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第38話 やはり何処か似ていた。
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「母様!」
少年はその言葉で呼べる女性に駆け寄る。
「元気だったか? 見るたびにラテは大きくなっているようだが」
「はい!」
「大きくなれるうちは大きくなると良い。そのうち貴方はこの母を越していくだろうからな」
「どのくらいで母上の背を抜けますか?」
「私はその歳の少女の中では大きい方ではなかった。この分なら三~四年もすれば軽く追い抜いてしまうだろうな」
「父上もですか?」
「さてそれはどうだろう」
アリカは首を傾ける。
*
珍しいことだった。
大概アリカ自身はラテの相手はすることはないのだ。
だがサボンに特別な休みをやっている以上、たまにはまるまる自分の子をみるのも良いだろうと考える。
それ自体が母親としてはどうだろう、とアリカも思わなくもない。だがどう考えても無理なことには無駄な努力はすまい、と彼女は考える。
ラテを生んだのは自分だが、育て、母親だと言える存在はエガナなのだ。自分との間には拭いがたい距離が初めから存在する。
その距離が、やがては彼を置いて行く時にも自分にも彼にも良い方向にと導いていくとアリカは考える。考えたかった。
「たまにはあちこちを見て行こう」
「あちこち?」
「そう。普段使っている墨筆を考え作ってくれた所や、貴方の冬の服を考えたり作ったりしてくれていたところだ」
配膳方では二人が並んで歩いているという久しぶりの珍しい光景に、昼食に腕を振るっているだろう。そこは見せずに。
「最近は友達ができたと聞いたが」
「はい母様。フェルリと一緒にレク君の家に毎日のようにお邪魔してます」
「楽しいか?」
「楽しいです。沢山きょうだいやいとこが居ますし。それに、少し前に生まれたって言うレク君の妹が可愛くて」
「可愛いか?」
「うーん。僕は赤ん坊をそんなに沢山見たことがある訳じゃないけど、街で背負われている子達よりずっとはっきりした顔で」
「大きくなったら、美人になりそうと?」
「うーん」
ラテは首を傾げた。その辺りの仕草は何故か自分と似ている、とアリカは思う。何かを考える時に一呼吸置く時。
「母様は、ご自分が美人だと思いますか?」
……なるほどそれは考える質問だろう、と彼女は思う。それに唐突だ。
「僕は母様は美しいと思うけど、ここでそのことを誰も口にしないから、僕の目が正しいのか判らないんだ」
そういうことか、と納得する。
「私はさほど自分の目鼻立ちのことを考えたことは無いが。ただ鏡を見た時、そんなに目鼻立ちの配置がもの凄く悪いとまでは思わない」
「配置?」
「綺麗かそうでないかというのは皮一枚のものだ。だがその一枚の上で、もの凄く微妙なその位置関係で、綺麗と思われるかそうでないか決まるものだ。それも決していつの時代も同じだとは限らない」
「母上、もう少しわかりやすい言葉でお願いします」
「そうかすまん。つまり顔の綺麗さなど、皮一枚で大したことはない、と言いたいだけなんだ」
「つまり、僕が綺麗と思えば綺麗、ってことでいいのかな」
「そういうものだ。見た目だけで決まるものでもない。その見る目も必ずしも昔から決まっていた訳でもない…… そうだな」
歩く道々に咲く色とりどりの花。どれも綺麗だから、と植えられている。アリカはその中で樹から垂れ下がる白い大きな花を指す。
「ごらんこの花」
「ふにゃふにゃしてる。何で皆下向いてるの?」
「これは咲く時間が決まっている。夕刻に咲いた時にはとても綺麗だ。だが今はどう見える?」
「傘がぶらさがってるみたい」
「ラテにはそう見えるな。そしてもう一つ、この花には覚えておかなくてはならない怖いこともある」
「怖いこと?」
少年は花に近づくと眉を寄せた。
「近くに行くのはいいがあまり触るな。毒がある」
ぴょん、と弾かれた様にラテは後ずさる。
「毒?」
「ああ。ただそれは別に人をすぐさま死なせてしまうようなものではない。眠らせたり、嫌な夢を見せる様なものだ」
「どうしてそういう花も飾るの?」
「飾る者がそれを知らないからだ」
「知らない?」
「何かの毒がある、ということは知っていても、滅多に人がわざわざ取る様な花でもなく、それでいて沢山あれば豪華だ。白くて夕暮れに咲く様は美しい。そして手折るにはむずかしい。だから皆触らない。せいぜい庭師達の一部くらいだ。彼等は知っているかもしれないし、知らないかもしれない」
「そうなんだ…… 怖いね」
「知らないということは怖い。そして知っても怖い。さて、ラテはどっちがいい?」
ラテはそう言ったまま、白い花をじっと見据えている母親に視線を移す。
おそらく彼女は何かしら自分に対して彼女なりの何か伝えたいことがあるのだろう。
