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第37話 学問所の目的
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「陛下もいつかそうなさるおつもりですか?」
フヨウは訊ねた。
「さて」
アリカは首を傾ける。
「全ては陛下とラテ次第ですね。次の皇后が入れば別に私がここに居る必要も無い。ラテがきちんと皇位を自覚していてくれるならば、私のすることなど大してないでしょう。……むしろ、私のやり方は否定するかもしれないし」
「何故でしょうか」
差し出がましい疑問ではある。だがフヨウは聞きたかった。この皇后のもとでの任務は面白い。
何をするのか判らないからわくわくする。
指示自体がその場では判らなくとも、そのうち意味が判る。実際、十年近く昔にアリカが改良を命じた墨筆は現在元からあった筆よりずっと多く流通している。
どうやってそれを考案したのか判らない。それが彼女の中の「知識」だとは聞いているが、フヨウにはそれに関する想像ができない。
だからこそ、考えていること自体を知りたくて仕事に精を出してしまう。結果として今のところ自分は皇后から暇を出されることはない。
「太公主様が長生きなさってくだされば誰のためにも良いのだが」
そして思う。こう言う皇后は、皇帝に対してはどんな気持ちを抱いているのだろうかと。
当人はよく言う。自分には人の感情が薄いのだと。それは判る。そしてそんな人じみていない自分をそのままぶつけることができるのはサボンだけなのだと。
元々は入れ替わりなのだと知っている。
だがそもそもフヨウはそんなことはどうでもいいと思っていた。
自分等を最初にまとめたあの太后のイチヤですら! この帝国のために何をしたという訳でもない三代の皇后、現在の太后、天下御免の印を持っているのだ。
それに比べ、目の前のアリカは、少なくともこの十年というもの、何かしら民のためになることをしようとしている。
現在なら、実験的に副帝都に作った「学問所」だ。現在ラテが通うあの場所は「将来息子が通うために」彼女が用意したものだ。
生まれてすぐに設立の用意をさせたので皆さほどに考えていなかったと思われる。むしろ、この先の優秀な人材育成のために…… と表の閣僚達からは思われているふしがある。
だが違う。フヨウは知っている。あれは三つ役目がある。
一つ目は皇太子が混じって様々な場所の子供達と交流しながら勉強するため。
二つ目は確かに優秀な人材の育成のため。
そして三つ目は、やがて全国に作らせる皇立学問所のひな形としてだった。
「どんな場所にも読み書きを教える場所はある。文字がある限り。ただそれを学べる者は決して多くはない」
アリカはそう言った。
「読み書きはできた方がいいか? 無しの方がいいか?」
そしてそう問いかけてきたので。
「できなくとも生きてはいけます。実際私達の里ではそういう者も居ます。見聞きしたことだけで、口伝えでやっていける者も。でも」
フヨウは知っている。
「ずっと里に居て、同じ仕事をしているだけならいいでしょうが、里の外に出る場合はどうしても必要です。特に我々の様に誰かと顔を合わせずに渡りをつける場合には。ですので他の庶民も同様です。知っていればその場に縛られずに仕事を求めることができます」
「ではその逆にまずい点は?」
「もし帝国が、人々を土地に縛り付けた上で税を徴収し、富を蓄積するだけならば、それは決して良いことではありません。知らないままに一箇所に縛り付け、移動を制限し、一生をそこで暮らす者が多ければ、それはそれで安泰でしょう」
「だがそれは帝国だけのこと」
「それが、我々に調査させていることなのですね」
「そう。帝国以外の場所に全く違う国があるはず。少なくとも人が生きてる。私と皇帝陛下はそれを知っているけれど、誰が信じよう?」
フヨウは首を横に振った。
「砂漠の向こう側、海の向こう側、どちらにせよ、今は渡る手段が無いから単に我々は同じことを繰り返していれば安泰と。だがそれがいつまで続くか判らない。だから差備えなくてはならない」
「……いつも思いますが、陛下はそれをご存知であったとしても、何故『そう』しようと思われるのですか?」
「先例を知っているからだ」
「先例?」
こういう所はまださすがにフヨウには理解できない。
それが「知識」の中にあるとして、それは何処だというのだろう?
先例が、過去にあったというなら、それは遠い昔だというのだろうか?
