1 / 42
1 春のはざまにて
しおりを挟む
冷たい風が丘の上を吹き抜け、野に咲くクロッカスの群れが揺れた。春が訪れつつあるとはいえ、この地〈エルディア〉に温もりが満ちるには、もうしばらく時間がかかる。
城下町の外れ、白い石造りの屋敷に、一人の少女が窓辺に腰掛けていた。リリエル・セイラン。セイラン子爵家の長女であり、この春、十八歳になる。
王都の学校には通わず、家庭教師をつけて後継者教育を受けている。
リリエルの栗色の髪は、光に透けると淡い蜂蜜色に揺れ、耳元でふんわりと結われている。
瞳は柔らかな灰緑で、目が合うたびに、
深い慈愛と優しさがこちらに届いてくるようだった。
肌は白磁のように繊細で、笑うとほんのりと赤みを帯び、それがまた彼女の儚げな雰囲気を引き立てた。万人が一目で振り返るような派手さはない。
まるで、
風に揺れる草原に咲いた一輪の花。
飾らず、主張せず、それでも忘れられない──そんな美しさを持っていた。
細く整った指が刺繍針を握り、膝の上に広げた布へ慎ましく花模様を縫い重ねている。
「また刺してるの?朝からずっとじゃない」
明るい声がして、部屋に入ってきたのは妹のミレイアだった。ミレイアの髪は、白金に近い明るい金色で波のように豊かに流れ、その一房が風に踊るだけで人々の視線をさらった。
瞳は透き通るような青。冷たさではなく、魅了する強さと無垢な輝きに満ちていた。
その顔立ちは、まさに“絵画に描かれる貴族の令嬢”。額から鼻筋、口元に至るまでが調和され、どの角度から見ても完璧な美しさだった。
彼女が微笑めば、誰もが心を奪われた。
歩くだけで周囲の空気が変わり、振り返らずにはいられない。その存在そのものが、まるで華やかに咲き誇る一輪の薔薇のようだった。
「お姉様、外が気持ちいいわ。せっかくラズが来るんだから、庭園でお会いしたら?」
ラズ──ラズヴェル・エイル。リリエルの婚約者。王国西部の名家エイル伯爵家の次男で、王都で騎士をしている。領地が隣という事もあり、家族ぐるみの長い付き合いがある。
リリエルはセイラン家の長女であり、家督を継ぐよう教育をされてきた。隣家のラズヴェルは次男であり、歳もリリエルと同じということで、両家の意向により、幼き頃より婚約が結ばれていた。互いに育ちを知っている分、淡い友愛のような関係を保っていた。
「ええ、もう、そんな時間になるかしら・・・。
久しぶりにお会いするから、何を話したら良いか・・・緊張してしまうわ。」
「話すことなんてなくてもいいのよ。
ただ、そばにいるだけで」
ミレイアの言葉に、リリエルはそっと目を伏せた。妹のように自然に人と接することができたら──そんなふうに思うのは、一度や二度ではなかった。
幼き頃は良かった。男女の間柄など気にせずに他愛のない遊びをし、日が暮れるまで楽しんだ。
年頃になり、お互いに、紳士・淑女教育が始まってから少し距離が出来たように感じていた。
昔の思い出を懐かしでいたその時、玄関の扉が開く音が聞こえた。控えめな足音が廊下を渡り、ノックがされた。
「リリエル?入っても良いだろうか?」
その声にリリエルの手が止まる。やわらかな低音、けれどどこか硬さを含む丁寧な響き。ラズだった。
「……はい、どうぞ」
扉が開かれ、一人の青年が姿を見せた。
長身で、無駄のない引き締まった体躯は騎士としての鍛錬の証。
肩まで流れる銀灰色の髪は陽光を受けて淡く光り、風に揺れるたび、まるで絹のように滑らかに見えた。
けれど何より人の目を奪うのは、その顔立ちだった。
涼しげな目元は、どこか憂いを帯びていて、見る者の胸に淡い痛みを残す。
色素の薄い灰青の瞳は、感情を深く湛えながらも、常に理性を手放さない鋭さを持っていた。
通った鼻筋と、引き締まった口元には、隙のない静謐な気品が漂う。
彼が街を歩けば、誰もが振り返る。
けれど、そのどこか遠くを見るような視線のせいで、誰も近づけない。
まるでこの世に属さぬ者のように、美しく、冷ややかに、孤高に存在していた。
「久しぶりに、休みがもらえたので、会いに来たのだが・・・変わりなかったかい?」
「ええ、変わりなく過ごしておりました。」
ぎこちないやり取りのあと、
数秒の沈黙が訪れる。
その空気を破ったのは、ミレイアだった。
「じゃあ、私はお庭に行ってくるね!邪魔者は退散します。」
からかうような笑みを浮かべて、ミレイアは軽やかな足取りでまるで花の精のように部屋を出て行った。
その背を見送ったラズの横顔に、一瞬、何かが走った。
それが哀しみだったのか、それとも別の感情だったのか──
