20 / 35
第四章 永禄の変
五
しおりを挟む
当初、六角承禎は足利義秋の上洛に積極的だった。義秋の意を受けて、甲賀衆の和田惟政に命じ、江北の浅井と尾張の織田の同盟を進めるよう働き掛けていた。当事者の浅井長政と織田信長は、同盟を結ぶことに対し乗り気だった。
「近江国矢島におわす足利義秋公のお使者和田弾正の仲介で、稲葉山の斎藤右兵衛(龍興)と和議を結ぶことになった」
信長は、小牧山の本丸主殿の評定の間で、居並ぶ重臣たちを前に宣言した。
「斎藤の小倅と和議……?」
柴田勝家が怪訝そうに首を傾げる。
「何じゃ権六、不服か?」
「いいえ、滅相も……ただ、斎藤右兵衛と申す男、我らが信じるに足りる男かどうか些か疑念が残ります」
「義秋公の肝煎じゃ。斎藤右兵衛とて、無下に反故には出来ぬであろう……それよりも何よりも、我らは越前の朝倉より先に動かねばならぬ。勝三郎が放った細作(忍者)の調べによると、義秋公のお使者は、一乗谷にも赴いたそうじゃ」
「それは急がねばなりませぬな」
佐久間信盛が如何にも険しい表情を作り、口を挟んだ。
「ああ」
頷きながら信長は信盛の顔を見た。
「それと今一つ、朝倉は江北の浅井と誼を通じておる。両家の間に楔を打ち込んで、浅井を我が陣営に組み込みたいと俺は常々考えておった」
「浅井、でござるか……?」
勝家は首を捻った。
「お市をくれてやるか……浅井の小倅に」
「お市様をですかぁ!?」
勝家は忽ち唖然となり、素っ頓狂な声を上げた。
「何じゃ、権六。その顏は……?」
信長は不思議そうに勝家の顔を覗き込んだ。
「いえ、何も」
勝家は顏を背けた。
「惚れておるのか、お市に」
信長は悪戯な笑みを浮かべた。
「左様なことはござりません」
勝家は即座に否定した。
そのあと、信長の甲高い笑い声が響いた。
七月に入って、事態は思わぬ方向に動いてしまった。
調略によって六角方から引き抜いた布施山城主布施阿波守公雄を討つべく、六角方が動き出したのだ。当然、公雄は小谷城の長政に後詰を頼んだ。
「六角が布施山城を攻めた。布施殿から後詰の願いが出ておる」
長政は顰め面で言った。
清水谷の浅井屋敷には、長政の他に直経と氏種の二人がいた。
「如何致しまするか、お屋形様?」
と直経が尋ねる。
「このまま六角の暴挙を見過ごす訳には行かぬ、陣触じゃ。出陣致す」
「承知仕った」
直経と氏種の両名は声を添えて発した。
七月二十五日、長政は三千の手勢を率いて小谷城を発った。向かう先は布施山城だ。長政は、布施山城の北に位置する船岡山に布陣した。六角方の先陣は、池田内宮丞定輔だ。既に布施城に取りつき、攻撃を始めている。
翌二十九日、浅井、六角両軍は、船岡山の東、蒲生野で戦端を開いた。戦局は一進一退の膠着状態だったが、やがて五千の六角勢相手に浅井勢の敗戦が濃厚となった。
「退け。兵を本陣のある船岡山まで戻せ」
馬上の長政は憮然と言い捨てた。
浅井勢は、陣城を築いた船岡山に一旦兵を退いた。しかし、小谷城に戻ることはしなかった。ここで両軍睨み合いの状態となった。
その頃、尾張でも動きがあった。
八月二十九日、八島御所にいる義秋の要請に応える形で、織田信長が動き出した。手勢を率い美濃に侵攻。信長は、美濃から六角の支配下にあった北伊勢を通り、次いで南近江を抜け上洛するつもりだった。ところが、織田勢の行く手を阻むように、稲葉山城から斎藤龍興が討って出たのだ。織田勢は木曽川を渡って河野島に布陣した。運悪く豪雨のため、木曽川が氾濫して、両軍は身動き取れない状態になった。
閏八月八日、洪水が治まると、信長は上洛を諦め尾張に引くことにした。ところが退却を開始した織田勢の背後から、斎藤勢が襲い掛かり、多くの溺死者を出し、織田方の敗北に終わった。
九月九日、長政は再び動き出し、六角方の三雲新左衛門尉賢持を討ち取ると、小谷城に凱旋して勝利の美酒に酔った。
「近江国矢島におわす足利義秋公のお使者和田弾正の仲介で、稲葉山の斎藤右兵衛(龍興)と和議を結ぶことになった」
信長は、小牧山の本丸主殿の評定の間で、居並ぶ重臣たちを前に宣言した。
「斎藤の小倅と和議……?」
柴田勝家が怪訝そうに首を傾げる。
「何じゃ権六、不服か?」
「いいえ、滅相も……ただ、斎藤右兵衛と申す男、我らが信じるに足りる男かどうか些か疑念が残ります」
