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26 不穏な足音
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ラズとミレイアを見送ってから数日が経った。修道院には、ようやく静けさが戻っていた。
秋の陽差しは穏やかで、庭の木々は色づきはじめ、風の匂いにはどこか澄んだ冷たさが混じっていた。
リリエルは修道女たちと共に礼拝堂の清掃に勤しみ、笑い声も以前のように聞こえてくる。
それは、まるで嵐の過ぎ去った後の、ささやかな平穏だった。
だが——ユリアンの胸中には、微かなざわめきがあった。
その日、ユリアンは珍しくひとりで町へ出ていた。修道院の備品の手配と称して、だが実のところは、ほんの些細な噂が耳に引っかかっていたのだ。
王家の使いが、近隣の街道に現れた。
しかも、目的を明かさずに何度も往復しているという。
たかが噂、と流すには、あまりにも嫌な偶然だった。この数日、修道院の周囲を巡回する兵士の数が妙に増えている。門前に立ち止まる旅人の視線が、やけに長く留まっている。
そして何より——何者かの視線を、背中に感じる。
(……いつもの影の気配ではない)
ユリアンは人気のない裏道に入り、壁に背を預けて目を細めた。
風の音。遠くの鐘の音。そして――足音。
誰かが、こちらの動きを見張っている。そう確信した。尾行を断ち切るのは容易だった。だが、今は確かめる方が先だ。
(また、王家の遣いか?・・・まだ諦めていないのか)
第一王子であるエルネストの急死から、王家は混乱に陥っている。旧派閥の貴族達は、ユリアンを後継者に担ぎ出すのを諦められないようだ。
ユリアンの瞳が、いつもの柔らかさを失い、鋭く細められる。
穏やかな日常の帳の向こうに、確かに別の気配が広がっている。
リリエルの穏やかな笑顔を思い出し、胸の奥で小さく息をつく。
(……巻き込ませるわけにはいかない)
ユリアンは静かにフードをかぶり直し、影の中へと歩みを戻した。
何が起ころうとも、自分だけは備えていなければならない。
あの平穏を守るために——
夕暮れ時、修道院の中庭は静まり返っていた。空は橙に染まり、修道女たちの祈りの声が遠くから微かに聞こえる。
ユリアンはその声を聞きながら、礼拝堂の裏手にある小道を歩いていた。
視線は何気ないふりをしていたが、意識は周囲の空気を逃さず捉えていた。
門のそばに、見慣れない靴の跡があった。このあたりを通る者は限られている。日々見ているからこそ、ほんの僅かな違和感にも気づく。
(……明らかに、外の足だ)
気配だけが、じわじわと近づいてくる。
見えぬままに、忍び寄るような意志を孕んで。
そのとき——
「ユリアンさん?」
背後から、柔らかな声が届いた。
リリエルだった。
振り返ったユリアンは、一瞬、心に滲んだ警戒を押し隠し、微笑をつくった。
「リリエルか。……寒くないのか?」
「少しだけ、夕焼けを見たくて」
彼女は両手を胸の前で組んだまま、小さく笑った。その瞳は穏やかで、けれどどこか、彼の気配の変化を敏感に感じ取っていた。
「……何かあったんですね?」
問いは、まっすぐだった。
ユリアンは視線を外し、空の赤を見上げる。
「……風向きが変わってきた。それだけだ」
「風向き?」
「この地に吹く風の話さ。……たまに、過去の残り香を連れてくる」
リリエルは黙ってその言葉を聞いていた。彼の声が、ほんの僅かに張り詰めていることを、見逃してはいなかった。
「私に、何かできることがありますか?」
その言葉に、ユリアンは小さく目を見開いた。そして、ゆっくりと微笑んだ。
「君は、そこにいてくれるだけでいい。……それが、俺にとっては何よりの力だ」
リリエルは答えず、ただそっと頷いた。
彼の言葉の奥に、守ろうとする強さと、孤独な決意があることを、感じ取っていたから。
やがて鐘の音が響き、祈りの時刻を告げた。
「そろそろ、戻りましょうか」
