誓う、との約定を取りつけました」
小平太と名乗る小者が、杉の木の切り株に腰掛ける直経の眼前で片膝を突き報告した。
「そうか、ご苦労であった」
「殿、次は何処へ」
「小平太、俺は佐目の山里辺りまで足を延ばそうかと思っておる」
言いながら直経は、鬱蒼と生い茂る森の奥を指差した。
「佐目でござりまするか……ならば、拙者もお供させて頂きます」
「左様か」
頷くと直経は、切り株から腰を上げた。
多賀から、大岡、四手へと抜ける山道を通り、直経主従は佐目に入った。
佐目の有力者である地侍の屋敷に赴いた直経は、囲炉裏端に通された。そこで、この土地の支配者である地侍の代表に会った。
「拙者が明智十郎左衛門でござる」
五十過ぎの草臥れた中年男性が現れた。
「小谷城主浅井備前守が家臣遠藤喜右衛門じゃ」
「さて、遠藤殿、本日はどういった用件で?」
明智十郎左衛門は、上目遣いで尋ねた。
「六角殿を見限り、以後は我が主浅井備前に従うという誓文を認めて頂きたい。然すれば、こちらは貴殿の所領を安堵致そう」
「誓文でござるか」
「左様……」
直経が頷いた瞬間、襖障子が開いた。
直経は視線を向けた。その先には、四十代後半の中年女性と三十代前半の男性が二人並んで立っていた。
「妻の牧と倅でござる。これ、挨拶致さぬか……こちらの方は、小谷の浅井備前守様のお遣いで参られた遠藤殿じゃ」
「女房の牧です」
「倅の十兵衛でござる……」
十郎左衛門の息子十兵衛光秀は小さく頷いた。
「白湯でございますが……喉の渇きを潤すのに」
「ご内儀、これは忝い」
直経は茶碗に注がれた白湯で口を湿らせた。
「遠藤殿先ほどの件ですが、拙者の口から里の者皆に命じ、誓文を認めまする故、何卒よしなに……」
「承知致した」
言うと直経は腰を上げた。
「ご無礼、致した」
一礼して、佐目の有力者である明智の屋敷を去った。
暫く歩き、二人が佐目の外れに差し掛かった時、直経が徐に口を開いた。
「小平太、日が傾く前に君ヶ畑へ抜けるぞ。今宵はそこで宿をとる」
「ははっ」
従者の小平太は小さく頷いた。
それを確認すると、直経は再び犬上郡の山道を歩き始めた。
一方、岳父斎藤道三の遺言に従い、美濃攻略を急いだ織田信長であったが、亡き道三に鍛えられた美濃衆の精鋭を切り崩すことが出来ず、計画は頓挫した。
更にこれまで味方の筈であった従弟の尾張犬山城主織田信清が、龍興の調略に乗って信長に反旗を翻した。
夏の盛り――。
「この役立たずどもがぁっ!」
信長の罵声が辺りに響いた。
小牧山城の本丸主殿にいた信長は、苛立ちながら家臣を叱責した。
「誰ぞ、妙案は浮かばぬかっ」
唸り声を上げ、居並ぶ家臣たち一人一人に目を向けた。
だが、誰一人として癇癪持ちの信長とは視線を合わそうとはしない。信長のことが心底怖いのだ。
「その方らは、我が織田の将兵を長良川の魚の餌にするしか能がないのかぁ! このうつけどもめがぁ!」
「面目次第もございません」
宿老、佐久間右衛門尉信盛が申し訳なさそうに頭を下げた。
「柴田っ! 鬼柴田と謳われたその方も、美濃の小倅如きに破れ、命辛々おめおめと逃げて来たかぁ!」
信長が、巨漢柴田勝家を睨みつけた。
「申し訳ござらん」
勝家も、先ほどの信盛同様面目なさ気に一礼した。
「お屋形様、畏れながら申し上げます」
と末席に座る美濃国福束城主市橋壱岐守長利が言上した。
「何じゃ、九郎左衛門っ!?」
「江北浅井と手を結ばれたら如何でござろうか……?」
「ん? 浅井とか……」
「はい」
長利ははっきりとした口調でいい、大きく頷いた。
「それも一理あるの……九郎左衛門、上手く取り計らえ。それと今一つ、猿(木下藤吉郎秀吉)めと図って美濃の国人衆の調略も進めよ。浅井と手を結ぶのは美濃を我が手に収めてからよ」
「仰せの儀、ご尤も」
長利は恭しく頭を下げた。
「猿っ、ぐずぐずはしておられん。急げよ」
信長は、評定の間の端に座る秀吉に吐き捨てるように告げた。
「心得ましてござる」
藤吉郎は居並ぶ諸将の前で、仰々しく額ずいた。
観音寺騒動のあと、その触手を犬上郡と高島郡にまで伸ばし、勢力圏を拡大した長政は、永禄六年(一五六三)十月十三日の日付で、多賀社に禁制を出した。また、同月二十五日には、犬上郡勝楽寺の寺領を安堵する。
こうした中、長政の密命を受けた遠藤直経は、配下の細作(忍者)とともに境目の城や犬上郡一帯の国人衆、豪族の調略に乗り出していた。
「この辺りの地侍は皆、小谷のお屋形様に忠誠を誓う、との約定を取りつけました」
小平太と名乗る小者が、杉の木の切り株に腰掛ける直経の眼前で片膝を突き報告した。
「そうか、ご苦労であった」
「殿、次は何処へ」
「小平太、俺は佐目の山里辺りまで足を延ばそうかと思っておる」
言いながら直経は、鬱蒼と生い茂る森の奥を指差した。
「佐目でござりまするか……ならば、拙者もお供させて頂きます」
「左様か」
頷くと直経は、切り株から腰を上げた。
多賀から、大岡、四手へと抜ける山道を通り、直経主従は佐目に入った。
佐目の有力者である地侍の屋敷に赴いた直経は、囲炉裏端に通された。そこで、この土地の支配者である地侍の代表に会った。
「拙者が明智十郎左衛門でござる」
五十過ぎの草臥れた中年男性が現れた。
「小谷城主浅井備前守が家臣遠藤喜右衛門じゃ」
「さて、遠藤殿、本日はどういった用件で?」
明智十郎左衛門は、上目遣いで尋ねた。
「六角殿を見限り、以後は我が主浅井備前に従うという誓文を認めて頂きたい。然すれば、こちらは貴殿の所領を安堵致そう」
「誓文でござるか」
「左様……」
直経が頷いた瞬間、襖障子が開いた。
直経は視線を向けた。その先には、四十代後半の中年女性と三十代前半の男性が二人並んで立っていた。
「妻の牧と倅でござる。これ、挨拶致さぬか……こちらの方は、小谷の浅井備前守様のお遣いで参られた遠藤殿じゃ」
「女房の牧です」
「倅の十兵衛でござる……」
十郎左衛門の息子十兵衛光秀は小さく頷いた。
「白湯でございますが……喉の渇きを潤すのに」
「ご内儀、これは忝い」
直経は茶碗に注がれた白湯で口を湿らせた。
「遠藤殿先ほどの件ですが、拙者の口から里の者皆に命じ、誓文を認めまする故、何卒よしなに……」
「承知致した」
言うと直経は腰を上げた。
「ご無礼、致した」
一礼して、佐目の有力者である明智の屋敷を去った。
暫く歩き、二人が佐目の外れに差し掛かった時、直経が徐に口を開いた。
「小平太、日が傾く前に君ヶ畑へ抜けるぞ。今宵はそこで宿をとる」
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