エガナとフェルリ、それにトモレコルの子供達や学問所の子供達や先生との生活を続けていれば、紛れもなくこの何処か違う母親に対して、見えてくるものはある。
「知っている方がいい」
「それがどれだけ重いものでもか?」
「母様」
ラテは母親を見上げた。後数年もすれば見下ろすことになるのだろう姿。学友達の母親とは違う、端から見れば姉にしか見えない―――
「その庭師くらいしか知らないことを母様は知ってるんでしょう? 皆が知らないことを」
「ああ。私だけでない。貴方の父上も」
「それを僕も知ることになる?」
「貴方の父上がそれを渡して去る時に」
「……僕は、父上は長生きしてもらいたい」
「私もそう思う」
「あと――― 母様は父上のことが好きなんですか?」
「何?」
「今日母様が僕と歩いてくれるのも、サボンが休みだからでしょう? リョセンさんが戻ってきたって聞いたし。だから僕は来たんだけど」
「それを聞きたかったのか?」
「トモレコルの小父さんは亡くなったレクのお母さんのことしか今は考えられない、って再婚の話をみんな断ってるって言うんだ」
「そう。情が深いひとだ」
「母様は違うの?」
「難しい問題だな」
どう言ったものか。やはりそこで首を傾げてしまうのは。
「私は、貴方の母は、人としての情が欠けている。貴方の父上には感謝している。あれだけの知識を貰えたのは比類無く嬉しい。情に近い好意も持っている。だけどそれは、貴方やサボンに持っているものとさして変わらない」
「では母様はそれより大きなものはないのですか? 仕事ですか?」
「仕事は大切だな。でも仕事は手段だ」
「手段?」
「貴方の父上や私の中にある知識を、実際に確かめたいということ。私はそれに対してだけは、ひりつく様な思いがある。これだけはどうにもならない。だから母は貴方を育てられない」
「それはいいんです。だって見ていれば判る。母様はサボンも僕ももののようにしか見ていないもの」
「貴方は聡い子だ。嫌か?」
「嫌も何も。だから母様はエガナを僕にくれたんでしょう? 父上の言うところの『母さん』として」
「物わかりが良すぎると、いつか破裂する」
「うん。だから僕は今、できるだけ楽しんでる。皆僕をそういう目で見ないから。それでいいでしょ」
ああやっぱり、自分のこの部分も受け継いでいる。それがどれだけの比率であれ。
「ところで墨筆ね、もっと汚れないものができないかなあ」
新しいものへの興味と聡さ。それと情。
両立するんだろうか?
息子の今の態度が仮面で無いことだけをアリカは願う。
少年はその言葉で呼べる女性に駆け寄る。
「元気だったか? 見るたびにラテは大きくなっているようだが」
「はい!」
「大きくなれるうちは大きくなると良い。そのうち貴方はこの母を越していくだろうからな」
「どのくらいで母上の背を抜けますか?」
「私はその歳の少女の中では大きい方ではなかった。この分なら三~四年もすれば軽く追い抜いてしまうだろうな」
「父上もですか?」
「さてそれはどうだろう」
アリカは首を傾ける。
*
珍しいことだった。
大概アリカ自身はラテの相手はすることはないのだ。
だがサボンに特別な休みをやっている以上、たまにはまるまる自分の子をみるのも良いだろうと考える。
それ自体が母親としてはどうだろう、とアリカも思わなくもない。だがどう考えても無理なことには無駄な努力はすまい、と彼女は考える。
ラテを生んだのは自分だが、育て、母親だと言える存在はエガナなのだ。自分との間には拭いがたい距離が初めから存在する。
その距離が、やがては彼を置いて行く時にも自分にも彼にも良い方向にと導いていくとアリカは考える。考えたかった。
「たまにはあちこちを見て行こう」
「あちこち?」
「そう。普段使っている墨筆を考え作ってくれた所や、貴方の冬の服を考えたり作ったりしてくれていたところだ」
配膳方では二人が並んで歩いているという久しぶりの珍しい光景に、昼食に腕を振るっているだろう。そこは見せずに。
「最近は友達ができたと聞いたが」
「はい母様。フェルリと一緒にレク君の家に毎日のようにお邪魔してます」
「楽しいか?」
「楽しいです。沢山きょうだいやいとこが居ますし。それに、少し前に生まれたって言うレク君の妹が可愛くて」
「可愛いか?」
「うーん。僕は赤ん坊をそんなに沢山見たことがある訳じゃないけど、街で背負われている子達よりずっとはっきりした顔で」
「大きくなったら、美人になりそうと?」
「うーん」
ラテは首を傾げた。その辺りの仕草は何故か自分と似ている、とアリカは思う。何かを考える時に一呼吸置く時。
「母様は、ご自分が美人だと思いますか?」
……なるほどそれは考える質問だろう、と彼女は思う。それに唐突だ。
「僕は母様は美しいと思うけど、ここでそのことを誰も口にしないから、僕の目が正しいのか判らないんだ」
そういうことか、と納得する。
