もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも

文字の大きさ
5 / 9

5 一年前のあの日

しおりを挟む
 たった一年前なのに、遥か昔のことのように思える。


 我が家の使用人たちは、皆、朝が早い。
 日の出と共に働き始める者たちもいる。


「どうしよう。こんなみすぼらしい姿で、私だと信じてもらえるかしら」

 窪んだ目。くすんだ肌。それにこの貧相なドレス。もしかして汗をかいて臭ってないかしら。

 それでも、屋敷に近付かずにはいられない。



「おや? もしやお嬢様? どうされたというのです? こんなお時間に外に出られて」

 しゃがんで覗きこもうとしていた背中越しに、懐かしい声が聞こえた。執事のケルビンだ。

 ……ケルビン。
 あの日も、一言も文句を言うことなく、私の指示に従ってくれた。
 去り際に笑顔まで見せてくれて。
 そのことを思い出すと、頬を一筋の涙が伝った。

 だめよ。泣いていると余計に不審がられるわ。

 咄嗟にぬかるみを手に取って、顔やドレスに塗りたくった。
 そして振り返って茶目っ気たっぷりに笑う。


「お願い。お父様やお母様には内緒にしてね」
「まあ、そのようなお姿で、どうされたのです。一刻も早くお体をお清めください」

 この家の二階には、あの頃の“私”がまだ眠っている。そう思うと、なんだかおかしな気分。
 それよりも、早く着替えなきゃ。

 ケルビンが屋敷のドアを開けてくれた。


「コリーンにお召し替えのお手伝いを――」
「待って!」

 必要以上にきつい言い方になってしまったわ。
 コリーンに部屋に入られると、“私”が寝ているところを見られてしまう。


「コリーンにも内緒にしてほしいの。絶対にお母様に言い付けるんだもの。それよりも、タオルと――」

 多分、仕立て上がったばかりのドレスが、一階の衣装部屋に納められているはず。


「衣装部屋から新しいドレスを持ってきてほしいの」
「ふう。今日だけですよ。それでは、こちらにお持ちしておきますので、早く湯浴みを。口の固い者に準備させます」
「ありがとう」




 久しぶりの湯船は、体だけでなく心の奥底に染み付いた汚れまで、浮かび上がらせて流してくれた。


「……あ。こうしてはいられないわ。“私”は七時には起きて身支度をするはず。今、何時かしら」

 湯船から出て、濡れた髪の毛をタオルに挟んでいると、コリーンの声が聞こえた。
 また涙が出てくる。


「お嬢様。やっと雨が上がって外を歩きたいのはわかりますが、せめて朝食を召し上がってからになさいませ」

 ケルビンもコリーンを出し抜くことはできなかったのね。


「分かったわ。それよりもお母様には絶対に言わないでね。“私”自身にもよ」
「はい? お行儀よくしてくださるならお約束します」
「ありがとう!」

 コリーンの遠ざかる足音を聞きながら素早く着替える。

 肌触りのよい清潔なドレス。
 私、こんな素敵なドレスを毎日着ていたのね。



 調子に乗って、厨房で焼きたてのパンをつまみ食いさせてもらった。


「まあ、このようなところで、はしたない。今日はどうなさったのです? いつからそんな食いしん坊に?」

 料理人たちは、叱るような口調なのに、朗らかに笑っている。
 あの日、あんなに冷たく追い出してごめんなさい。
 あなたたちの料理が懐かしくたまらなかったのよ。


「今日はちょっと早く起きたのよ」

 不意に込み上げてきた涙を隠して笑ってみせ、慌てて厨房を出る。





「そういえば、さっき、『やっと雨が上がって』って言っていたっけ」

 ということは、今日があの日なのだ。私の運命を変えた日。




 一年間泣き暮らしていたけれど、酔っ払ったワイセラが自慢げに喋っていたことは覚えている。

 名だたる貴族の屋敷の使用人たちをたらしこんでは、秘密の情報を得ていたと。そしてそれを元に強請ると、面白いように金が集まったのだと。
 味を占めた彼は、情報だけでなく宝石類も盗ませては売り捌いていたのだ。
 ヘレナも金持ちの商人に、次々と言い寄っては貢がせていた。

 あの兄妹は、どちらも色仕掛けで手に入れたお金で暮らしていたのだ。

 そして、いよいよまとまった金を――家そのものを手に入れるために、目星をつけたのが私という訳だ。


 ……悔しい。
 私は、浅はかで騙しやすい世間知らずな女だったのね。
 でも、今日があの日なら、まだ間に合う。
 あのろくでなしと出会わなければいいのよ。


 これは、神様がくれた――ううん。アトモントンがくれた、やり直しのチャンスなんだわ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚姻無効になったので新しい人生始めます

Na20
恋愛
旧題:婚姻無効になったので新しい人生始めます~前世の記憶を思い出して家を出たら、愛も仕事も手に入れて幸せになりました~ セレーナは嫁いで三年が経ってもいまだに旦那様と使用人達に受け入れられないでいた。 そんな時頭をぶつけたことで前世の記憶を思い出し、家を出ていくことを決意する。 「…そうだ、この結婚はなかったことにしよう」 2025年10月24日(金) レジーナブックス様より発売決定!

