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33 救出①
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夜が最も深くなる刻。
王都北端にひっそりと佇む、かつての貴族屋敷。その屋敷の東側、朽ちた温室の扉が、軋んだ音を立ててわずかに開いた。
「……行くぞ」
ユリアンが先頭に立ち、ティムがその背に続く。
屋敷は静まり返り、人気のない庭はまるで死の匂いを含んでいるようだった。
屋敷の中に足を踏み入れると、すぐに異様な気配に気づく。
空気が乾きすぎている。ほこりにしては新しすぎる。誰かが最近まで通っていた跡が、床の石にわずかに残っていた。
(地下があるはずだ。……中庭の泉だな)
ユリアンは地図で確認していた“地下へ通じる導線”に向かった。
石造りの泉の縁をなぞると、隠し扉の継ぎ目が指にかかる。
「ティム」
「はい」
二人は力を合わせて扉を押し下げた。
ギィ、と重々しい音を立てて石の蓋が開き、その奥から黒々とした空間が現れた。
下には古びた梯子。風が下から吹き上げてきた。
ユリアンは無言で懐から白花の髪飾りを取り出すと、指先で一瞬だけ握りしめ、梯子を降りていった。
~~~~~~~~~~~
一方、リリエルはーーー
ひんやりとした石壁が背を冷やす。
目を閉じれば、ただ深い闇だけが広がっていた。
リリエルは膝を抱えて座っていた。両手は擦り傷とあざで覆われていたが、彼女の背筋はまっすぐに伸びていた。
(ここは……どこなのか、わからないけれど)
連れ去られてから、何日が経ったのか。朝も夜もわからない地下牢に閉じ込められ、食事は粗末なものが一日一度、投げ込まれるだけ。
けれど、泣き叫ぶことも、助けを乞うこともなかった。そんなことで、彼の顔に影を落とすことになるなら、私は──
「……ユリアンさん……」
その名をそっと口にすれば、かすかな温もりが胸に灯る。
ユリアンの照れたような笑顔や、過去の思いに囚われていた自分に手を差し伸べてくれた優しさ。
(私を、信じてくれていた。……誰よりも、私を大切にしてくれた人)
彼が王家の血を引いていたこと。
それがどれほど彼自身を縛ってきたのか、ようやく理解できた気がした。
あの夜、囁くように言ってくれた。
【俺が誰であろうと、君は変わらずにいてくれるか?】
もちろん、とリリエルは心から思った。
けれど──
(あの方は、きっと私のために何かを捨てようとしてしまう)
自分の身を案じて、また傷ついてしまうのではないか。
そう思うと、胸の奥が締めつけられるようだった。
(お願いです。……どうか、ユリアンさんが無事でいますように)
私のことはいい。
捕らえられようと、責められようと、私は泣かない。
でも、あの方が、もし自分を責めてしまったら──それが一番、つらい。
(どうか。あなたが、あなたのままで、いてくれますように)
誰かの傀儡としてではなく。
王族という立場でも、血という鎖でもなく。
ただ、ユリアンという人が、誰よりも自由でありますようにと願った。
音がした。
重い扉の向こうから、何かが動く音。足音、そして……静かな声。
「……リリエル」
その声は夢の中よりもやわらかく、現実よりも強かった。
(ああ……夢じゃ、ない)
彼の姿が、鉄格子の向こうに見えた。
とめどなく溢れ出す涙の中でも、リリエルはその瞬間、微笑んだ。
彼が生きている。それだけで、すべてが報われたようだった。
~~~~~~~~~~~
地下は薄暗く、湿気に満ちていた。
苔の生えた石壁が、音を吸い込むように静かだ。
だが、すぐに異変を感じ取る。
奥からわずかに、かすれる声。誰かのすすり泣きにも似た息遣い。
「……こっちだ」
ティムの囁きに、ユリアンはうなずき、通路を慎重に進む。
その先に、鉄格子の並ぶ牢があった。
そして──
「……リリエル」
小さな体が、牢の奥で膝を抱えていた。
ぼろ布のような衣服、乱れた髪、それでも背筋を伸ばして座る姿に、気高さがあった。
ユリアンの声に、リリエルがゆっくりと顔を上げた。
光を失っていた瞳が、見開かれる。
「……ユ、リアン……さん?」
その瞬間、彼女の頬を涙がつたった。
ユリアンはすぐさま格子の鍵を調べ、ティムが用意していた工具で錠をこじ開けた。
「来たぞ。……遅くなって、すまない」
リリエルは震える手を伸ばし、彼の手に触れた。
その温もりに、何かが決壊したかのように泣き崩れた。
「……本当に、来てくれたんですね……っ……」
「もう大丈夫だ。君は一人じゃない」
ユリアンは彼女をそっと抱き上げ、確かに胸に抱いた。
その腕の中で、リリエルの震えがゆっくりと止まっていく。
「行こう、ここを出よう。……君を、自由にする」
その時、遠くで甲冑の鳴る音がした。
──敵の気配。
ユリアンはすぐさまティムに指示を出す。
「合図を。……ライナスたちを動かす」
ティムが持っていた火打石を擦ると、通路の奥で微かな閃光が走った。
それは地下の抜け道へ繋がる“退路の合図”だった。
「このまま裏口まで行ける。ライナスたちが通路を開けてくれてるはずだ」
リリエルを抱えたまま、ユリアンは通路を駆けた。
背後で騒ぐ声が遠ざかっていく。
──彼女の命を守るために、自らの過去も、血筋も、すべて置いてきた。
これからどんな運命が待っていようと、ただひとつ。
リリエルが、二度と恐怖に囚われないように。彼女の未来を、自分の手で切り開くために。
