道誉が征く

西村重紀

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第四章

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 軍功第一ということを、後醍醐天皇によって認められた足利高氏は、従四位下に叙され、鎮守府将軍、左兵衛督に任ぜられた。更に、八月五日には従三位に昇叙、武蔵守となった。加えて後醍醐天皇は、諱である尊治から偏諱を与え、高氏から尊氏へと改名した。
 嘗て、北条得宗家当主の高時から、ともに偏諱を受け同じ高氏という諱を名乗っていた道誉としては少し寂しいものを感じた。
「同じ将軍と申せ、鎮守府将軍と征夷大将軍とは訳が違うぞ」
「どう違うと申すのだ」
 眉を顰め、尊氏は穿った眼差しを道誉に向けた。
「鎮守府将軍では幕府は開けんっ、やはりここは是が非でもお手前に征夷大将軍になってもらわねば」
「二人も征夷大将軍は要らぬ」
 尊氏は無表情のまま道誉を見やった。
「だから手を打つのじゃ。あの御仁を征夷大将軍の座から引き摺り下ろすために」
「下ろすと申しても、一体どうやって」
「思案中だ」
 道誉は素っ気なく言うと、欠伸を噛み殺した。
「やはりあの折、征夷大将軍になっておくべきだったな」
「今更何を申すかっ」
 少し苛付き、道誉は尊氏を凝視した。
 尊氏の顔は、相変わらず覇気を感じられなかった。
「しかしいつ見ても、お手間の顔は陰気でござるな」
「生まれ付きの顔じゃ。陰気な顔で悪かったな」
 忽ち不機嫌になった尊氏は、顰め面で言う。
「兎も角、早々に手を打たねば」
 言ったあと、道誉は溜め息を吐いた。
「それに関しては御辺にお任せする」
 尊氏は他人事のように言い捨てる。
「相分かった。ならばこちらで何とか致そう」
 と、道誉は低い声で言った。

 九月には、雑訴決断所が新たに設けられた。
 道誉の口添えによって不問となった六角時信は、検非違使に取り立てられ、この度新設された雑訴決断所の奉行人の要職にも就いた。道誉も、雑訴決断所の奉行人の一人として名を連ねている。他に佐々木一族では塩冶高貞も奉行人となった。
 雑訴決断所の頭人は、後醍醐天皇の愛妾阿野廉子の養父、洞院公賢だ。彼は後醍醐天皇の親政下に於いて、内大臣の要職にあった。
 公賢の養女である阿野簾子が産んだ皇子のうち一人を次の天皇にと考えている。
 そこで道誉は、上司に当たる雑訴決断所の頭人の公賢に接触を試みた。だが、公賢を取り巻く無能な公家共に阻まれてことは旨く進まなかった。
「えぇぃっ! この立たず共がぁっ!」
 道誉は、雑訴決断所の役人を務める公家の一人の胸元を鷲掴み、激しく罵倒した。
「ひいぃぃっ」
 公家は恐れ戦き、腰を抜かしてしまった。
 板敷の上に臀部から崩れ落ちたその公家は、震えながら後退った。
「佐々木佐渡殿……乱心なされたのかぁ」
 その一部始終を傍らにて目撃していた公家が、わなわなと震えながら言った。鉄漿を塗った歯がガクガクとなっている。
 水干姿の公家を、道誉は凝視した。
「身共に何かご用かっ!」
 鬼の形相と化した道誉に睨み付けられ公家は、忽ちその顔から血の気が失せた。例えるなら蛇に睨まれた蛙といったところである。
「否、その……」
 公家はしどろもどろで答え、視線を逸らした。
 騒ぎを聞き付け幾人かの公家が集まって来た。
 道誉は眉を顰め、か弱い公家共を睨み付けた。
「其処許らは、武士たる者が何者であるかを分かっておられぬっ」
 腹の底から発したような低い声で、道誉は公家たちを恫喝した。
 騒ぎが大きくなった。
 するとそこに、同じ佐々木一門の六角時信が現れた。些か険しい表情をしている。
「如何なされた方々」
「おうっ、六角判官殿か……何とかして頂きたい」
 先ほど、道誉に恫喝され腰から砕け落ちたあの公家が、ここぞとばかりに時信に訴えた。
「ここは身共にお任せ下され」
 と言うと、時信は未だ興奮冷めやらぬ道誉の許に近寄った。
 あごをしゃくって、表に出ろと目顔で合図を出した。
「ああ」
 道誉は小さく頷き、時信とともに公家共の前から立ち去った。