殺された伯爵夫人の六年と七時間のやりなおし

さき
恋愛
愛のない結婚と冷遇生活の末、六年目の結婚記念日に夫に殺されたプリシラ。 だが目を覚ました彼女は結婚した日の夜に戻っていた。 魔女が行った『六年間の時戻し』、それに巻き込まれたプリシラは、同じ人生は歩まないと決めて再び六年間に挑む。 変わらず横暴な夫、今度の人生では慕ってくれる継子。前回の人生では得られなかった味方。 二度目の人生を少しずつ変えていく中、プリシラは前回の人生では現れなかった青年オリバーと出会い……。

【完結】私が愛されるのを見ていなさい

芹澤紗凪
恋愛
虐げられた少女の、最も残酷で最も華麗な復讐劇。(全6話の予定) 公爵家で、天使の仮面を被った義理の妹、ララフィーナに全てを奪われたディディアラ。 絶望の淵で、彼女は一族に伝わる「血縁者の姿と入れ替わる」という特殊能力に目覚める。 ディディアラは、憎き義妹と入れ替わることを決意。 完璧な令嬢として振る舞いながら、自分を陥れた者たちを内側から崩壊させていく。  立場と顔が入れ替わった二人の少女が織りなす、壮絶なダークファンタジー。

「役立たず」と婚約破棄されたけれど、私の価値に気づいたのは国中であなた一人だけでしたね?

ゆっこ
恋愛
「――リリアーヌ、お前との婚約は今日限りで破棄する」  王城の謁見の間。高い天井に声が響いた。  そう告げたのは、私の婚約者である第二王子アレクシス殿下だった。  周囲の貴族たちがくすくすと笑うのが聞こえる。彼らは、殿下の隣に寄り添う美しい茶髪の令嬢――伯爵令嬢ミリアが勝ち誇ったように微笑んでいるのを見て、もうすべてを察していた。 「理由は……何でしょうか?」  私は静かに問う。

妹に一度殺された。明日結婚するはずの死に戻り公爵令嬢は、もう二度と死にたくない。

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
恋愛
婚約者アルフレッドとの結婚を明日に控えた、公爵令嬢のバレッタ。 しかしその夜、無惨にも殺害されてしまう。 それを指示したのは、妹であるエライザであった。 姉が幸せになることを憎んだのだ。 容姿が整っていることから皆や父に気に入られてきた妹と、 顔が醜いことから蔑まされてきた自分。 やっとそのしがらみから逃れられる、そう思った矢先の突然の死だった。 しかし、バレッタは甦る。死に戻りにより、殺される数時間前へと時間を遡ったのだ。 幸せな結婚式を迎えるため、己のこれまでを精算するため、バレッタは妹、協力者である父を捕まえ処罰するべく動き出す。 もう二度と死なない。 そう、心に決めて。

冷遇する婚約者に、冷たさをそのままお返しします。

ねむたん
恋愛
貴族の娘、ミーシャは婚約者ヴィクターの冷酷な仕打ちによって自信と感情を失い、無感情な仮面を被ることで自分を守るようになった。エステラ家の屋敷と庭園の中で静かに過ごす彼女の心には、怒りも悲しみも埋もれたまま、何も感じない日々が続いていた。 事なかれ主義の両親の影響で、エステラ家の警備はガバガバですw

「無理をするな」と言うだけで何もしなかったあなたへ。今の私は、大公家の公子に大切にされています

葵 すみれ
恋愛
「無理をするな」と言いながら、仕事も責任も全部私に押しつけてきた婚約者。 倒れた私にかけたのは、労りではなく「失望した」の一言でした。 実家からも見限られ、すべてを失った私を拾い上げてくれたのは、黙って手を差し伸べてくれた、黒髪の騎士── 実は、大公家の第三公子でした。 もう言葉だけの優しさはいりません。 私は今、本当に無理をしなくていい場所で、大切にされています。 ※他サイトにも掲載しています

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

処理中です...