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第五章 お市御寮人
一
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織田信長上洛の失敗の裏に、三好一党と通じた六角承禎、義治(義弼から改名)親子の裏切りがあったということを知った足利義秋は、秘かに矢島を脱出した。向かう先は、若狭だ。義秋の妹婿に当たる武田大膳大夫義統が守護として治める国だ。
辰の刻(午前八時)、義秋一行は木野浜から船に乗り、湖西に渡りそこから若狭に向かう予定だった。お供には、細川藤孝と新たに義秋の被官となった明智十兵衛光秀の姿があった。
小谷城下清水谷の浅井屋敷に居た浅井長政は、遠藤直経を通じ、義秋が若狭へ移ったことを知った。
「そうか、義秋公が若狭に入られたか」
「はい」
「六角、斎藤、三好の動きは?」
長政が尋ねると、直経は小さくかぶりを振りながら答えた。
「今のところ目立った動きはござらぬ」
「左様か」
「若狭の武田では、義秋公を奉じて上洛するのは無理だ。やはりその任は織田殿が相応しい」
言うと、長政は傍らで長男万福丸を抱く乳母をちらりと見た。
「むずがってはおらぬか?」
「いいえ」
乳母はかぶりを振ると、直経の目を少し気にする素振りを見せ、胸元を開き乳房を出した。万福丸に乳を与えるのだ。
「八重の様子は如何じゃ?」
現在八重の方は長政との二人目の子を宿していた。
「お方様には、近頃はお健やかにお過ごし遊ばしておれます」
乳母は万福丸を授乳させながら答えた。
二人目を妊娠した直後は、悪阻が酷かった八重の方も夏が過ぎた辺りから体調が戻った。
「我ら、家臣一同は、若君ご誕生の日を心待ちにしております」
「喜右衛門よ、産まれて来る子は男児か女子がまだ分からぬ。その方は気が早いの
長政は半笑いを浮かべ言った。
「お屋形様、きっと若君に違いございません」
直経は少しむきなった。
「そう怒るな、喜右衛門。顔に皺が増えるぞ」
「怒ってはござらん」
「うん? 怒っておるではないか」
「いいえ、怒ってはおりませぬ……然らば某はこの辺でご無礼仕る」
直経は、長政に頭を下げ、そして万福丸に乳を与える乳母にも一礼すると退席した。
直経が部屋を出た直後、長政は万福丸を抱く乳母に目をやった。
「お篠、先日の話だが……俺の側女になれと申した件、考えてくれたか?」
「その件はやはり……」
お篠は面目なさ気にかぶりを振った。
この女は、浅井家被官小川帯刀の娘であった。同じ浅井家被官矢野清五郎に嫁いだのであるが、先の美濃斎藤家の合戦で夫が討死して、若後家となっていた。夫のとの間には女子が一人いた。まだ乳飲み子だった。そこで、長政の長男万福丸が産まれると乳母に選ばれたのだ。
「考えてはくれぬか……」
長政が再度尋ねると、お篠は無言でかぶりを振った。
「お屋形様、義秋公のお使者で、明智十兵衛光秀と申す者が参っております」
海北綱親が進言した。
「明智十兵衛……?」
長政は首を傾げた。一度どこかで会った気がする。
すると、この場に居合わせた直経は、一礼して徐に口を開いた。
「某、彼の者と幾度か会うております」
「知り合いか、喜右衛門?」
「まあ、知り合いと申せばそういうことになりますか……」
直経は口籠った。
「遠藤殿、勿体ぶらずに申し上げよ」
痺れを切らした綱親が催促する。
「明智と申す者は、この近江の出でござる」
「近江の出……? 明智と名乗るくらいだから東美濃の出ではないのか?」
長政は訝し気に目を細め、首を傾げる。
「いいえ、然にあらず。犬上郡佐目のでござる。数代前に先祖が美濃から移り住んだということです。恐らくは、美濃の明智家の所縁があるに違いござりません」
「犬上郡佐目……おう、思い出した。確か、いつぞや細川殿と一緒に尋ねて来たあの土豪の者か。通せ、城で会おう。義秋公の遣いならば無碍に扱えぬ」
「承知致した」
綱親は一礼した。
辰の刻(午前八時)、義秋一行は木野浜から船に乗り、湖西に渡りそこから若狭に向かう予定だった。お供には、細川藤孝と新たに義秋の被官となった明智十兵衛光秀の姿があった。
小谷城下清水谷の浅井屋敷に居た浅井長政は、遠藤直経を通じ、義秋が若狭へ移ったことを知った。
「そうか、義秋公が若狭に入られたか」
「はい」
「六角、斎藤、三好の動きは?」
長政が尋ねると、直経は小さくかぶりを振りながら答えた。
「今のところ目立った動きはござらぬ」
「左様か」
「若狭の武田では、義秋公を奉じて上洛するのは無理だ。やはりその任は織田殿が相応しい」
言うと、長政は傍らで長男万福丸を抱く乳母をちらりと見た。
「むずがってはおらぬか?」
「いいえ」
乳母はかぶりを振ると、直経の目を少し気にする素振りを見せ、胸元を開き乳房を出した。万福丸に乳を与えるのだ。
「八重の様子は如何じゃ?」
現在八重の方は長政との二人目の子を宿していた。
「お方様には、近頃はお健やかにお過ごし遊ばしておれます」
乳母は万福丸を授乳させながら答えた。
二人目を妊娠した直後は、悪阻が酷かった八重の方も夏が過ぎた辺りから体調が戻った。
「我ら、家臣一同は、若君ご誕生の日を心待ちにしております」
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「そう怒るな、喜右衛門。顔に皺が増えるぞ」
「怒ってはござらん」
「うん? 怒っておるではないか」
「いいえ、怒ってはおりませぬ……然らば某はこの辺でご無礼仕る」
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「その件はやはり……」
お篠は面目なさ気にかぶりを振った。
この女は、浅井家被官小川帯刀の娘であった。同じ浅井家被官矢野清五郎に嫁いだのであるが、先の美濃斎藤家の合戦で夫が討死して、若後家となっていた。夫のとの間には女子が一人いた。まだ乳飲み子だった。そこで、長政の長男万福丸が産まれると乳母に選ばれたのだ。
「考えてはくれぬか……」
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