ユリアンの言葉に、リリエルは微笑みながら頷いた。二人は並んで歩き出す。
茜色の空の下で、まだ見ぬ嵐の気配が静かに近づいていた。
秋の陽差しは穏やかで、庭の木々は色づきはじめ、風の匂いにはどこか澄んだ冷たさが混じっていた。
リリエルは修道女たちと共に礼拝堂の清掃に勤しみ、笑い声も以前のように聞こえてくる。
それは、まるで嵐の過ぎ去った後の、ささやかな平穏だった。
だが——ユリアンの胸中には、微かなざわめきがあった。
その日、ユリアンは珍しくひとりで町へ出ていた。修道院の備品の手配と称して、だが実のところは、ほんの些細な噂が耳に引っかかっていたのだ。
王家の使いが、近隣の街道に現れた。
しかも、目的を明かさずに何度も往復しているという。
たかが噂、と流すには、あまりにも嫌な偶然だった。この数日、修道院の周囲を巡回する兵士の数が妙に増えている。門前に立ち止まる旅人の視線が、やけに長く留まっている。
そして何より——何者かの視線を、背中に感じる。
(……いつもの影の気配ではない)
ユリアンは人気のない裏道に入り、壁に背を預けて目を細めた。
風の音。遠くの鐘の音。そして――足音。
誰かが、こちらの動きを見張っている。そう確信した。尾行を断ち切るのは容易だった。だが、今は確かめる方が先だ。
(また、王家の遣いか?・・・まだ諦めていないのか)
第一王子であるエルネストの急死から、王家は混乱に陥っている。旧派閥の貴族達は、ユリアンを後継者に担ぎ出すのを諦められないようだ。
ユリアンの瞳が、いつもの柔らかさを失い、鋭く細められる。
穏やかな日常の帳の向こうに、確かに別の気配が広がっている。
リリエルの穏やかな笑顔を思い出し、胸の奥で小さく息をつく。
(……巻き込ませるわけにはいかない)
ユリアンは静かにフードをかぶり直し、影の中へと歩みを戻した。
何が起ころうとも、自分だけは備えていなければならない。
あの平穏を守るために——
夕暮れ時、修道院の中庭は静まり返っていた。空は橙に染まり、修道女たちの祈りの声が遠くから微かに聞こえる。
ユリアンはその声を聞きながら、礼拝堂の裏手にある小道を歩いていた。
視線は何気ないふりをしていたが、意識は周囲の空気を逃さず捉えていた。
門のそばに、見慣れない靴の跡があった。このあたりを通る者は限られている。日々見ているからこそ、ほんの僅かな違和感にも気づく。
(……明らかに、外の足だ)
気配だけが、じわじわと近づいてくる。
見えぬままに、忍び寄るような意志を孕んで。
そのとき——
「ユリアンさん?」
背後から、柔らかな声が届いた。
リリエルだった。
振り返ったユリアンは、一瞬、心に滲んだ警戒を押し隠し、微笑をつくった。
「リリエルか。……寒くないのか?」
「少しだけ、夕焼けを見たくて」
彼女は両手を胸の前で組んだまま、小さく笑った。その瞳は穏やかで、けれどどこか、彼の気配の変化を敏感に感じ取っていた。
「……何かあったんですね?」
問いは、まっすぐだった。
ユリアンは視線を外し、空の赤を見上げる。
「……風向きが変わってきた。それだけだ」
「風向き?」
「この地に吹く風の話さ。……たまに、過去の残り香を連れてくる」
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「私に、何かできることがありますか?」
その言葉に、ユリアンは小さく目を見開いた。そして、ゆっくりと微笑んだ。
「君は、そこにいてくれるだけでいい。……それが、俺にとっては何よりの力だ」
リリエルは答えず、ただそっと頷いた。
彼の言葉の奥に、守ろうとする強さと、孤独な決意があることを、感じ取っていたから。
やがて鐘の音が響き、祈りの時刻を告げた。
「そろそろ、戻りましょうか」
ユリアンの言葉に、リリエルは微笑みながら頷いた。二人は並んで歩き出す。
茜色の空の下で、まだ見ぬ嵐の気配が静かに近づいていた。
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