リリエルはそのとき、まだ気づいていなかった。
城下町の外れ、白い石造りの屋敷に、一人の少女が窓辺に腰掛けていた。リリエル・セイラン。セイラン子爵家の長女であり、この春、十八歳になる。
王都の学校には通わず、家庭教師をつけて後継者教育を受けている。
リリエルの栗色の髪は、光に透けると淡い蜂蜜色に揺れ、耳元でふんわりと結われている。
瞳は柔らかな灰緑で、目が合うたびに、
深い慈愛と優しさがこちらに届いてくるようだった。
肌は白磁のように繊細で、笑うとほんのりと赤みを帯び、それがまた彼女の儚げな雰囲気を引き立てた。万人が一目で振り返るような派手さはない。
まるで、
風に揺れる草原に咲いた一輪の花。
飾らず、主張せず、それでも忘れられない──そんな美しさを持っていた。
細く整った指が刺繍針を握り、膝の上に広げた布へ慎ましく花模様を縫い重ねている。
「また刺してるの?朝からずっとじゃない」
明るい声がして、部屋に入ってきたのは妹のミレイアだった。ミレイアの髪は、白金に近い明るい金色で波のように豊かに流れ、その一房が風に踊るだけで人々の視線をさらった。
瞳は透き通るような青。冷たさではなく、魅了する強さと無垢な輝きに満ちていた。
その顔立ちは、まさに“絵画に描かれる貴族の令嬢”。額から鼻筋、口元に至るまでが調和され、どの角度から見ても完璧な美しさだった。
彼女が微笑めば、誰もが心を奪われた。
歩くだけで周囲の空気が変わり、振り返らずにはいられない。その存在そのものが、まるで華やかに咲き誇る一輪の薔薇のようだった。
「お姉様、外が気持ちいいわ。せっかくラズが来るんだから、庭園でお会いしたら?」
ラズ──ラズヴェル・エイル。リリエルの婚約者。王国西部の名家エイル伯爵家の次男で、王都で騎士をしている。領地が隣という事もあり、家族ぐるみの長い付き合いがある。
リリエルはセイラン家の長女であり、家督を継ぐよう教育をされてきた。隣家のラズヴェルは次男であり、歳もリリエルと同じということで、両家の意向により、幼き頃より婚約が結ばれていた。互いに育ちを知っている分、淡い友愛のような関係を保っていた。
「ええ、もう、そんな時間になるかしら・・・。
久しぶりにお会いするから、何を話したら良いか・・・緊張してしまうわ。」
「話すことなんてなくてもいいのよ。
ただ、そばにいるだけで」
ミレイアの言葉に、リリエルはそっと目を伏せた。妹のように自然に人と接することができたら──そんなふうに思うのは、一度や二度ではなかった。
幼き頃は良かった。男女の間柄など気にせずに他愛のない遊びをし、日が暮れるまで楽しんだ。
年頃になり、お互いに、紳士・淑女教育が始まってから少し距離が出来たように感じていた。
昔の思い出を懐かしでいたその時、玄関の扉が開く音が聞こえた。控えめな足音が廊下を渡り、ノックがされた。
「リリエル?入っても良いだろうか?」
その声にリリエルの手が止まる。やわらかな低音、けれどどこか硬さを含む丁寧な響き。ラズだった。
「……はい、どうぞ」
扉が開かれ、一人の青年が姿を見せた。
長身で、無駄のない引き締まった体躯は騎士としての鍛錬の証。
肩まで流れる銀灰色の髪は陽光を受けて淡く光り、風に揺れるたび、まるで絹のように滑らかに見えた。
けれど何より人の目を奪うのは、その顔立ちだった。
涼しげな目元は、どこか憂いを帯びていて、見る者の胸に淡い痛みを残す。
色素の薄い灰青の瞳は、感情を深く湛えながらも、常に理性を手放さない鋭さを持っていた。
通った鼻筋と、引き締まった口元には、隙のない静謐な気品が漂う。
彼が街を歩けば、誰もが振り返る。
けれど、そのどこか遠くを見るような視線のせいで、誰も近づけない。
まるでこの世に属さぬ者のように、美しく、冷ややかに、孤高に存在していた。
「久しぶりに、休みがもらえたので、会いに来たのだが・・・変わりなかったかい?」
「ええ、変わりなく過ごしておりました。」
ぎこちないやり取りのあと、
数秒の沈黙が訪れる。
その空気を破ったのは、ミレイアだった。
「じゃあ、私はお庭に行ってくるね!邪魔者は退散します。」
からかうような笑みを浮かべて、ミレイアは軽やかな足取りでまるで花の精のように部屋を出て行った。
その背を見送ったラズの横顔に、一瞬、何かが走った。
それが哀しみだったのか、それとも別の感情だったのか──
リリエルはそのとき、まだ気づいていなかった。
370
あなたにおすすめの小説
これ以上私の心をかき乱さないで下さい
