元亀戦記 江北の虎

西村重紀

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第五章 お市御寮人

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 長政は、小谷城の対の座で義秋の遣いと会うことにした。
「面を上げよ、小谷城主浅井備前守長政である」
 眼前で平伏する男は、以前見かけたみすぼらしい身形ではなく、桔梗の家紋が入った大紋を身に纏っていた。
「某、足利家御供衆の末席を穢す明智十兵衛光秀でござる」
「して、本日のご用の趣きは?」
「我が主、左馬頭(義秋の官位)様よりの書状でござる」
 光秀が懐から一通の文を取り出し、長政の近習に手渡した。
 近習から書状を受け取ると、長政は早速中身を確認して黙読した。
「織田と盟約を交わせ、と義秋公は仰せなのだな?」
 長政は、眼前に座る四十路男を見据えた。
 明智十兵衛光秀と名乗った中年男性は、長政を前にしても全く臆することなく頷いた。
「御意。公方様におかれましては、備前守殿には尾張守殿と盟約を結び、一刻も早く上洛するようにとの仰せにござります」
「相分かった……この浅井備前、承知致したとお伝え下され」
「ははっ」
 光秀は大きな声で応え、大袈裟に平伏した。
 義秋の使者光秀が去ったあと、長政は主だった家臣を小谷城本丸主殿に呼び寄せた。
「皆も既に承知しておると思うが、先ほど一乗谷から公方様のお使者が参られた。公方様に置かれましては、我が浅井と尾張の織田殿との盟約をお望みである。我らが手を取り合って、一刻も早く上洛致せとのお言葉を頂戴致した。そこで皆に意見を聞きたい」
 長政は、居並ぶ重臣たちを見回しながら告げた。
「感心出来ませんな」
 と最初に声を発したのが、赤尾清綱だ。
「何故じゃ?」
 長政が尋ねると、清綱は難しそうな面持ちで、深い溜め息を発した。一呼吸置いてからその訳を口にした。
「確かに、織田信長と申す男は、嘗て大うつけと謳われたような愚か者ではなかった。これは紛れもない事実。然れどあの者の中には、何か恐ろしい魔物が棲んでおる気がします。何れ、我ら浅井に仇となるやも知れません」
「赤尾美作の言い分、尤もなれど俺は織田と手を結ぶ。これが若狭におわす公方様の願いじゃ。臣たる者主の願いを聞き届けるのが忠義であろう」
「お屋形様っ、早まってはなりませぬ。義秋様には未だお上から将軍宣下は……」
 雨森清貞が口を挟んだ。
「むむっ」
 長政は、眼前の清貞を睨んだ。
「弥兵衛……無礼であろう。義秋公は何れ公方様におなり遊ばすお方、口が過ぎるぞ」
「ご無礼仕った」
 清貞は、憮然とした態度で長政に頭を下げ、詫びを入れた。
「あの、一つ宜しいか?」
「何じゃ、喜右衛門。改まって……?」
 長政は、視線を清貞から直経に移した。
「某も、方々と同様に織田と手を結ぶこと、些か感心出来ません」
「訳を申せ」
 長政は、直経の双眸を凝視した。
「朝倉殿のことが引っ掛かります」
「朝倉殿か……」
 長政も、以前から越前の朝倉義景のことが気になっていた。
「織田殿は、朝倉殿のこと、あまり良くは思っておられないとお見受け致す。両家の間にどのような経緯があったかは存じませんが、織田殿と朝倉殿が争われたら、お屋形様はどちらにお味方するおつもりで?」
 直経は核心を突いた質問をした。
「ふん、分からぬ……」
「ここで答えらぬようであるのならば、某は此度の織田との縁、なかったことにした方が宜しいかと存じ上げ奉る」
「……喜右衛門。織田と朝倉が我らと共に手を取り合い歩む道を探そうではないか」
「お屋形様、上手く逃げましたな……」
 直経は白け面で言った。
 長政は不機嫌になり舌打ちすると、腰を上げた。
「本日の評定は終わりに致す。皆の者、大儀であった」
 苛立ちながら評定の間を出ると、長政は下城して清水谷の浅井屋敷に戻った。

 江北から戻った光秀は、その足で藤孝の許へ向かった。
「十兵衛、どうであった?」
「上々でござった。浅井備前殿は機嫌よく承知して頂いた。あとは尾張の織田がどう動くか……」
「未だに稲葉山の斎藤如きに手を焼いておる。ここは若狭武田の手勢と江北浅井の手勢だけで上洛する、というのはどうか?」
「否、無理でござろう」
 光秀は間髪入れず、かぶりを振って否定した。
 若狭の武田義統には、最早一国を治める守護としての力は残ってはいなかった。
 光秀の懸念通り武田に動く気配はなかった。そこで義秋主従は若狭から、越前に向かうことにした。義秋は朝倉義景を頼り越前一乗谷へ移った。迎え入れる側の義景は、従弟に当たる朝倉式部大輔孫八郎景鏡を義秋の許に遣わした。
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