22 / 39
第五章 お市御寮人
二
しおりを挟む
長政は、小谷城の対の座で義秋の遣いと会うことにした。
「面を上げよ、小谷城主浅井備前守長政である」
眼前で平伏する男は、以前見かけたみすぼらしい身形ではなく、桔梗の家紋が入った大紋を身に纏っていた。
「某、足利家御供衆の末席を穢す明智十兵衛光秀でござる」
「して、本日のご用の趣きは?」
「我が主、左馬頭(義秋の官位)様よりの書状でござる」
光秀が懐から一通の文を取り出し、長政の近習に手渡した。
近習から書状を受け取ると、長政は早速中身を確認して黙読した。
「織田と盟約を交わせ、と義秋公は仰せなのだな?」
長政は、眼前に座る四十路男を見据えた。
明智十兵衛光秀と名乗った中年男性は、長政を前にしても全く臆することなく頷いた。
「御意。公方様におかれましては、備前守殿には尾張守殿と盟約を結び、一刻も早く上洛するようにとの仰せにござります」
「相分かった……この浅井備前、承知致したとお伝え下され」
「ははっ」
光秀は大きな声で応え、大袈裟に平伏した。
義秋の使者光秀が去ったあと、長政は主だった家臣を小谷城本丸主殿に呼び寄せた。
「皆も既に承知しておると思うが、先ほど一乗谷から公方様のお使者が参られた。公方様に置かれましては、我が浅井と尾張の織田殿との盟約をお望みである。我らが手を取り合って、一刻も早く上洛致せとのお言葉を頂戴致した。そこで皆に意見を聞きたい」
長政は、居並ぶ重臣たちを見回しながら告げた。
「感心出来ませんな」
と最初に声を発したのが、赤尾清綱だ。
「何故じゃ?」
長政が尋ねると、清綱は難しそうな面持ちで、深い溜め息を発した。一呼吸置いてからその訳を口にした。
「確かに、織田信長と申す男は、嘗て大うつけと謳われたような愚か者ではなかった。これは紛れもない事実。然れどあの者の中には、何か恐ろしい魔物が棲んでおる気がします。何れ、我ら浅井に仇となるやも知れません」
「赤尾美作の言い分、尤もなれど俺は織田と手を結ぶ。これが若狭におわす公方様の願いじゃ。臣たる者主の願いを聞き届けるのが忠義であろう」
「お屋形様っ、早まってはなりませぬ。義秋様には未だお上から将軍宣下は……」
雨森清貞が口を挟んだ。
「むむっ」
長政は、眼前の清貞を睨んだ。
「弥兵衛……無礼であろう。義秋公は何れ公方様におなり遊ばすお方、口が過ぎるぞ」
「ご無礼仕った」
清貞は、憮然とした態度で長政に頭を下げ、詫びを入れた。
「あの、一つ宜しいか?」
「何じゃ、喜右衛門。改まって……?」
長政は、視線を清貞から直経に移した。
「某も、方々と同様に織田と手を結ぶこと、些か感心出来ません」
「訳を申せ」
長政は、直経の双眸を凝視した。
「朝倉殿のことが引っ掛かります」
「朝倉殿か……」
長政も、以前から越前の朝倉義景のことが気になっていた。
「織田殿は、朝倉殿のこと、あまり良くは思っておられないとお見受け致す。両家の間にどのような経緯があったかは存じませんが、織田殿と朝倉殿が争われたら、お屋形様はどちらにお味方するおつもりで?」
直経は核心を突いた質問をした。
「ふん、分からぬ……」
「ここで答えらぬようであるのならば、某は此度の織田との縁、なかったことにした方が宜しいかと存じ上げ奉る」
「……喜右衛門。織田と朝倉が我らと共に手を取り合い歩む道を探そうではないか」
「お屋形様、上手く逃げましたな……」
直経は白け面で言った。
長政は不機嫌になり舌打ちすると、腰を上げた。
「本日の評定は終わりに致す。皆の者、大儀であった」
苛立ちながら評定の間を出ると、長政は下城して清水谷の浅井屋敷に戻った。
江北から戻った光秀は、その足で藤孝の許へ向かった。
「十兵衛、どうであった?」
「上々でござった。浅井備前殿は機嫌よく承知して頂いた。あとは尾張の織田がどう動くか……」
「未だに稲葉山の斎藤如きに手を焼いておる。ここは若狭武田の手勢と江北浅井の手勢だけで上洛する、というのはどうか?」
「否、無理でござろう」
光秀は間髪入れず、かぶりを振って否定した。
若狭の武田義統には、最早一国を治める守護としての力は残ってはいなかった。
光秀の懸念通り武田に動く気配はなかった。そこで義秋主従は若狭から、越前に向かうことにした。義秋は朝倉義景を頼り越前一乗谷へ移った。迎え入れる側の義景は、従弟に当たる朝倉式部大輔孫八郎景鏡を義秋の許に遣わした。
「面を上げよ、小谷城主浅井備前守長政である」
眼前で平伏する男は、以前見かけたみすぼらしい身形ではなく、桔梗の家紋が入った大紋を身に纏っていた。
「某、足利家御供衆の末席を穢す明智十兵衛光秀でござる」
「して、本日のご用の趣きは?」
「我が主、左馬頭(義秋の官位)様よりの書状でござる」
光秀が懐から一通の文を取り出し、長政の近習に手渡した。
近習から書状を受け取ると、長政は早速中身を確認して黙読した。
「織田と盟約を交わせ、と義秋公は仰せなのだな?」
長政は、眼前に座る四十路男を見据えた。
