元亀戦記 江北の虎

西村重紀

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第四章 永禄の変

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 当初、六角承禎は足利義秋の上洛に積極的だった。義秋の意を受けて、甲賀衆の和田惟政に命じ、江北の浅井と尾張の織田の同盟を進めるよう働き掛けていた。当事者の浅井長政と織田信長は、同盟を結ぶことに対し乗り気だった。
「近江国矢島におわす足利義秋公のお使者和田弾正の仲介で、稲葉山の斎藤右兵衛(龍興)と和議を結ぶことになった」
 信長は、小牧山の本丸主殿の評定の間で、居並ぶ重臣たちを前に宣言した。
「斎藤の小倅と和議……?」
 柴田勝家が怪訝そうに首を傾げる。
「何じゃ権六、不服か?」
「いいえ、滅相も……ただ、斎藤右兵衛と申す男、我らが信じるに足りる男かどうか些か疑念が残ります」
「義秋公の肝煎じゃ。斎藤右兵衛とて、無下に反故には出来ぬであろう……それよりも何よりも、我らは越前の朝倉より先に動かねばならぬ。勝三郎が放った細作(忍者)の調べによると、義秋公のお使者は、一乗谷にも赴いたそうじゃ」
「それは急がねばなりませぬな」
 佐久間信盛が如何にも険しい表情を作り、口を挟んだ。
「ああ」
 頷きながら信長は信盛の顔を見た。
「それと今一つ、朝倉は江北の浅井と誼を通じておる。両家の間に楔を打ち込んで、浅井を我が陣営に組み込みたいと俺は常々考えておった」
「浅井、でござるか……?」
 勝家は首を捻った。
「お市をくれてやるか……浅井の小倅に」
「お市様をですかぁ!?」
 勝家は忽ち唖然となり、素っ頓狂な声を上げた。
「何じゃ、権六。その顏は……?」
 信長は不思議そうに勝家の顔を覗き込んだ。
「いえ、何も」
 勝家は顏を背けた。
「惚れておるのか、お市に」
 信長は悪戯な笑みを浮かべた。
「左様なことはござりません」
 勝家は即座に否定した。
 そのあと、信長の甲高い笑い声が響いた。

 七月に入って、事態は思わぬ方向に動いてしまった。
 調略によって六角方から引き抜いた布施山城主布施阿波守公雄を討つべく、六角方が動き出したのだ。当然、公雄は小谷城の長政に後詰を頼んだ。
「六角が布施山城を攻めた。布施殿から後詰の願いが出ておる」
 長政は顰め面で言った。
 清水谷の浅井屋敷には、長政の他に直経と氏種の二人がいた。
「如何致しまするか、お屋形様?」
 と直経が尋ねる。
「このまま六角の暴挙を見過ごす訳には行かぬ、陣触じゃ。出陣致す」
「承知仕った」
 直経と氏種の両名は声を添えて発した。
 七月二十五日、長政は三千の手勢を率いて小谷城を発った。向かう先は布施山城だ。長政は、布施山城の北に位置する船岡山に布陣した。六角方の先陣は、池田内宮丞定輔だ。既に布施城に取りつき、攻撃を始めている。
 翌二十九日、浅井、六角両軍は、船岡山の東、蒲生野で戦端を開いた。戦局は一進一退の膠着状態だったが、やがて五千の六角勢相手に浅井勢の敗戦が濃厚となった。
「退け。兵を本陣のある船岡山まで戻せ」
 馬上の長政は憮然と言い捨てた。
 浅井勢は、陣城を築いた船岡山に一旦兵を退いた。しかし、小谷城に戻ることはしなかった。ここで両軍睨み合いの状態となった。
 その頃、尾張でも動きがあった。
 八月二十九日、八島御所にいる義秋の要請に応える形で、織田信長が動き出した。手勢を率い美濃に侵攻。信長は、美濃から六角の支配下にあった北伊勢を通り、次いで南近江を抜け上洛するつもりだった。ところが、織田勢の行く手を阻むように、稲葉山城から斎藤龍興が討って出たのだ。織田勢は木曽川を渡って河野島に布陣した。運悪く豪雨のため、木曽川が氾濫して、両軍は身動き取れない状態になった。
 閏八月八日、洪水が治まると、信長は上洛を諦め尾張に引くことにした。ところが退却を開始した織田勢の背後から、斎藤勢が襲い掛かり、多くの溺死者を出し、織田方の敗北に終わった。
 九月九日、長政は再び動き出し、六角方の三雲新左衛門尉賢持を討ち取ると、小谷城に凱旋して勝利の美酒に酔った。
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