「サボンはそこまでは聞かないな」
「恐れ入ります」
「いやいい。フヨウは想像できるか? この帝国が一つの球の上に乗った小さな島に過ぎないということは」
「球…… ああ、あの陛下が作らせた大きな」
「そう。だけどあんなものが幾つもあって、それぞれに違う歴史を歩んでいるところがあるということを想像できるか?」
「違う……?」
想像の外だった。
「その球も、広い広いそらの中でほんの小さなゴミの様なものだと、考えることはできるか?」
「……ゴミ…… でございますか?」
いや無理だ。そもそも球だ、とアリカが言うからとりあえずそう仮定しているに過ぎない。
そしてその模型から予想される「最も帝国と近い砂漠以外の地帯」に部下を送らせていることも、あくまで仮定に基づくものに過ぎない。
フヨウは「仕事として」その仮定を一応信用することにしているが、彼女の「常識」では世界は平たい場所に過ぎないのだ。
そして未だ、その北の地の果てから部下は戻ってこない。彼等が戻ってきてから正確な公式の測量隊を出そう、と皇后は言っているのだが。
フヨウは訊ねた。
「さて」
アリカは首を傾ける。
「全ては陛下とラテ次第ですね。次の皇后が入れば別に私がここに居る必要も無い。ラテがきちんと皇位を自覚していてくれるならば、私のすることなど大してないでしょう。……むしろ、私のやり方は否定するかもしれないし」
「何故でしょうか」
差し出がましい疑問ではある。だがフヨウは聞きたかった。この皇后のもとでの任務は面白い。
何をするのか判らないからわくわくする。
指示自体がその場では判らなくとも、そのうち意味が判る。実際、十年近く昔にアリカが改良を命じた墨筆は現在元からあった筆よりずっと多く流通している。
どうやってそれを考案したのか判らない。それが彼女の中の「知識」だとは聞いているが、フヨウにはそれに関する想像ができない。
だからこそ、考えていること自体を知りたくて仕事に精を出してしまう。結果として今のところ自分は皇后から暇を出されることはない。
「太公主様が長生きなさってくだされば誰のためにも良いのだが」
そして思う。こう言う皇后は、皇帝に対してはどんな気持ちを抱いているのだろうかと。
当人はよく言う。自分には人の感情が薄いのだと。それは判る。そしてそんな人じみていない自分をそのままぶつけることができるのはサボンだけなのだと。
元々は入れ替わりなのだと知っている。
だがそもそもフヨウはそんなことはどうでもいいと思っていた。
自分等を最初にまとめたあの太后のイチヤですら! この帝国のために何をしたという訳でもない三代の皇后、現在の太后、天下御免の印を持っているのだ。
それに比べ、目の前のアリカは、少なくともこの十年というもの、何かしら民のためになることをしようとしている。
現在なら、実験的に副帝都に作った「学問所」だ。現在ラテが通うあの場所は「将来息子が通うために」彼女が用意したものだ。
生まれてすぐに設立の用意をさせたので皆さほどに考えていなかったと思われる。むしろ、この先の優秀な人材育成のために…… と表の閣僚達からは思われているふしがある。
だが違う。フヨウは知っている。あれは三つ役目がある。
一つ目は皇太子が混じって様々な場所の子供達と交流しながら勉強するため。
二つ目は確かに優秀な人材の育成のため。
そして三つ目は、やがて全国に作らせる皇立学問所のひな形としてだった。
「どんな場所にも読み書きを教える場所はある。文字がある限り。ただそれを学べる者は決して多くはない」
アリカはそう言った。
「読み書きはできた方がいいか? 無しの方がいいか?」
そしてそう問いかけてきたので。
「できなくとも生きてはいけます。実際私達の里ではそういう者も居ます。見聞きしたことだけで、口伝えでやっていける者も。でも」
フヨウは知っている。
「ずっと里に居て、同じ仕事をしているだけならいいでしょうが、里の外に出る場合はどうしても必要です。特に我々の様に誰かと顔を合わせずに渡りをつける場合には。ですので他の庶民も同様です。知っていればその場に縛られずに仕事を求めることができます」
「ではその逆にまずい点は?」
「もし帝国が、人々を土地に縛り付けた上で税を徴収し、富を蓄積するだけならば、それは決して良いことではありません。知らないままに一箇所に縛り付け、移動を制限し、一生をそこで暮らす者が多ければ、それはそれで安泰でしょう」
「だがそれは帝国だけのこと」
「それが、我々に調査させていることなのですね」
「そう。帝国以外の場所に全く違う国があるはず。少なくとも人が生きてる。私と皇帝陛下はそれを知っているけれど、誰が信じよう?」
フヨウは首を横に振った。
「砂漠の向こう側、海の向こう側、どちらにせよ、今は渡る手段が無いから単に我々は同じことを繰り返していれば安泰と。だがそれがいつまで続くか判らない。だから差備えなくてはならない」
「……いつも思いますが、陛下はそれをご存知であったとしても、何故『そう』しようと思われるのですか?」
「先例を知っているからだ」
「先例?」
こういう所はまださすがにフヨウには理解できない。
それが「知識」の中にあるとして、それは何処だというのだろう?
先例が、過去にあったというなら、それは遠い昔だというのだろうか?
「サボンはそこまでは聞かないな」
「恐れ入ります」
「いやいい。フヨウは想像できるか? この帝国が一つの球の上に乗った小さな島に過ぎないということは」
「球…… ああ、あの陛下が作らせた大きな」
「そう。だけどあんなものが幾つもあって、それぞれに違う歴史を歩んでいるところがあるということを想像できるか?」
「違う……?」
想像の外だった。
「その球も、広い広いそらの中でほんの小さなゴミの様なものだと、考えることはできるか?」
「……ゴミ…… でございますか?」
いや無理だ。そもそも球だ、とアリカが言うからとりあえずそう仮定しているに過ぎない。
そしてその模型から予想される「最も帝国と近い砂漠以外の地帯」に部下を送らせていることも、あくまで仮定に基づくものに過ぎない。
フヨウは「仕事として」その仮定を一応信用することにしているが、彼女の「常識」では世界は平たい場所に過ぎないのだ。
そして未だ、その北の地の果てから部下は戻ってこない。彼等が戻ってきてから正確な公式の測量隊を出そう、と皇后は言っているのだが。
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