明智十兵衛光秀と名乗った中年男性は、長政を前にしても全く臆することなく頷いた。
「御意。公方様におかれましては、備前守殿には尾張守殿と盟約を結び、一刻も早く上洛するようにとの仰せにござります」
「相分かった……この浅井備前、承知致したとお伝え下され」
「ははっ」
光秀は大きな声で応え、大袈裟に平伏した。
義秋の使者光秀が去ったあと、長政は主だった家臣を小谷城本丸主殿に呼び寄せた。
「皆も既に承知しておると思うが、先ほど一乗谷から公方様のお使者が参られた。公方様に置かれましては、我が浅井と尾張の織田殿との盟約をお望みである。我らが手を取り合って、一刻も早く上洛致せとのお言葉を頂戴致した。そこで皆に意見を聞きたい」
長政は、居並ぶ重臣たちを見回しながら告げた。
「感心出来ませんな」
と最初に声を発したのが、赤尾清綱だ。
「何故じゃ?」
長政が尋ねると、清綱は難しそうな面持ちで、深い溜め息を発した。一呼吸置いてからその訳を口にした。
「確かに、織田信長と申す男は、嘗て大うつけと謳われたような愚か者ではなかった。これは紛れもない事実。然れどあの者の中には、何か恐ろしい魔物が棲んでおる気がします。何れ、我ら浅井に仇となるやも知れません」
「赤尾美作の言い分、尤もなれど俺は織田と手を結ぶ。これが若狭におわす公方様の願いじゃ。臣たる者主の願いを聞き届けるのが忠義であろう」
「お屋形様っ、早まってはなりませぬ。義秋様には未だお上から将軍宣下は……」
雨森清貞が口を挟んだ。
「むむっ」
長政は、眼前の清貞を睨んだ。
「弥兵衛……無礼であろう。義秋公は何れ公方様におなり遊ばすお方、口が過ぎるぞ」
「ご無礼仕った」
清貞は、憮然とした態度で長政に頭を下げ、詫びを入れた。
「あの、一つ宜しいか?」
「何じゃ、喜右衛門。改まって……?」
長政は、視線を清貞から直経に移した。
「某も、方々と同様に織田と手を結ぶこと、些か感心出来ません」
「訳を申せ」
長政は、直経の双眸を凝視した。
「朝倉殿のことが引っ掛かります」
「朝倉殿か……」
長政も、以前から越前の朝倉義景のことが気になっていた。
「織田殿は、朝倉殿のこと、あまり良くは思っておられないとお見受け致す。両家の間にどのような経緯があったかは存じませんが、織田殿と朝倉殿が争われたら、お屋形様はどちらにお味方するおつもりで?」
直経は核心を突いた質問をした。
「ふん、分からぬ……」
「ここで答えらぬようであるのならば、某は此度の織田との縁、なかったことにした方が宜しいかと存じ上げ奉る」
「……喜右衛門。織田と朝倉が我らと共に手を取り合い歩む道を探そうではないか」
「お屋形様、上手く逃げましたな……」
直経は白け面で言った。
長政は不機嫌になり舌打ちすると、腰を上げた。
「本日の評定は終わりに致す。皆の者、大儀であった」
苛立ちながら評定の間を出ると、長政は下城して清水谷の浅井屋敷に戻った。
江北から戻った光秀は、その足で藤孝の許へ向かった。
「十兵衛、どうであった?」
「上々でござった。浅井備前殿は機嫌よく承知して頂いた。あとは尾張の織田がどう動くか……」
「未だに稲葉山の斎藤如きに手を焼いておる。ここは若狭武田の手勢と江北浅井の手勢だけで上洛する、というのはどうか?」
「否、無理でござろう」
光秀は間髪入れず、かぶりを振って否定した。
若狭の武田義統には、最早一国を治める守護としての力は残ってはいなかった。
光秀の懸念通り武田に動く気配はなかった。そこで義秋主従は若狭から、越前に向かうことにした。義秋は朝倉義景を頼り越前一乗谷へ移った。迎え入れる側の義景は、従弟に当たる朝倉式部大輔孫八郎景鏡を義秋の許に遣わした。
10
あなたにおすすめの小説
【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助
蔵屋
歴史・時代
わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。
何故、甲斐国なのか?
それは、日本を象徴する富士山があるからだ。
さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。
そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。
なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。
それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。
読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。
【アラウコの叫び 】第2巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
影武者の天下盗り
井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる