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第36話 時間は少女を耳年増にさせた。
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それまで殆ど倉庫の様にしか使われていなかった私室をその日初めてサボンは使った。
正式な結婚をしなくてもいいのか、などといちいち言ってくる相手を殆ど彼女が押し倒した様な形だ。
後宮に数年も居れば―――いや、自分より年かさの女が気前よく色々話してくれる職場にいたならば、自然耳年増にもなってしまう。
とは言え、自分が実行するなどとはサボンも全く思ってはいなかったが。相手の朴念仁さが悪い、と今でも思い出す都度自分にそう言い訳するくらいだった。
現在でもこの男は疲れていればどんな場合でも眠ってしまうのだ。困ったことに、最中にふっと灯りが消された様に眠り込んだことすらある。
*
なのでそんなことがあってからはさすがに彼女も神経が太くなり、聞くとはきちんと聞くのだ。
「今日は泊まってくださいますね?」
と、強く。
それは「ちゃんと睡眠をとってきてくださいましたよね?」の意味でもあった。
「無論」
「本当に?」
「……任地で散々向こうの藩候夫妻のいちゃつき様をみせつけられた」
「……それは…… 何というか……」
「部下達もその様子にどれだけ故郷に帰りたがったことか」
「上に立つ方のそういうのもまた罪ですね……」
「いやそれだけでない。聞いてくれ」
「はい」
口数が少ないはずの彼が愚痴になるとは。思わず彼女は姿勢を正した。
「藩候と夫人は本当に常に一緒に居た」
「常に」
「朝起きて、我々が朝の整列や連絡事項を伝えている時にも、視界に入る範囲で必ずと言っていい程腕を絡めたり頬ずりをしたりくちづけをしたり」
「……ずっとですか?」
「少なくとも俺が見た時には必ず」
「嫌がらせですか」
「だとしても俺達にはどうにもならん…… おそらく、俺の前任が病んで戻っていったのはあのせいだろうな」
それはそれは。さすがにそれはアリカに報告しておこう、とサボンは思った。
「必ず、でしたら本当に嫌がらせかもですね。でないと藩候のお仕事というものもできませんもの」
「……さすがに新任の挨拶に行った時には、横に奥方が侍っていたのには度肝を抜かれた」
サボンは少しだけ椅子をずらし、彼に近づいた。
「このくらいですか?」
「いや、もっと」
「ではこのくらい」
「むしろ」
彼はサボンの腕をとった。そして自分の首に回させる。
「このくらいだった」
*
「さすがに今日はサボンもゆっくりのんびりしてもらえますね」
「まあな」
「ちなみにリョセン殿が赴任していた場所の藩候なのですが、何というか、何かしら擬態しております」
「なるほど」
リョセンが手紙でサボンにちらと漏らした様子に、アリカは不審を抱いたのだった。そこでフヨウ経由で残桜衆を数名送り込み、確認させた。
あくまで確認のみである。だからどうこうするということではない。
「先手を打ってあることは」
「無論言わない」
「了解致しました。ところで陛下」
「何だ」
「私にももし愛人ができたら私室がいただけますか?」
「居るのか?」
「いえ」
「できたら言ってくれ。その時考える。そもそも其方達はこひの宮中のあちこちを私室の様にしているではないか」
「ごもっともです」
くすり、とフヨウは笑う。
残桜衆は何処からともなく入り込み、そして出て行くことができる。そして宮中は無闇に広く、人気の無い部屋が多すぎる。
「かつてはこれらの部屋が全て使われていたことがあったのでしょうか」
「記録によると、確かにそういう時代もあったらしい。フヨウはそういう宮中が見たいか?」
「どうでしょう。もう少し陛下達は華やかな暮らしをしてもいい様な気は致しますが。何かお考えが?」
「実はそこに関しては無い」
「そういうことはお考えには?」
「残念ながら私はそういうことを考えるのが不得意だ。……だが数年後には、必要となるだろうな」