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。
そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。
そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが
“君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない”
そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。
そこでユーリを待っていたのは…
婚約者に愛する人が出来たので、身を引く事にしました
Blue
恋愛
幼い頃から家族ぐるみで仲が良かったサーラとトンマーゾ。彼が学園に通うようになってしばらくして、彼から告白されて婚約者になった。サーラも彼を好きだと自覚してからは、穏やかに付き合いを続けていたのだが、そんな幸せは壊れてしまう事になる。
【完結】私を裏切った前世の婚約者と再会しました。
Rohdea
恋愛
ファルージャ王国の男爵令嬢のレティシーナは、物心ついた時から自分の前世……200年前の記憶を持っていた。
そんなレティシーナは非公認だった婚約者の伯爵令息・アルマンドとの初めての顔合わせで、衝撃を受ける。
かつての自分は同じ大陸のこことは別の国……
レヴィアタン王国の王女シャロンとして生きていた。
そして今、初めて顔を合わせたアルマンドは、
シャロンの婚約者でもあった隣国ランドゥーニ王国の王太子エミリオを彷彿とさせたから。
しかし、思い出すのはシャロンとエミリオは結ばれる事が無かったという事実。
何故なら──シャロンはエミリオに捨てられた。
そんなかつての自分を裏切った婚約者の生まれ変わりと今世で再会したレティシーナ。
当然、アルマンドとなんてうまくやっていけるはずが無い!
そう思うも、アルマンドとの婚約は正式に結ばれてしまう。
アルマンドに対して冷たく当たるも、当のアルマンドは前世の記憶があるのか無いのか分からないが、レティシーナの事をとにかく溺愛してきて……?
前世の記憶に囚われた2人が今世で手にする幸せとはーー?
全部私が悪いのです
久留茶
恋愛
ある出来事が原因でオーディール男爵家の長女ジュディス(20歳)の婚約者を横取りする形となってしまったオーディール男爵家の次女オフィーリア(18歳)。
姉の元婚約者である王国騎士団所属の色男エドガー・アーバン伯爵子息(22歳)は姉への気持ちが断ち切れず、彼女と別れる原因となったオフィーリアを結婚後も恨み続け、妻となったオフィーリアに対して辛く当たる日々が続いていた。
世間からも姉の婚約者を奪った『欲深いオフィーリア』と悪名を轟かせるオフィーリアに果たして幸せは訪れるのだろうか……。
*全18話完結となっています。
*大分イライラする場面が多いと思われますので苦手な方はご注意下さい。
*後半まで読んで頂ければ救いはあります(多分)。
*この作品は他誌にも掲載中です。
好きでした、婚約破棄を受け入れます
たぬきち25番
恋愛
シャルロッテ子爵令嬢には、幼い頃から愛し合っている婚約者がいた。優しくて自分を大切にしてくれる婚約者のハンス。彼と結婚できる幸せな未来を、心待ちにして努力していた。ところがそんな未来に暗雲が立ち込める。永遠の愛を信じて、傷つき、涙するシャルロッテの運命はいかに……?
※十章を改稿しました。エンディングが変わりました。
【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした
ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。
彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。
そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。
しかし、公爵にもディアにも秘密があった。
その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。
※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています
※表紙画像はAIで作成したものです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる