うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

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開け放った窓から、庭園の喧騒けんそうが聞こえる。

かすかにリュートの音も聞き取れる。

にわかに歓声が上がった。

女の甲高かんだかい笑い声も混じって聞こえる。


セシリアの脳裏のうりに凱旋の出迎えにいた、甲高い声の女ときつい香水の匂いがよみがえった。

追い払うように頭を左右に振ってから、どうにか聞き取れるフィドルの音に集中してみる。


窓から庭園での宴の様子はうかがえないが松明やランタンが大量に灯されているのか、西翼せいよくの屋根の向こうから発光するように光がれている。

セシリアは窓のそばで思わず背伸びをした。

夜とは思えない明るさのその下に広がる世界はどんなに頑張っても、いささかものぞき見る事も出来ない。





 セシリアの遠い記憶が呼び覚まされる。

 蝋燭ろうそくがたくさん灯された、明るい部屋に父と幼い兄が食事をしている。

あれはどの部屋だろうか。セシリアには生家せいかであるローゼンクランツの屋敷の記憶はあまりない。

でも、父と兄だけなら大きな晩餐室ではなく、家族が使う食事室だろう。
父はとても楽しそうに笑っていて、兄も笑っていた。

それをどこかの扉の隙間すきまから覗いている。

何か物音がして、父がこちらを見た。

その顔からみるみるうちに笑顔は消え去り、険しい顔でこう言った。

「連れてけ!」

そこから先の記憶は少し途切れ途切れで、

「──躾けはどうなって──誰がここへ──」

父は誰かにブツブツと言い続けていた。


不意ふいに誰かがセシリアを抱き上げた。

とても暖かくて、心地よい。

あれは誰だったのか。





 セシリアは窓から離れ、寝台しんだいに腰かけてエウラリアを手招きした。

「何です、セシリア様。手招きなどはしたないですよ。」

言いながらエウラリアがセシリアの前まで来た。

セシリアはエウラリアに思い切り抱きついた。


「やっぱり、エウラリアだわ。」

「何がです?」

「あの時わたくしを抱き上げてくれたのは、エウラリア。」

(お父様であるわけがない。)