「ラテ様ですか」
アリカはうなづく。十六になったらまずは皇太子として成人のお披露目をしなくてはならない。
すると次は「今のうちに」と娘を差し出す者が居るだろう。皇帝になる前に妻になってしまえば死ぬ思い無くお産ができる、と考えている者が大半なのだから。
「皇后にはなりたくない者は居ても、皇太子妃にはなりたい者はあるだろうな。今までの記録では存在していないが」
「そうなのですか?」
「今の陛下は即位されてこの宮中に入られた。先帝陛下はその父帝を弑することで皇帝になった。それまで女は居ても皇太子妃はいなかった。何故なら先帝陛下はそもそも常に父帝から命を狙われていたからな。だからこそ先帝陛下は父帝に生き残るために反旗を翻した。それこそ生まれもっての戦士の血というものだ」
「それ故に桜にも単身踏み込まれたりしたのですね」
「だろうな。だから皇太子妃が居たという記録は二代帝の皇太子時代だけなのだが、この皇太子妃がそのまま皇后になってしまったのが悲劇だった」
「と仰有いますと」
「まだこの時点では、皇后になるということがどういうことか、というのがダリヤ様にしてもよくお解りでなかったと思われる。あの方は心身も精神も健やかで、なおかつご自身が先頭に立って戦える方だ。知略も回る」
「ではその皇太子妃から皇后になった二代の方は」
「……皇太子妃の時代に、とても甘やかされたらしい。それこそダリヤ様が目を顰めるくらいに。だがそれだけに、……無理があったらしいな。溢れてくる知識がまるで悪鬼神の様に感じられたのだろうな、自分の中のその悪鬼神を倒すため、ということでなくては、あんな無惨な死に方はしない」
「どの位無惨なのか聞いても宜しいですか?」
「記録によると、塔から身を投げた、ということになっている―――のだが、皇帝や皇后の身体というのは、それこそ首を落とすか爆裂の中心に居るくらいしないことには死ぬことは無い」
ぞく、とフヨウは身体を震わせた。
「だからこそダリヤ様もイチヤ殿も天下御免のお墨付きだけもってふらふらと旅ができる訳だ。……まあいずれは」
そこでアリカは言葉を切った。
正式な結婚をしなくてもいいのか、などといちいち言ってくる相手を殆ど彼女が押し倒した様な形だ。
後宮に数年も居れば―――いや、自分より年かさの女が気前よく色々話してくれる職場にいたならば、自然耳年増にもなってしまう。
とは言え、自分が実行するなどとはサボンも全く思ってはいなかったが。相手の朴念仁さが悪い、と今でも思い出す都度自分にそう言い訳するくらいだった。
現在でもこの男は疲れていればどんな場合でも眠ってしまうのだ。困ったことに、最中にふっと灯りが消された様に眠り込んだことすらある。
*
なのでそんなことがあってからはさすがに彼女も神経が太くなり、聞くとはきちんと聞くのだ。
「今日は泊まってくださいますね?」
と、強く。
それは「ちゃんと睡眠をとってきてくださいましたよね?」の意味でもあった。
「無論」
「本当に?」
「……任地で散々向こうの藩候夫妻のいちゃつき様をみせつけられた」
「……それは…… 何というか……」
「部下達もその様子にどれだけ故郷に帰りたがったことか」
「上に立つ方のそういうのもまた罪ですね……」
「いやそれだけでない。聞いてくれ」
「はい」
口数が少ないはずの彼が愚痴になるとは。思わず彼女は姿勢を正した。
「藩候と夫人は本当に常に一緒に居た」
「常に」
「朝起きて、我々が朝の整列や連絡事項を伝えている時にも、視界に入る範囲で必ずと言っていい程腕を絡めたり頬ずりをしたりくちづけをしたり」
「……ずっとですか?」
「少なくとも俺が見た時には必ず」
「嫌がらせですか」
「だとしても俺達にはどうにもならん…… おそらく、俺の前任が病んで戻っていったのはあのせいだろうな」
それはそれは。さすがにそれはアリカに報告しておこう、とサボンは思った。
「必ず、でしたら本当に嫌がらせかもですね。でないと藩候のお仕事というものもできませんもの」