「私はさほど自分の目鼻立ちのことを考えたことは無いが。ただ鏡を見た時、そんなに目鼻立ちの配置がもの凄く悪いとまでは思わない」
「配置?」
「綺麗かそうでないかというのは皮一枚のものだ。だがその一枚の上で、もの凄く微妙なその位置関係で、綺麗と思われるかそうでないか決まるものだ。それも決していつの時代も同じだとは限らない」
「母上、もう少しわかりやすい言葉でお願いします」
「そうかすまん。つまり顔の綺麗さなど、皮一枚で大したことはない、と言いたいだけなんだ」
「つまり、僕が綺麗と思えば綺麗、ってことでいいのかな」
「そういうものだ。見た目だけで決まるものでもない。その見る目も必ずしも昔から決まっていた訳でもない…… そうだな」
歩く道々に咲く色とりどりの花。どれも綺麗だから、と植えられている。アリカはその中で樹から垂れ下がる白い大きな花を指す。
「ごらんこの花」
「ふにゃふにゃしてる。何で皆下向いてるの?」
「これは咲く時間が決まっている。夕刻に咲いた時にはとても綺麗だ。だが今はどう見える?」
「傘がぶらさがってるみたい」
「ラテにはそう見えるな。そしてもう一つ、この花には覚えておかなくてはならない怖いこともある」
「怖いこと?」
少年は花に近づくと眉を寄せた。
「近くに行くのはいいがあまり触るな。毒がある」
ぴょん、と弾かれた様にラテは後ずさる。
「毒?」
「ああ。ただそれは別に人をすぐさま死なせてしまうようなものではない。眠らせたり、嫌な夢を見せる様なものだ」
「どうしてそういう花も飾るの?」
「飾る者がそれを知らないからだ」
「知らない?」
「何かの毒がある、ということは知っていても、滅多に人がわざわざ取る様な花でもなく、それでいて沢山あれば豪華だ。白くて夕暮れに咲く様は美しい。そして手折るにはむずかしい。だから皆触らない。せいぜい庭師達の一部くらいだ。彼等は知っているかもしれないし、知らないかもしれない」
「そうなんだ…… 怖いね」
「知らないということは怖い。そして知っても怖い。さて、ラテはどっちがいい?」
ラテはそう言ったまま、白い花をじっと見据えている母親に視線を移す。
おそらく彼女は何かしら自分に対して彼女なりの何か伝えたいことがあるのだろう。
エガナとフェルリ、それにトモレコルの子供達や学問所の子供達や先生との生活を続けていれば、紛れもなくこの何処か違う母親に対して、見えてくるものはある。
「知っている方がいい」
「それがどれだけ重いものでもか?」
「母様」
ラテは母親を見上げた。後数年もすれば見下ろすことになるのだろう姿。学友達の母親とは違う、端から見れば姉にしか見えない―――
「その庭師くらいしか知らないことを母様は知ってるんでしょう? 皆が知らないことを」
「ああ。私だけでない。貴方の父上も」
「それを僕も知ることになる?」
「貴方の父上がそれを渡して去る時に」
「……僕は、父上は長生きしてもらいたい」
「私もそう思う」
「あと――― 母様は父上のことが好きなんですか?」
「何?」
「今日母様が僕と歩いてくれるのも、サボンが休みだからでしょう? リョセンさんが戻ってきたって聞いたし。だから僕は来たんだけど」
「それを聞きたかったのか?」
「トモレコルの小父さんは亡くなったレクのお母さんのことしか今は考えられない、って再婚の話をみんな断ってるって言うんだ」
「そう。情が深いひとだ」
「母様は違うの?」
「難しい問題だな」
どう言ったものか。やはりそこで首を傾げてしまうのは。
「私は、貴方の母は、人としての情が欠けている。貴方の父上には感謝している。あれだけの知識を貰えたのは比類無く嬉しい。情に近い好意も持っている。だけどそれは、貴方やサボンに持っているものとさして変わらない」
「では母様はそれより大きなものはないのですか? 仕事ですか?」
「仕事は大切だな。でも仕事は手段だ」
「手段?」
「貴方の父上や私の中にある知識を、実際に確かめたいということ。私はそれに対してだけは、ひりつく様な思いがある。これだけはどうにもならない。だから母は貴方を育てられない」
「それはいいんです。だって見ていれば判る。母様はサボンも僕ももののようにしか見ていないもの」
「貴方は聡い子だ。嫌か?」
「嫌も何も。だから母様はエガナを僕にくれたんでしょう? 父上の言うところの『母さん』として」
「物わかりが良すぎると、いつか破裂する」
「うん。だから僕は今、できるだけ楽しんでる。皆僕をそういう目で見ないから。それでいいでしょ」
ああやっぱり、自分のこの部分も受け継いでいる。それがどれだけの比率であれ。
「ところで墨筆ね、もっと汚れないものができないかなあ」
新しいものへの興味と聡さ。それと情。
両立するんだろうか?
息子の今の態度が仮面で無いことだけをアリカは願う。
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