 謹慎処分となった道誉は京を離れ、領国北近江の柏原の館に戻った。
 広縁に立ち、庭園を眺めていると家宰の吉田厳覚が現れた。
「殿、高殿がお見えでござる」
「高殿が……?」
 道誉は聊か腑に落ちない表情を作り、首を傾げた。
「ここにお通し致せ」
「はっ」
 一礼し、厳覚は道誉の前から去った。
 暫くすると、厳覚に伴われ師直が現れた。
 師直を見やり、道誉は口許を僅かに緩めた。
 勝色の地に、真っ赤な蜘蛛を模した直垂姿の道誉に劣らず、師直も婆沙羅に相応しい形をしていた。
 萌黄色の地に、青竹色の蟷螂を描き、揚羽蝶を襲う図柄の直垂を身に纏っている。
「また随分と派手な直垂でござるな」
「いやいや佐渡殿には到底及びませぬ」
 師直は自嘲気味に言った。
「この図柄には何か意味がござるのか」
 道誉は師直の意図を探ろうとした。
 近頃、足利家の家宰に過ぎぬ高兄弟の増長振りが酷いという噂が広がっていた。特に、兄の師直は主君尊氏の威を借りて好き勝手し放題だった。
「別に他意はござらぬ」
 師直はかぶりを振って薄い笑みを浮かべた。
「聞くところによると、高殿は然るやんごとなき姫君を無理やり手籠めにしたと」
「滅相もござらん。あちらから某に言い寄って来たまでのこと」
「然様で……」
 と、素っ気なく言ったあと、道誉は、
「して、今を時めく足利殿の家宰である高殿が、斯様な辺鄙な片田舎に参られた訳をお聞かせ頂きたい」
 本題を切り出した。
「大塔宮様は、我が殿の力を削ごうと企んでおられる節が見受けられる」
 師直は先ほどとは違って厳しい表情となった。
「やはり先の殿法印の一件を未だ根に持っておられるのか」
「ああ。全く困った御仁よ」
 師直は渋面を作り頷いた。
 足利尊氏が鎌倉幕府に反旗を翻し六波羅探題を攻めた時、大塔宮に伺候していた殿法印こと二条良忠は赤松則村の手勢に加わり共に六波羅を攻めた。この際、殿法印配下の雑兵共が狼藉を働き洛中を荒らし捲くるという事件が起こった。
 殿法印の配下は統制が取れておらず、殆んど野盗と変わらなかった。すぐさま尊氏は兵を差し向け、二十名を捕縛し、斬首に処した。その首は六条河原にて晒し首となった。
 結果、ここに足利尊氏と大塔宮護良親王の対立構造が生じ、それが次第に激化していった。
「で、御辺はこの道誉に何を求めてござる」
「京に戻って来てはもらえませぬか佐渡殿」
「身共はあの鉄漿顔を見ていると虫唾が走る。まあ、我が佐々木一門の棟梁たる六角判官殿の顔を立てて此度は大人しく引き下がってやったが、次こそは某とて何を仕出かすか分からぬ」
 道誉は興奮気味に捲し立てた。
「くけけけ……」
 師直は悪戯な笑みを浮かべた。
「うんっ、何が可笑しいっ」
「いやいや、そうではござらん。佐渡殿も、この五郎左衛門尉のように、公達殿も見目麗しき姫君を狩られては如何でござろう」
 師直は道誉に、いけ好かない公家共に対する意趣返しとして、自らの権力にものを言わせ無理やり我がものとすることを奨めた。
「それで気が晴れるのであれば良いがのう」
 道誉は憮然と吐き捨てた。
「で、佐渡殿、先ほどの件でござるが」
「……五宮、六宮、七宮様の御生母、阿野廉子様の養父君は内大臣洞院公堅公、科の御仁を旨く使えば、話も変わってくる」
「なるほど、阿野廉子様は御子息のうちの一人を、次の天子様にとお考えておられる」
「然様、幸いにも洞院公は、雑訴決断所頭人と伝奏を兼ねておられる。かの御仁に旨く取り入り主上のお心を動かすことが出来れば、我らにも勝機が」
「でござるな」
 師直は破顔し、白い歯を見せ笑った。
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