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39 王太子
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王城・謁見の間の奥、王太子付きの書斎――。
そこは格式ばった装飾のない、実務に特化した静謐な空間だった。
「……サミュエル、入れ」
重厚な扉の向こうから響く低い声。
それは、王太子レオポルト・セディリウスのものだった。
冷徹さと知性を併せ持つ若き王太子は、漆黒の髪を後ろで一つに束ねた端整な容貌と、政務における非凡な才覚で知られている。
その風貌と才覚の裏には、決して他者に甘えを見せぬ強さと、ただひと握りの人間にだけ向けられる信頼がある。
サミュエル・ヘイウッドはその数少ないひと握りのひとりだった。
学園時代からの旧友であり、今は側近として王宮に仕える立場――形式上は臣下でも、彼だけには殿下が“人として”語ることが許されていた。
サミュエルは黙って一礼し、足を踏み入れた。
「急にお時間をいただき、申し訳ございません、殿下」
「構わん。……ルーカスの件だな」
レオポルトの声は、いつになく鋭かった。
机の上には既に数通の報告書が広げられている。
サミュエルが口を開くより早く、王太子は顎で一枚の紙を示した。
「事故死と処理されているが、不審な点が多すぎる。遺体の移動。目撃者の口の重さ。……何より、当夜に『監視網の一部が一時的に機能していなかった』」
「やはり、何者かが意図的に――」
「……ああ。内務省経由の通達が、事前に“何者か”によって差し替えられていた。捜査対象となっている官吏のひとりが、ミハエルの私設書記と通じていたことが判明した」
サミュエルは拳を握りしめる。
「……そこまで掴んでいたのですね、殿下」
「だが、まだ“確定”ではない。奴を断罪するには、直接的な証拠が必要だ。単に“裏で繋がっていた”では、ミハエルの後ろ盾――旧派閥の貴族連中が動くだろう。逆に、貴族間の政争と誤認されれば王家の介入も難しくなる」
「確かに……無理に動けば、かえって奴を逃がす口実になる」
レオポルトは椅子から立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。
高窓から差し込む陽光が、彼の引き締まった横顔を静かに照らす。
沈黙がひとつ、間に落ちる。
「ルーカスの件は・・・本当に残念だった」
サミュエルは目を伏せた。
「殿下……」
「ルーカスの描いた一枚の絵が、どれほど多くの者を救ったか。私自身、彼の絵に何度も励まされた。“この国にも、まだ光がある”と信じさせてくれた。・・・私は彼を宮廷画家に推薦するつもりだった。本気で、そう思っていたんだ」
言葉の端に、静かな怒りが滲んでいた。
「この件は、慎重に追い詰める。ミハエルは傲慢だが、自らの手を汚すことは少ない。代わりに“駒”を使う。その駒をひとつずつ割っていく。……今回は、手下の動向に注目している」
サミュエルは眉を上げる。「手下?」
「現場付近で不自然な目撃証言をした旅人風の男がいた。兵士が問い詰めようとしたところで逃げたが……顔を覚えていた兵が、以前ミハエルの領地で“執事見習い”をしていた男と同一人物だと証言した」
「……つまり、事故に見せかけた“処理”の実行犯……」
「あるいは、そのひとりだ。彼を追うことで、ミハエルの関与を裏付ける証拠が手に入るかもしれん。すでに密かに追跡を始めている」
サミュエルは目を伏せ、静かに頷いた。
「……殿下、ヘイウッド家は皆、ルーカスの死に深く心を痛めております。どうか、お力添えを――」
「当然だ。今回の件については、全面的に協力しよう。私が動くのは、ルーカスの無念を晴らすためだけではない。
ミハエルを捕らえ、グリーグ公爵家を失脚させることもまた、目的の一つだ」
レオポルドは窓の外に視線を移し、わずかに唇を吊り上げて言葉を継いだ。
「グリーグ公爵家は広大な領地に加えて、鉱山を保有している。……この意味、分かるな?」
「はい。重々、承知しております」
サミュエルは静かに息を吐きながら、胸の内でつぶやいた。
――ああ、この方は、やはり次代の王にふさわしい。
「サミュエル、君には密偵網を使って、もう一方から探ってもらいたい」
「どういうことです?」
「ミハエルの財務記録と、私設の“交易ルート”だ。何かが動いている気配がある。表向きの帳簿と実際の物流が一致しない。……不正の糸口があるとすれば、そこだ」
「承知しました」
「ルーカスの名誉を守るためにも、必ず真実を暴く」
レオポルトの瞳はまっすぐにサミュエルを射抜いた。
「そして、すべての決着を“表舞台”でつける。奴を裁く場を、王城に引きずり出す」