ユリアンは、夜明けの空へと走り出した。
王都北端にひっそりと佇む、かつての貴族屋敷。その屋敷の東側、朽ちた温室の扉が、軋んだ音を立ててわずかに開いた。
「……行くぞ」
ユリアンが先頭に立ち、ティムがその背に続く。
屋敷は静まり返り、人気のない庭はまるで死の匂いを含んでいるようだった。
屋敷の中に足を踏み入れると、すぐに異様な気配に気づく。
空気が乾きすぎている。ほこりにしては新しすぎる。誰かが最近まで通っていた跡が、床の石にわずかに残っていた。
(地下があるはずだ。……中庭の泉だな)
ユリアンは地図で確認していた“地下へ通じる導線”に向かった。
石造りの泉の縁をなぞると、隠し扉の継ぎ目が指にかかる。
「ティム」
「はい」
二人は力を合わせて扉を押し下げた。
ギィ、と重々しい音を立てて石の蓋が開き、その奥から黒々とした空間が現れた。
下には古びた梯子。風が下から吹き上げてきた。
ユリアンは無言で懐から白花の髪飾りを取り出すと、指先で一瞬だけ握りしめ、梯子を降りていった。
~~~~~~~~~~~
一方、リリエルはーーー
ひんやりとした石壁が背を冷やす。
目を閉じれば、ただ深い闇だけが広がっていた。
リリエルは膝を抱えて座っていた。両手は擦り傷とあざで覆われていたが、彼女の背筋はまっすぐに伸びていた。
(ここは……どこなのか、わからないけれど)
連れ去られてから、何日が経ったのか。朝も夜もわからない地下牢に閉じ込められ、食事は粗末なものが一日一度、投げ込まれるだけ。
けれど、泣き叫ぶことも、助けを乞うこともなかった。そんなことで、彼の顔に影を落とすことになるなら、私は──
「……ユリアンさん……」
その名をそっと口にすれば、かすかな温もりが胸に灯る。
ユリアンの照れたような笑顔や、過去の思いに囚われていた自分に手を差し伸べてくれた優しさ。
(私を、信じてくれていた。……誰よりも、私を大切にしてくれた人)
彼が王家の血を引いていたこと。
それがどれほど彼自身を縛ってきたのか、ようやく理解できた気がした。
あの夜、囁くように言ってくれた。
【俺が誰であろうと、君は変わらずにいてくれるか?】
もちろん、とリリエルは心から思った。
けれど──
(あの方は、きっと私のために何かを捨てようとしてしまう)
自分の身を案じて、また傷ついてしまうのではないか。
そう思うと、胸の奥が締めつけられるようだった。
(お願いです。……どうか、ユリアンさんが無事でいますように)
私のことはいい。
捕らえられようと、責められようと、私は泣かない。
でも、あの方が、もし自分を責めてしまったら──それが一番、つらい。
(どうか。あなたが、あなたのままで、いてくれますように)
誰かの傀儡としてではなく。
王族という立場でも、血という鎖でもなく。
ただ、ユリアンという人が、誰よりも自由でありますようにと願った。
音がした。
重い扉の向こうから、何かが動く音。足音、そして……静かな声。
「……リリエル」
その声は夢の中よりもやわらかく、現実よりも強かった。
(ああ……夢じゃ、ない)
彼の姿が、鉄格子の向こうに見えた。
とめどなく溢れ出す涙の中でも、リリエルはその瞬間、微笑んだ。
彼が生きている。それだけで、すべてが報われたようだった。
~~~~~~~~~~~
地下は薄暗く、湿気に満ちていた。
苔の生えた石壁が、音を吸い込むように静かだ。
だが、すぐに異変を感じ取る。
奥からわずかに、かすれる声。誰かのすすり泣きにも似た息遣い。
「……こっちだ」
ティムの囁きに、ユリアンはうなずき、通路を慎重に進む。
その先に、鉄格子の並ぶ牢があった。
そして──
「……リリエル」
小さな体が、牢の奥で膝を抱えていた。
ぼろ布のような衣服、乱れた髪、それでも背筋を伸ばして座る姿に、気高さがあった。
ユリアンの声に、リリエルがゆっくりと顔を上げた。
光を失っていた瞳が、見開かれる。
「……ユ、リアン……さん?」
その瞬間、彼女の頬を涙がつたった。
ユリアンはすぐさま格子の鍵を調べ、ティムが用意していた工具で錠をこじ開けた。
「来たぞ。……遅くなって、すまない」
リリエルは震える手を伸ばし、彼の手に触れた。
その温もりに、何かが決壊したかのように泣き崩れた。
「……本当に、来てくれたんですね……っ……」
「もう大丈夫だ。君は一人じゃない」
ユリアンは彼女をそっと抱き上げ、確かに胸に抱いた。
その腕の中で、リリエルの震えがゆっくりと止まっていく。
「行こう、ここを出よう。……君を、自由にする」
その時、遠くで甲冑の鳴る音がした。
──敵の気配。
ユリアンはすぐさまティムに指示を出す。
「合図を。……ライナスたちを動かす」
ティムが持っていた火打石を擦ると、通路の奥で微かな閃光が走った。
それは地下の抜け道へ繋がる“退路の合図”だった。
「このまま裏口まで行ける。ライナスたちが通路を開けてくれてるはずだ」
リリエルを抱えたまま、ユリアンは通路を駆けた。
背後で騒ぐ声が遠ざかっていく。
──彼女の命を守るために、自らの過去も、血筋も、すべて置いてきた。
これからどんな運命が待っていようと、ただひとつ。
リリエルが、二度と恐怖に囚われないように。彼女の未来を、自分の手で切り開くために。
ユリアンは、夜明けの空へと走り出した。
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