うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

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朝食室にはニールスの姿はなかった。


 セシリアはあれからほとんど眠る事が出来ず、いつも通りの時間まで、寝台しんだいの上でぼんやりと過ごした。
考えまいとしても、ニールスの険しい顔が何度も思い出されて、そのたびに寝返りを打った。

(エルムンドでは帰還する夫を出迎えたりはしないのかしら?──いいえ、そんなこと誰も言わなかったわ。)

(ドレスがおかしかった?髪が乱れていた?──着飾っていたのがお気に召さなかったのかも…)

一晩中、自問自答を繰り返した。





 セシリアは普段から早起きだ。

しかし戦地から帰ったばかりのニールスが起きるにはあまりにも早い。

「ニールス様はまだお休みなのね?」

ニールスの部屋の使用人がチラリと目についたので、確かめた。

「いえ、もうお立ちになりました…」

気まずそうに使用人は頭を下げて、朝食室から逃げるように出ていった。



入れ違うように、執事が部屋に入ってきて、こちらも気まずそうにセシリアに微笑んだ。

「おはようございます、奥様。」

彼女はエルムンドに来て三年、執事が好々爺こうこうやの微笑みを崩すのを初めて見た。

「おはよう、ヘニング。ニールス様はお早かったのね。どちらへ?」

「補給物資の監査がおありで、ブレンホルムを回ってからハルデンまで行かれるとのことです。」

「そう、ではお帰りは?遅いのかしら?」

「晩餐までにはお戻りかと。」

「分かったわ、わたくしはいつも通り修道院に行ったあと、工房へ寄るわ。私も、夕刻には戻ります。」

「承知いたしました。」

去って行くヘニングの白い髪を眺めながら、セシリアは遠慮なく大きなため息をいた。



一人で食べる朝食は、あまり味がしない。


 ニールスが戦地にいる間、セシリアは自室に近い部屋に食卓を運んでもらい、そこで、侍女や護衛ごえい達と食事を共にしていて、今日からはニールスと二人で食事をとるはずだった。

「一緒に食べない?」

後ろにひかえるエウラリアとマルタに聞いたが小さく首を横に振られただけだった。

「話したい事が、たくさんあったのだけど、今夜はお話しできるかしら。」

つぶやくと、エウラリアの眉間に深いしわが入った。

エウラリアは二人の婚姻時からニールスに厳しい。


 
 十歳になったばかりのセシリアと二十歳のニールスの婚姻は、突然に決まった。

正確には突然ではなかったのかもしれない。

でもセシリアとそのまわりの者達ものたちにとっては、突然だった。


 五歳になる前から、王宮で伯母である王妃によって庇護ひごされ、王子たちと共に暮らしていたのを、十歳になる前に生家である、ローゼンクランツ伯爵家へ戻された。

その時も何の前触まえぶれもなかった。そして、間をおかずニールスと婚姻した。

王宮を出る時、王妃がそれまで見たこともないほど怒っていたのを今でもセシリアは覚えている。




「さて、出かける支度をするわ。」

セシリアは音を立てて勢いよく立ち上がる。

「セシリア様、おひんがのうございます。」

すかさずエウラリアに叱られた。







 結局、ニールスは晩餐までには戻らなかった。

その日だけではなく、帰還後セシリアがニールスと食事をともにしたのは一度だけ、帰還から一週間が過ぎた晩のことだった。

その晩餐の時にニールスはセシリアに、凱旋祝がいせんいわいへの出席は無用と告げた。


 凱旋祝いは、領主が戦場から無事帰還きかんした事を祝う大切な行事で、領主夫妻の威厳いげんを示す場でもある。
その大切な場に、妻であるセシリアをともなわないとニールスは言った。





「明日、工房に新しい染料せんりょうが届くのです。とても珍しい染料で、うまくいけば深い海のようない青に染まるのですって。──それから──」

やっと、まともに顔を合わせられたのがうれしくて、晩餐の席でセシリアは話したかった事を、思いつくまま矢継やつぎ早に話し続けた。

ニールスは時々「ああ。」と相槌あいづちを打った。

「ニールス様…」

何も反応しないニールスに、思わず呼びかけた。

でも返事はない。

(話がつまらなかったのね…確かに、全部お手紙に書いて知らせていた事ばかりだもの、疲れさせてしまったのかしら?)

セシリアはふさわしい話題を探した。

「今日のデザートはさくらんぼの焼き菓子なのですよ。」

はしゃぎすぎて声も大き過ぎたかもと、セシリアは少し声を落として、ゆっくりとした口調で言った。

「ああ──」

ニールスは上の空のまま、相槌を打った。


皿は下げられ、デザートを待つ間セシリアは黙っていた。
もちろんニールスも何も話さない。

セシリアは話す代わりに、ニールスの顔をチラチラと覗き見た。


二人は、婚姻式から戦場に向かうまでの一月ほどしか生活を共にしていない。

ニールスは、突然見知らぬ地に連れて来られた幼いセシリアを気遣ったし、セシリアもすぐにエルムンドに馴染んだ。

セシリアの記憶の中のニールスは、口数は少なくても優しく笑う柔和にゅうわな人だった。



「凱旋祝いのうたげには、どのようなお食事を用意致しますか?平民の方が多いのでしたら、この辺りの郷土料理などがよろしいかしら?」

沈黙に耐えかねて、セシリアは何となく尋ねた。

「セシリアは何もする必要はない、他の者に任せる。」

(そうでしょうね、郷土料理なんてわからないし、もう帰還から一週間ですもの、誰かが手配しているわよね…)

「神父様と修道院長様には、明日わたくしからお話をいたしますか?」

セシリアは教会へはもちろん、修道院へは三日とけずに通っている。

「いや、そちらも俺が直接顔を出す。」

「では、私は何をお手伝いいたしますか?」

凱旋祝いは招待状は出すのか、何を事前に準備するのか、セシリアには全くわからない事ばかりだ。

執事に一度それとなく尋ねたが、あからさまにはぐらかされた。


「何もしなくていい。」

「出席だけすればよろしいの?」

何だか、お客様のようで居心地が悪そうだと思い、セシリアはニールスをじっと見つめた。

「出席も無用だ。────相応ふさわしくない。」

一瞬目があった。

ニールスは気まずそうな表情を浮かべ、すぐにセシリアから目をらした。

「君はまだ、酒は飲めないだろ?あんな場所に出向いても、退屈するだけだ。」

言葉もなく見つめるセシリアに、ニールスは言い訳めいたことをボソボソと聞き取りにくい声で言いつらねた。

「──承知いたしました…」

何とか、セシリアは声を絞り出す。


 突然ガタリと音を立てて、ニールスが立ち上がった。

そのあまりの勢いにセシリアの肩がびくりとれた。

「先に失礼する。君はゆっくり食べてくれ。」

それだけ言うと、ニールスは晩餐室から出ていった。

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