サミュエルもまた、力強く頷いた。
「必ず」
そこは格式ばった装飾のない、実務に特化した静謐な空間だった。
「……サミュエル、入れ」
重厚な扉の向こうから響く低い声。
それは、王太子レオポルト・セディリウスのものだった。
冷徹さと知性を併せ持つ若き王太子は、漆黒の髪を後ろで一つに束ねた端整な容貌と、政務における非凡な才覚で知られている。
その風貌と才覚の裏には、決して他者に甘えを見せぬ強さと、ただひと握りの人間にだけ向けられる信頼がある。
サミュエル・ヘイウッドはその数少ないひと握りのひとりだった。
学園時代からの旧友であり、今は側近として王宮に仕える立場――形式上は臣下でも、彼だけには殿下が“人として”語ることが許されていた。
サミュエルは黙って一礼し、足を踏み入れた。
「急にお時間をいただき、申し訳ございません、殿下」
「構わん。……ルーカスの件だな」
レオポルトの声は、いつになく鋭かった。
机の上には既に数通の報告書が広げられている。
サミュエルが口を開くより早く、王太子は顎で一枚の紙を示した。
「事故死と処理されているが、不審な点が多すぎる。遺体の移動。目撃者の口の重さ。……何より、当夜に『監視網の一部が一時的に機能していなかった』」
「やはり、何者かが意図的に――」
「……ああ。内務省経由の通達が、事前に“何者か”によって差し替えられていた。捜査対象となっている官吏のひとりが、ミハエルの私設書記と通じていたことが判明した」
サミュエルは拳を握りしめる。
「……そこまで掴んでいたのですね、殿下」
「だが、まだ“確定”ではない。奴を断罪するには、直接的な証拠が必要だ。単に“裏で繋がっていた”では、ミハエルの後ろ盾――旧派閥の貴族連中が動くだろう。逆に、貴族間の政争と誤認されれば王家の介入も難しくなる」
「確かに……無理に動けば、かえって奴を逃がす口実になる」
レオポルトは椅子から立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。
高窓から差し込む陽光が、彼の引き締まった横顔を静かに照らす。
沈黙がひとつ、間に落ちる。
「ルーカスの件は・・・本当に残念だった」
サミュエルは目を伏せた。
「殿下……」
「ルーカスの描いた一枚の絵が、どれほど多くの者を救ったか。私自身、彼の絵に何度も励まされた。“この国にも、まだ光がある”と信じさせてくれた。・・・私は彼を宮廷画家に推薦するつもりだった。本気で、そう思っていたんだ」
言葉の端に、静かな怒りが滲んでいた。
「この件は、慎重に追い詰める。ミハエルは傲慢だが、自らの手を汚すことは少ない。代わりに“駒”を使う。その駒をひとつずつ割っていく。……今回は、手下の動向に注目している」
サミュエルは眉を上げる。「手下?」
「現場付近で不自然な目撃証言をした旅人風の男がいた。兵士が問い詰めようとしたところで逃げたが……顔を覚えていた兵が、以前ミハエルの領地で“執事見習い”をしていた男と同一人物だと証言した」
「……つまり、事故に見せかけた“処理”の実行犯……」
「あるいは、そのひとりだ。彼を追うことで、ミハエルの関与を裏付ける証拠が手に入るかもしれん。すでに密かに追跡を始めている」
サミュエルは目を伏せ、静かに頷いた。
「……殿下、ヘイウッド家は皆、ルーカスの死に深く心を痛めております。どうか、お力添えを――」
「当然だ。今回の件については、全面的に協力しよう。私が動くのは、ルーカスの無念を晴らすためだけではない。
ミハエルを捕らえ、グリーグ公爵家を失脚させることもまた、目的の一つだ」
レオポルドは窓の外に視線を移し、わずかに唇を吊り上げて言葉を継いだ。
「グリーグ公爵家は広大な領地に加えて、鉱山を保有している。……この意味、分かるな?」
「はい。重々、承知しております」
サミュエルは静かに息を吐きながら、胸の内でつぶやいた。
――ああ、この方は、やはり次代の王にふさわしい。
「サミュエル、君には密偵網を使って、もう一方から探ってもらいたい」
「どういうことです?」
「ミハエルの財務記録と、私設の“交易ルート”だ。何かが動いている気配がある。表向きの帳簿と実際の物流が一致しない。……不正の糸口があるとすれば、そこだ」
「承知しました」
「ルーカスの名誉を守るためにも、必ず真実を暴く」
レオポルトの瞳はまっすぐにサミュエルを射抜いた。
「そして、すべての決着を“表舞台”でつける。奴を裁く場を、王城に引きずり出す」
サミュエルもまた、力強く頷いた。
「必ず」
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