【完結】時計台の約束

とっくり

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18 差出人不明の手紙

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 (マーガレット視点)

 領地の朝は、都の喧騒とはまるで別世界のように静まり返っていた。

 鳥のさえずりも、木々の葉をそよがせる風の音さえも、あまりに穏やかで、まるで時間そのものが止まってしまったかのようだった。

 マーガレットは窓辺の椅子に腰を下ろし、膝の上に広げた本のページに視線を落としていた。
だが、その視線はただ文字の上をなぞるばかりで、意味を成すことはなかった。
もう何度も、同じ段落を繰り返している。

 侯爵令嬢である彼女は、父の命により「静養」と称してこの領地へ移された。
実際には、婚約者であるミハエルとの件を巡る
「謹慎」であることは明白だった。

都を離れて十日余り。
表向きには体調不良とされていたが、
真の理由は、グリーグ公爵家との婚約について、距離を置き冷静に見極めるためだった。

 父であるヘイウッド侯爵は、長男サミュエルから、ミハエルが療養中のルーカスの部屋へ無断で押しかけ、マーガレットを激しく罵倒したという一部始終を報告されていた。
 その一件を重く見た父は、ミハエルを公爵家を継ぐ者としての資質を疑い、このままでは娘を不幸にしてしまうと深く懸念した。品位を欠く男に娘を預けるわけにはいかない――
 そう判断した彼は、静かに、しかし確かな意志をもって、婚約解消へと動き始めたのだった。

 マーガレットは、そんな父に深く頭を垂れたくなる思いだった。己の軽率な言動が、父に余計な心労をかけ、侯爵家の名にまで傷をつけてしまったことが悔やまれてならない。令嬢として、娘として、もっと強く、賢くあれたなら――その思いが、胸の奥に静かに沈んでいた。



それと同時に胸を痛めていることがーーー



 (─ルーカス、今、どこで何をしているの……?)



 頬杖をついたまま、マーガレットは遠くを見つめるようにして思いを巡らせた。



 領地に着いて間もない頃、ルーカスが侯爵家を出奔したと報せが届いた。
 表立った捜索はできず、父と兄は水面下で行方を追っていた。怪我が癒えていない身体で姿を消したことに、家族は皆、深い懸念を抱いていた。


(身体は……大丈夫なのかしら)


 ルーカスを想うたび、胸が締めつけられるように痛んだ。


 あの日――あの一言を、つい口にしてしまった。



【わたくしは、貴方に……特別な感情を抱いておりますの……】



 侯爵令嬢としてはあるまじき振る舞い。けれど、あのときの想いは抑えきれず、気づけば言葉となって漏れていた。

 言ったところで何が変わるのか。どう思われるかなんて、分かっていたはずなのに。

 ルーカスは驚き、そして――明らかに、困っていた。


(あれで……彼を追い詰めてしまったのかもしれない)


 マーガレットは手元のハンカチを強く握りしめた。

 自分でも気づかぬうちに、彼に惹かれていた。いつからかなんて、もう思い出せないほど自然に――心が傾いていた。


(どうか、ルーカスが……幸せでいられますように)


 それだけは、偽りのない願いだった。
 たとえ自分の隣に彼がいなくても、
 彼が彼らしく、笑っていられるのなら。

 それが、マーガレットのたったひとつの本当の望みだった。

 ──そのとき、ドアが静かにノックされた。


「お嬢様、よろしいでしょうか?」

 執事のクラレンスの低い声が扉越しに届いた。

「……どうぞ」

「都より、お手紙が届いております」

「都から……?」


 受け取った封筒には、差出人の名が記されていなかった。筆跡にも見覚えはない。慎重に封を切り、中を読むと、当たり障りのない内容でマーガレットの体調を気遣う文面が綴られていた。


(名前がないのは……なぜ?)


 一抹の疑問を覚えながらも、その場では深くは考えなかった。だが、それを境に、名のない手紙や贈り物が届くようになった。

 どの手紙も筆跡を変え、署名を避けていたが、そこには幼いころの好物、好きな花、かつて舞踏会で交わした些細な会話など、他人には知り得ぬ情報が記されていた。 


(まさか……ミハエル様?)


 ぞくりと、背筋に冷たいものが走る。

 その瞬間から、マーガレットの心に静かな恐怖が芽吹いていった――音もなく、けれど確かに。
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