元亀戦記 江北の虎

西村重紀

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第七章 謀叛

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 四月二十日、信長は京を発った。
 公家山科言継の日記『言継卿記』によると、織田・徳川連合軍の総勢は三万という。
 織田勢に従軍する畿内の武将は、足利将軍家の名代として明智光秀、他に摂津の池田勝正、大和の松永久秀といった顔ぶれだ。公家の日野輝資、飛鳥井雅敦らも随行していることを考えると、当初は物見遊山のつもりだったのかも知れない。
 そしてこの出陣の最中、四月二十三日に改元され、永禄から元亀に元号が変わった。
 その当日、北近江小谷城では、当主の浅井長政と、隠居の身である久政が激しい論戦を繰り広げていた。
「やはり織田は初めから約定を違える気であったのじゃっ」
「いいや、斯様なことはござらぬ。織田殿は某に前以って越前への出陣をお知らせ下された。ここは我らも直ちに出陣致すべきでござるっ」
「何を申すかっ新九郎、その方血迷うたかぁっ!?」
 久政は血相を変え、激しく息子長政を恫喝する。
「お屋形様、御隠居様の申されることご尤も」
 浅井家の庶流の出身で、宿老の一人に数えられる浅井玄蕃允政澄が長政に対し、諫言を口にした。
「玄蕃、その方っ!?」
 長政は政澄を睨め付ける。
 政澄も一歩も退かず、
「お屋形様、当家が苦難の際、手を差し伸べて下さった朝倉殿に弓引くは、恩を仇で返すも同じ。この玄蕃、お聞き届け頂けない時は腹勝っ捌く所存」
「おお、よくぞ申した玄蕃」
 久政が言った。
 長政はキイっと奥歯を噛み締め、父を睨みながら歯軋りをした。
「お待ち下され、ご隠居様」
 口を挟んだのは直経だ。
 直経は久政の前に進み出て平伏する。
「以前、この喜右衛門がご隠居様に申し上げたこと覚えておられるかっ」
 言上すると直経は頭を上げた。
「無礼であろう、喜右衛門。家来の分際でっ、この慮外者めがぁっ!」
 久政は直経に罵声を浴びせた。
「無礼を承知で申し上げておるのでござる。織田信長と申す男を生かしておいたら、何れ当家に災いを為す故、始末するべしと言上致した。然るにご隠居様はその折、この某に人の道外れると仰せになられた。あの折、信長めを討ち取っておけば今日のような事態にならずに済んだのでござる」
 直経は臆することなく毅然とした態度で告げた。
「むむむ……」
 久政はバツ悪そうに口籠った。
「ならば喜右衛門、そちは何と致す所存か」
 政澄が尋ねた。
 直経は、久政と長政に一礼してから、
「朝倉と縁を切り、織田に与する以外当家に生き残る道はござらん」
「否、それは出来ぬ」
 政澄は険しい表情で首を横に振った。
「玄蕃、ここは喜右衛門の申す通りじゃ。儂は既に義兄上にお味方致すと決めておるっ」
「お屋形様っ」
 政澄は悲し気な顏になり、長政を見やった。
「どうしても織田に味方なされるならば、先ほども申し上げた通り某は腹を切りまするっ」
 言い終えると、政澄は脇差を抜いて、目の前に置いた。
 政澄に続き、脇に控える重臣たちも、前に進み出て政澄の隣に座る。彼に倣うように脇差を目の前に置いた。
「某も腹を召しまするっ」
「我も腹を切るっ」
 諌死覚悟で、重臣たちは長政の説得に当たった。
「くくっ……」
 長政は悔し気な表情を作り、無言のまま席を立った。
「これ、新九郎。その方、どこへ参る。話はまだ終わっておらぬぞ」
 久政が引き留める。
 だが長政は父の制止を無視して、評定の間を出た。
 小谷城本丸主殿を離れ、清水谷の浅井屋敷の奥座敷へ足を運んだ。
 愛妻お市の顔が、堪らなく見たくなったのだ。
 旧暦の四月二十三日のこの日は、現在の暦では五月二十七日に当たる。
 北近江の山々の樹々は、新緑の季節を迎え、陽の光を浴びて青々と輝いていた。
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