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12 婚約解消
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その日、ルーカスは久しぶりに外に出た。
少しずつ歩けるようになったとはいえ、右手はまだ思うように動かない。筆を握るには、あとどれだけの時が必要なのか──考えると胸がざわついた。
いつものように、アリシアが買い出しをしてくれていたが、「外の空気を吸いたい」と言った彼に、彼女は「じゃあ、近くの雑貨屋まで一緒に行きましょう」と笑った。
だが、道の角を曲がった先、馬車が一台、石畳を鳴らして通り過ぎた。
──ヘイウッド家の紋章。
ルーカスは立ち止まった。動悸が速まる。
中に彼女がいたのかは分からない。だが、その馬車が残した空気、気配、光のきらめきは、まぎれもなく侯爵家のそれだった。
「ねえ、聞いた? ヘイウッド家の令嬢、婚約解消になったんですって──」
雑貨屋の前にいた女たちの噂話が耳に飛び込んでくる。
「少し前、マーガレット様の不貞の噂があったわよね」
「やっぱり公爵家ともなると、たとえ誤解であったとしても噂を見過ごせないわよね」
「ええ、本当に。ミハエル様が新しい縁談に乗り換えたって聞いたわよ。あの気の強い令嬢、どんな顔してるのかしらねぇ」
言葉のすべてが、胸に鋭く突き刺さる。
気丈で、誇り高く、誰よりも強くあろうとしていた彼女が──婚約解消。
マーガレットが、自由になった。
──でも、自分にはもう会う資格がない。
ルーカスは不意に足元がぐらついたように感じた。右腕に走る鈍い痛み。肩から肘にかけて、針が這うような感覚。
「ルーカス?大丈夫?」
アリシアがそっと支えてくれる。彼女の手は、落ち着いていて、柔らかい。
思わずその温かさに身を預けた瞬間、胸の奥で何かがこじ開けられるような感覚がした。
⸻
帰宅後もルーカスはずっと黙っていた。
部屋の中は静かだった。アリシアが作った温かいスープも、数口飲んだだけで冷めてしまっていた。
アリシアはルーカスの隣に座りながら、黙って寄り添っていた。
「・・・ねえ、アリシア」
「なあに?」
「君は──僕が誰を想っていたか、気づいていた?」
その問いに、アリシアは目を伏せたまま、小さく頷いた。
「そうだよね・・・」
ルーカスの指先が、空中をさまよう。まるで、何かを求めるように、何かから逃れようとするように。
「今日は彼女の馬車を見たんだ。紋章も見た。街の人の噂も聞いた」
ルーカスは目を伏せた。
「──彼女は、婚約を解消されたんだって」
静かな声が、途切れる。
「なのに、僕は。何もできない。何も──彼女にしてやれなかった。感謝すら、ちゃんと伝えられなかったのに・・・!」
震える声に、アリシアはぎゅっと唇を噛んだ。
「アリシア。君は、優しいよ。傍にいるとほっとする。だから・・・君の前では、強がらなくて済む」
「・・・」
「でも、それってさ、君にすごく酷いことをしてるってことだよね」
ルーカスはぎこちなく笑った。
「僕は・・・」
そう言いかけて、ルーカスは、ついに声を押し殺して泣き出した。
少しずつ歩けるようになったとはいえ、右手はまだ思うように動かない。筆を握るには、あとどれだけの時が必要なのか──考えると胸がざわついた。
いつものように、アリシアが買い出しをしてくれていたが、「外の空気を吸いたい」と言った彼に、彼女は「じゃあ、近くの雑貨屋まで一緒に行きましょう」と笑った。
だが、道の角を曲がった先、馬車が一台、石畳を鳴らして通り過ぎた。
──ヘイウッド家の紋章。
ルーカスは立ち止まった。動悸が速まる。
中に彼女がいたのかは分からない。だが、その馬車が残した空気、気配、光のきらめきは、まぎれもなく侯爵家のそれだった。
「ねえ、聞いた? ヘイウッド家の令嬢、婚約解消になったんですって──」
雑貨屋の前にいた女たちの噂話が耳に飛び込んでくる。
「少し前、マーガレット様の不貞の噂があったわよね」
「やっぱり公爵家ともなると、たとえ誤解であったとしても噂を見過ごせないわよね」
「ええ、本当に。ミハエル様が新しい縁談に乗り換えたって聞いたわよ。あの気の強い令嬢、どんな顔してるのかしらねぇ」
言葉のすべてが、胸に鋭く突き刺さる。
気丈で、誇り高く、誰よりも強くあろうとしていた彼女が──婚約解消。
マーガレットが、自由になった。
──でも、自分にはもう会う資格がない。
ルーカスは不意に足元がぐらついたように感じた。右腕に走る鈍い痛み。肩から肘にかけて、針が這うような感覚。
「ルーカス?大丈夫?」
アリシアがそっと支えてくれる。彼女の手は、落ち着いていて、柔らかい。
思わずその温かさに身を預けた瞬間、胸の奥で何かがこじ開けられるような感覚がした。
⸻
帰宅後もルーカスはずっと黙っていた。
部屋の中は静かだった。アリシアが作った温かいスープも、数口飲んだだけで冷めてしまっていた。
アリシアはルーカスの隣に座りながら、黙って寄り添っていた。
「・・・ねえ、アリシア」
「なあに?」
「君は──僕が誰を想っていたか、気づいていた?」
その問いに、アリシアは目を伏せたまま、小さく頷いた。
「そうだよね・・・」
ルーカスの指先が、空中をさまよう。まるで、何かを求めるように、何かから逃れようとするように。
「今日は彼女の馬車を見たんだ。紋章も見た。街の人の噂も聞いた」
ルーカスは目を伏せた。
「──彼女は、婚約を解消されたんだって」
静かな声が、途切れる。
「なのに、僕は。何もできない。何も──彼女にしてやれなかった。感謝すら、ちゃんと伝えられなかったのに・・・!」
震える声に、アリシアはぎゅっと唇を噛んだ。
「アリシア。君は、優しいよ。傍にいるとほっとする。だから・・・君の前では、強がらなくて済む」
「・・・」
「でも、それってさ、君にすごく酷いことをしてるってことだよね」
ルーカスはぎこちなく笑った。
「僕は・・・」
そう言いかけて、ルーカスは、ついに声を押し殺して泣き出した。
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