「義秋公の肝煎じゃ。斎藤右兵衛とて、無下に反故には出来ぬであろう……それよりも何よりも、我らは越前の朝倉より先に動かねばならぬ。勝三郎が放った細作(忍者)の調べによると、義秋公のお使者は、一乗谷にも赴いたそうじゃ」
「それは急がねばなりませぬな」
佐久間信盛が如何にも険しい表情を作り、口を挟んだ。
「ああ」
頷きながら信長は信盛の顔を見た。
「それと今一つ、朝倉は江北の浅井と誼を通じておる。両家の間に楔を打ち込んで、浅井を我が陣営に組み込みたいと俺は常々考えておった」
「浅井、でござるか……?」
勝家は首を捻った。
「お市をくれてやるか……浅井の小倅に」
「お市様をですかぁ!?」
勝家は忽ち唖然となり、素っ頓狂な声を上げた。
「何じゃ、権六。その顏は……?」
信長は不思議そうに勝家の顔を覗き込んだ。
「いえ、何も」
勝家は顏を背けた。
「惚れておるのか、お市に」
信長は悪戯な笑みを浮かべた。
「左様なことはござりません」
勝家は即座に否定した。
そのあと、信長の甲高い笑い声が響いた。
七月に入って、事態は思わぬ方向に動いてしまった。
調略によって六角方から引き抜いた布施山城主布施阿波守公雄を討つべく、六角方が動き出したのだ。当然、公雄は小谷城の長政に後詰を頼んだ。
「六角が布施山城を攻めた。布施殿から後詰の願いが出ておる」
長政は顰め面で言った。
清水谷の浅井屋敷には、長政の他に直経と氏種の二人がいた。
「如何致しまするか、お屋形様?」
と直経が尋ねる。
「このまま六角の暴挙を見過ごす訳には行かぬ、陣触じゃ。出陣致す」
「承知仕った」
直経と氏種の両名は声を添えて発した。
七月二十五日、長政は三千の手勢を率いて小谷城を発った。向かう先は布施山城だ。長政は、布施山城の北に位置する船岡山に布陣した。六角方の先陣は、池田内宮丞定輔だ。既に布施城に取りつき、攻撃を始めている。
翌二十九日、浅井、六角両軍は、船岡山の東、蒲生野で戦端を開いた。戦局は一進一退の膠着状態だったが、やがて五千の六角勢相手に浅井勢の敗戦が濃厚となった。
「退け。兵を本陣のある船岡山まで戻せ」
馬上の長政は憮然と言い捨てた。
浅井勢は、陣城を築いた船岡山に一旦兵を退いた。しかし、小谷城に戻ることはしなかった。ここで両軍睨み合いの状態となった。
その頃、尾張でも動きがあった。
八月二十九日、八島御所にいる義秋の要請に応える形で、織田信長が動き出した。手勢を率い美濃に侵攻。信長は、美濃から六角の支配下にあった北伊勢を通り、次いで南近江を抜け上洛するつもりだった。ところが、織田勢の行く手を阻むように、稲葉山城から斎藤龍興が討って出たのだ。織田勢は木曽川を渡って河野島に布陣した。運悪く豪雨のため、木曽川が氾濫して、両軍は身動き取れない状態になった。
閏八月八日、洪水が治まると、信長は上洛を諦め尾張に引くことにした。ところが退却を開始した織田勢の背後から、斎藤勢が襲い掛かり、多くの溺死者を出し、織田方の敗北に終わった。
九月九日、長政は再び動き出し、六角方の三雲新左衛門尉賢持を討ち取ると、小谷城に凱旋して勝利の美酒に酔った。
10
あなたにおすすめの小説
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
強いられる賭け~脇坂安治軍記~
恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。
こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。
しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。
独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす
【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す
【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す
【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす
【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる