元亀戦記 江北の虎

西村重紀

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第六章 上洛

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 織田軍の伊勢侵攻は、大河内城の戦いの後、信長の要請を受けた義昭が北畠との仲介に立ち、十月三日に和議が成立した。
 信長は北畠家方と和睦すると、次男織田信雄を養嗣子として送り込んだ。
 その月の十一日に、凱旋のため信長は上洛するが、直ぐに岐阜城に戻ってしまった。
 永禄十三年(一五七〇)一月、信長は再び上洛すると、前年に出した殿中御掟に更に五箇条を加えた。
 これには流石の義昭も怒りを覚えたらしく、
「信長めっ、たかが守護代の奉行の家の身であるくせに、余を虚仮に致すとはっ」
「ご尤もでござりまする」
 義昭の側近の一人である摂津晴門は、同調するような口調で言った。
「何とかして、あ奴を追い出す手立てはないか……」
 義昭は歯軋りをした。
「然しながら今や織田は飛ぶ鳥を落とすほどの勢い、彼奴めに対抗出来る大名は甲斐の武田か、越後の上杉くらい」
「甲斐と越後は遠いっ、遠過ぎる。おおっ、そうじゃ越前の朝倉は、朝倉はどうじゃ」
「朝倉殿は如何なものかと……」
 晴門はあまり良い返事をしなかった。

 信長はその頃、京での宿泊先である本能寺に入っていた。
 この日、信長をとある人物が訪ねて来た。上洛中の盟友徳川家康である。
「三河殿、公方様の周りでは何やらきな臭い臭いが漂って来ておる」
「某も噂に聞き及んでございます」
「一度は手を切った越前の朝倉と手を結ぶ所存と見た」
 信長は体温の低い声で言った。
「何処から報せが」
 怪訝そうに顔を顰め家康が尋ねた。
「明智じゃ、明智十兵衛と申す将軍家の家人じゃ」
 するとそこに、信長の小姓の長谷川橋介が、両名の間に割って入り、
「ご無礼仕る。只今北近江宰相浅井備前守殿がご到」
「おおっ、参られたか。お通し致せ」
 信長は満面に笑みを浮かべた。
 程なくして襖が開いた。家康と同じように、長政も供廻り衆を一人も付けず、信長の前に現れた。
 長政は幾分訝し気に家康を見やった。
「徳川三河守にござる。以後お見知り置きを」
 家康は名乗りながら軽く頭を下げた。
 長政も、家康に一礼し、彼に対座する形で腰を下ろした。
「浅井備前守でござる」
「義兄弟三人が揃ったところで本題に入ると致すか」
 信長が言った。
「本題?」
 長政は徐に首を傾げ、眉根を寄せた。
「これっ誰か。十兵衛をこれに召し出せっ」
 信長は手のひらをポンポン叩きながら言った。
 すると、長政の背後の襖障子が開き、海松色の素襖を纏った中年武将が現れた。
「足利家奉公衆の明智十兵衛にござる」
「あの明智かぁ……!?」
 長政は、光秀が浪人の頃何度か居城の小谷城で会っており、彼が将軍の家人となったことに驚き、些か愕然としていた。
「十兵衛、今し方徳川殿にはことの子細を申し上げた」
 信長は、家康と光秀を交互に見ながら言った。
「然様でござりまするか」
 光秀は小さく頷いた。そして、眼前に座る長政の顔を凝視した。
「その方の口から浅井殿に申し伝えよっ」
「はっ」
 光秀は恭しく一礼した。
「上様には織田殿に対し別心ありとお見受け致す」
「別心っ!?」
 長政は忽ち上擦った声を上げた。
 別心とは、大恩ある信長を裏切るという意味に捉えてよい。
「証拠は某が握っておりまする」
 光秀は不敵な笑みを浮かべるのであった。
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