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第六章 上洛
五
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「これがその証拠の品」
と言って、光秀は懐から一通の密書を取り出した。
「これはっ!?」
長政は目を白黒させ、忽ち上擦った声を発した。
「上様が越前朝倉殿宛てに出された文でござる」
「義昭公が……?」
長政はこれ以上言葉が続かなかった。
つまり、将軍足利義昭は、織田信長と手を切り、越前の朝倉義景を頼るという意味だ。
「文はまだ他にもござる」
光秀は涼しい顔で言った。
「他にも?」
「御意」
にんまりと笑って、光秀は二通の文を取り出した。
「一つは甲斐の武田殿に、もう一つは石山寺の顕如上人に」
光秀は長政の双眸を見詰めたまま言った。
「のう、備前守殿。そこもとは如何お思いか」
信長は氷のような冷たい眼差しを義弟に向けた。
長政の背筋に怖気が走った。
信長は家康を見やってから徐に口を開いた。
「竹千代は、既に腹を括ったそうじゃ」
信長は敢えて家康を幼名で呼んだ。
「三河殿が腹を括ったとは、一体……?」
「武田と一戦交える覚悟じゃ。浅井備前っ、その方は朝倉と一戦交える覚悟はあるかっ!」
信長の甲高い声が響いた。
浅井が織田と同盟を結ぶに当たって提示した条件の中に、『万が一織田が越前朝倉を攻めるようなことが起こった時は、浅井に前もって知らせる』となっており、起請文まで交わしていた。
義兄信長は、その約束通り、事前に朝倉攻めを長政に通達したのである。
「……義兄上。この浅井備前もお供仕る」
長政は覚悟を決めた。
朝倉と手を切る以外に浅井が生き残る道はないということだ。
「猿の配下に、竹中半兵衛と申す易学に明るい者がおる。その者に、吉日を卜わせよう」
信長は、薄い唇の端に、不敵な笑みを浮かべた。
「膿は出さねばならぬ。放っておけば腫れ、何れ壊死する」
朝倉義景という男を、信長は自らが傀儡として立てた足利義昭の身体を蝕む病巣に喩えた。
長政としては、信長に与し朝倉と一戦交える覚悟は既に付いた。残るはあの父をどうやって説得するかだ。
父久政は、長政と違って大恩ある朝倉と手を切って、織田に付くという考えなど端から持ち合わせていない。
信長の宿舎である本能寺を去ったあと、長政は暗澹たる気分で嘆息を吐いた。上洛の折に使用する、宿舎である妙覚寺へ戻るその足取りも、心なしか重かった。
此度の上洛に同行していた遠藤直経が、昏く沈んだ顔をする主君長政を案じ、
「如何なされましたお屋形様、織田殿と何か」
「いいや、何もない」
長政は軽くかぶりを振った。
何事にも聡い直経には隠し事が通じる筈もなく、彼は訝し気に長政を見やった。
「やはり織田殿は、越前を攻めるおつもりでござるか」
直経の問い掛けに、長政は無言で頷いた。
「我ら浅井の者が生き残るには織田を頼る他道はござらん」
直経は存念を言葉にした。
「俺もそう思う。されど……」
「ご隠居様のことでござるか」
「ああ、あの父上のことだから、約定を織田が反故にしたと、烈火の如く怒るであろう」
虚しく言うと、長政は自嘲気味に笑った。
と言って、光秀は懐から一通の密書を取り出した。
「これはっ!?」
長政は目を白黒させ、忽ち上擦った声を発した。
「上様が越前朝倉殿宛てに出された文でござる」
「義昭公が……?」
長政はこれ以上言葉が続かなかった。
つまり、将軍足利義昭は、織田信長と手を切り、越前の朝倉義景を頼るという意味だ。
「文はまだ他にもござる」
光秀は涼しい顔で言った。
「他にも?」
「御意」
にんまりと笑って、光秀は二通の文を取り出した。
「一つは甲斐の武田殿に、もう一つは石山寺の顕如上人に」
光秀は長政の双眸を見詰めたまま言った。
「のう、備前守殿。そこもとは如何お思いか」
信長は氷のような冷たい眼差しを義弟に向けた。
長政の背筋に怖気が走った。
信長は家康を見やってから徐に口を開いた。
「竹千代は、既に腹を括ったそうじゃ」
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「三河殿が腹を括ったとは、一体……?」
「武田と一戦交える覚悟じゃ。浅井備前っ、その方は朝倉と一戦交える覚悟はあるかっ!」
信長の甲高い声が響いた。
浅井が織田と同盟を結ぶに当たって提示した条件の中に、『万が一織田が越前朝倉を攻めるようなことが起こった時は、浅井に前もって知らせる』となっており、起請文まで交わしていた。
義兄信長は、その約束通り、事前に朝倉攻めを長政に通達したのである。
「……義兄上。この浅井備前もお供仕る」
長政は覚悟を決めた。
朝倉と手を切る以外に浅井が生き残る道はないということだ。
「猿の配下に、竹中半兵衛と申す易学に明るい者がおる。その者に、吉日を卜わせよう」
信長は、薄い唇の端に、不敵な笑みを浮かべた。
「膿は出さねばならぬ。放っておけば腫れ、何れ壊死する」
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長政としては、信長に与し朝倉と一戦交える覚悟は既に付いた。残るはあの父をどうやって説得するかだ。
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信長の宿舎である本能寺を去ったあと、長政は暗澹たる気分で嘆息を吐いた。上洛の折に使用する、宿舎である妙覚寺へ戻るその足取りも、心なしか重かった。
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