「……さすがに新任の挨拶に行った時には、横に奥方が侍っていたのには度肝を抜かれた」
サボンは少しだけ椅子をずらし、彼に近づいた。
「このくらいですか?」
「いや、もっと」
「ではこのくらい」
「むしろ」
彼はサボンの腕をとった。そして自分の首に回させる。
「このくらいだった」
*
「さすがに今日はサボンもゆっくりのんびりしてもらえますね」
「まあな」
「ちなみにリョセン殿が赴任していた場所の藩候なのですが、何というか、何かしら擬態しております」
「なるほど」
リョセンが手紙でサボンにちらと漏らした様子に、アリカは不審を抱いたのだった。そこでフヨウ経由で残桜衆を数名送り込み、確認させた。
あくまで確認のみである。だからどうこうするということではない。
「先手を打ってあることは」
「無論言わない」
「了解致しました。ところで陛下」
「何だ」
「私にももし愛人ができたら私室がいただけますか?」
「居るのか?」
「いえ」
「できたら言ってくれ。その時考える。そもそも其方達はこひの宮中のあちこちを私室の様にしているではないか」
「ごもっともです」
くすり、とフヨウは笑う。
残桜衆は何処からともなく入り込み、そして出て行くことができる。そして宮中は無闇に広く、人気の無い部屋が多すぎる。
「かつてはこれらの部屋が全て使われていたことがあったのでしょうか」
「記録によると、確かにそういう時代もあったらしい。フヨウはそういう宮中が見たいか?」
「どうでしょう。もう少し陛下達は華やかな暮らしをしてもいい様な気は致しますが。何かお考えが?」
「実はそこに関しては無い」
「そういうことはお考えには?」
「残念ながら私はそういうことを考えるのが不得意だ。……だが数年後には、必要となるだろうな」
「ラテ様ですか」
アリカはうなづく。十六になったらまずは皇太子として成人のお披露目をしなくてはならない。
すると次は「今のうちに」と娘を差し出す者が居るだろう。皇帝になる前に妻になってしまえば死ぬ思い無くお産ができる、と考えている者が大半なのだから。
「皇后にはなりたくない者は居ても、皇太子妃にはなりたい者はあるだろうな。今までの記録では存在していないが」
「そうなのですか?」
「今の陛下は即位されてこの宮中に入られた。先帝陛下はその父帝を弑することで皇帝になった。それまで女は居ても皇太子妃はいなかった。何故なら先帝陛下はそもそも常に父帝から命を狙われていたからな。だからこそ先帝陛下は父帝に生き残るために反旗を翻した。それこそ生まれもっての戦士の血というものだ」
「それ故に桜にも単身踏み込まれたりしたのですね」
「だろうな。だから皇太子妃が居たという記録は二代帝の皇太子時代だけなのだが、この皇太子妃がそのまま皇后になってしまったのが悲劇だった」
「と仰有いますと」
「まだこの時点では、皇后になるということがどういうことか、というのがダリヤ様にしてもよくお解りでなかったと思われる。あの方は心身も精神も健やかで、なおかつご自身が先頭に立って戦える方だ。知略も回る」
「ではその皇太子妃から皇后になった二代の方は」
「……皇太子妃の時代に、とても甘やかされたらしい。それこそダリヤ様が目を顰めるくらいに。だがそれだけに、……無理があったらしいな。溢れてくる知識がまるで悪鬼神の様に感じられたのだろうな、自分の中のその悪鬼神を倒すため、ということでなくては、あんな無惨な死に方はしない」
「どの位無惨なのか聞いても宜しいですか?」
「記録によると、塔から身を投げた、ということになっている―――のだが、皇帝や皇后の身体というのは、それこそ首を落とすか爆裂の中心に居るくらいしないことには死ぬことは無い」
ぞく、とフヨウは身体を震わせた。
「だからこそダリヤ様もイチヤ殿も天下御免のお墨付きだけもってふらふらと旅ができる訳だ。……まあいずれは」
そこでアリカは言葉を切った。
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