セシリアはエウラリアのはらのあたりに顔を埋めて深呼吸した。

「いい匂い…」

「まあまあ、今日のセシリア様は赤ん坊になってしまわれたようですね。」

エウラリアはセシリアをそっと抱きしめた。

「大好きよエウラリア」

わたくしもですとも、セシリア様。」



 侍女のマルタは、漏れ聞こえる騒音が心底わずらわしく思え、静かに窓を閉じた。

明るく温和おんわな性格の主人は、滅多に自分の感情をあらわにしない。

今も自分で自分の心をなだめ、静かにあきらめている。

マルタはセシリアを歯痒はがゆく思った。

諦めの早い主人に代わって西翼の向こうの下品な声をあげている宴に乗り込んで、わめき散らしたい気持ちだった。

マルタは喧騒の明かりを睨みつけ、静かにカーテンを閉めた。









 庭園のはしで輪になって平民兵と女達が大騒ぎしながら踊り出したのをぼんやりと見ていると、隣から無遠慮ぶえんりょに声が掛けられた。

「ニールス、この宴を準備したのは誰だ?」

ラースは不機嫌を隠さない。

「執事とほとんどをカールに任せた」

「ああ、それで…」 

葡萄酒ぶどうしゅをラースはぐいっと飲み干した。

「こんな安物の酒と、安っぽい料理ばかり。おまけに娼婦なんて呼んで、お前どうした? 戦場に貴族としての常識を捨ててきたのか?」

『娼婦』と聞いてギョッとしながら踊りの輪の中の女達を見ると、なるほどそれとおぼしき者が何人かいた。

「平民兵士たちが気兼きがねなく参加できるようにしたかったんだ。」

ニールスが言うのをラースの隣でアルヴェが鼻白はなじらんだように見えた。

「なぜ奥方おくがた様をお連れしなかった?」

アルヴェもなぜか不機嫌だ。

 二人はニールスと学園時代の同窓どうそうで、アルヴェとは傭兵ようへい時代に偶然再開し、軍医となったラースともやはり戦場で再開した。

普段から二人はニールスとは気安いが、しかしこれほどの不躾ぶしつけな物言いを公然こうぜんとする事はない。


「こんな場所に連れては来られない。セシリアには相応しくない。」

庭園の端で大声で笑う兵士たちを見ながらニールスはき捨てるように言った。

「ならなぜ奥方様に相応しいようにしなかった?なぜ平民兵士の居心地の方が大切なんだ?」

ニールスは答えられなかった。

 帰還の夜を思い出す。



松明の明かりにもその肌の白さとほほ薔薇ばら色に染まっているのが見てとれ、水色の瞳は輝き、金の髪が夜風にたなびいた。

彼女は息をむほど美しかった。

そして気がついた、セシリアを下卑げびた目でめ回すようにながめる兵士達に。

慌ててセシリアを部屋へ下がらせた。




三年ぶりの自分の寝台に、きっとすぐに眠ってしまうと思っていたのに、その晩ニールスはなかなか寝付けなかった。

目をつむると揺れる金の髪や潤んだ水色の瞳が思い出された。
薔薇色の頬もさくらんぼのような唇も。

(何を考えている…たった13歳の少女に、俺は何を…)


セシリアを頭の中から無理やり追い出し、強く目を瞑ると、今度はかつて戦場で見たおぞましい光景が浮かんだ。


下衆げすな男の息遣い、笑い声。泣き叫ぶ少女。

慌てて寝台から立ち上がった。全身から嫌な汗がどんどん吹き出してくる。

あの下劣げれつな兵士と自分が重なった。







「座ってもいい?」

思考をさえぎる甲高い声が、ニールスを引き戻した。


アンネは返事を待たずにニールスの隣に当たり前のように座ろうとする。

「遠慮してくれ!」

いつも穏やかなラースが声を荒げた。

「そこに座るなと言っている、早く立ち去れ。」

アルヴェも納得がいかず動かないアンネに厳しい調子で畳み掛けた。

「えっ、なんなの…ねえニールス、何か言ってよ…」

まだぼんやりしたニールスの肩をアンネが揺らした。

「カール連れてけ!お前の隣に座らせておけ!」

アンネに駆け寄ってきたカールにアルヴェは怒鳴りつけた。

貴様きさま、なんだその物言ものいいは!」

カールはアルヴェにつかみ掛かろうと大きく足を踏み込む。

「カール!いわいの席だつつしめ──アンネを連れて行ってくれ。」

ニールスが言うとカールはこぶしを握り締め、渋々といった様子を隠しもせずに元のたくに戻って行った。

何度も振り返りながら。




「『貴様』と来たか、口ぶりは貴族の様だな。“平民兵士の希望の星“とうたわれた副官ふくかん様がね…」

アルヴェはまだ遠巻きにこちらを盗み見ているカールとアンネを睨み返しながら言った…

「幼馴染だとしても、あの女を出入りさせるのはもうよした方がいい。軍は別として、屋敷はセシリア様の居心地を優先しろ。」

ラースには珍しく、踏み込んだ発言をする。


「分かっている。」

「分かっていると言う割には奥方がおいでになってない宴席えんせきに、図々しくも乗り込んで来ているがな。」

ニールスの答えに、アルヴェは間髪かんぱつ入れずに言い返した。

「こんな宴なら、俺は来なかった。セシリア様には病院の建設に際して大変お世話になった。金銭的なご支援に留まらず、自ら病院に出向いて負傷兵を見舞って下さってもいる。──こんな、セシリア様を馬鹿にした宴席など到底容認出来ん。」

ラースが言う事に、ニールスはやはり何も言い返せなかった。

「戦場が長すぎたようだな…」

アルヴェは、自分にかニールスにか分からずつぶやいた。
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