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屋敷の敷地内にある軍の訓練所まで、イニゴとの会話を思い出して歩きながら執務室を出た事を後悔し始めていた。
凱旋祝いが終わってからもニールスは多忙を極め、セシリアと晩餐はおろか朝食も共にすることは出来ず、ついには顔を合わせることも稀な事となっていた。
「そろそろ、劇場建設のお話を進めなくてはね。でも、お話どころかなかなかお会いすることも叶わないし、どうしようかしら…」
気弱な言い方が良くなかったかもしれない。
イニゴは幼くして年上の男に嫁がされる姪を気遣って、王妃が自国から派遣したセシリアの秘書官で報告係を兼ねた家庭教師だった。
ニールスの功績に報いると言う形で、セシリアが嫁いでからエルムンドの街道が整備され、同時に王妃の肝いりで長期療養が必要な負傷兵を受け入れる大きな病院の建設が進められた。
帝国から技術者が派遣され、その技術者とイニゴたちの会話にセシリアは興味を示した。
一を教えれば、十まで理解する。セシリアはそういう子で、問われればイニゴはなんでも答え、セシリアもどんどん吸収した。
「セシリア様は、ここの女主人です。好むと好まざるとに関わらず、エルムンド伯爵の正妻です。夫に会いに行くのに誰憚ることがございましょう?話をしに来い、と呼び付ければよろしいのです。」
至極もっとも、という風に言われてセシリアは「そうかしら?そういうもの?」と思ってしまった。
護衛のビョルンも「訓練所まで行ってみますか?」などと、当たり前のように言うものだから
「そうよね、呼び出すのはどうかと思うけど、待ってないで会いに行けば良かったのよね。」
と、勢いづいて執務室を出てしまった。
屋敷を出たところまでは、意気揚々と進んでいた足が、道が悪いせいかどんどん速度を落とす。
屋敷の南側とは全く違い、北側にあたる訓練所までの道のりは、色づく花など一つもなく、木でさえほとんど姿を変えない常緑のものが、なんの計画性もなく、身勝手に枝を伸ばしている。
夏の午前中とは思えないひんやりとした空気が、セシリアの首筋を撫でてゆく。
「早くしないと、夜になりますよ。」
ビョルンがなんの遠慮もなく急かす。
「ねぇ、ビョルンは私の護衛になんてならなかったら、誉れ高いエルムンド軍に入りたかったのではないの?」
敷石も途絶え、剥き出しの土がスカートの裾を汚す。
「いいえ、俺は男ばっかりの戦場で戦うなんて、真平です。ここの出じゃないですから“エルムンドの誉れ”も感じませんし、愛国心もないですから。』
軍本部の近くで、とんでもない事をしれっと言ってのける。
「声が大きいわ。」
「大丈夫ですよ、俺強いんで。」
「本当に?でも訓練してるの見た事ないわ。」
セシリアは心底意外、という風にビョルンを見た。
「みんなで揃って、これ見よがしに見せびらかしながら訓練なんてしませんよ。」
「棘のある言い方。ビョルン、気をつけた方がいいわ。」
「そうですか?セシリア様が気を使い過ぎなんですよ。まだ十三なのに、領地の仕事で毎日休みなく忙しくして。」
「でも、一応領主夫人だもの、それが普通でしょ?」
「たった十三で領主夫人なんて人、他になかなかいないでしょ?部屋で刺繍でもしてればいい年頃ですよ本当なら。」
でこぼこになってきた道に足を取られそうになって、ビョルンに手を借りて道を進む。
「私、刺繍も得意よ。でも、役に立たなきゃいけないでしょ?」
「どうしてです?セシリア様はいるだけで十分役立ってるでしょ?それ以上は望みすぎですよ。」
「私、欲張りなの?」
「セシリア様じゃなくて─────」
獣道の様なでこぼこ道はとうとう、伸び過ぎたイチイの木に行く手も会話も遮られた。
「ここを、通るの?」
セシリアの声が軽く絶望に染まる。
「帰りましょうセシリア様、なんなら、どこかへ遊びに行くのも良いですね。昼飯を外で、とか。」
「行くわ、足跡は続いているもの、みんなここを通ってるのでしょ。」
楽しそうなビョルンを無視して、セシリアは決意する。
イチイの枝にセシリアが触れるより先に、ビョルンがそれを小刀で切り落とした。
「軍事的な理由で、枝を伸ばしてたってことはないわよね?」
足元に落ちた無惨な枝を見ながら、セシリアはつぶやいた。
金属のぶつかる音と、男たちの怒号や何かの掛け声が聞こえてくると、ビョルンは口を閉じ警戒するように辺りを見渡し、セシリアとの距離を縮めた。
訓練所に入るとすぐ、若い兵がセシリアに気が付き軽く頭を下げて目線を動かしたので、セシリアもその兵士の目線を追った。
ニールスが歯を見せて笑っていた。
(帰還してからずっと不機嫌なわけではなかったのね。)
何となくホッとしていると、誰かと笑い合っていたニールスと目があった。
ニールスがセシリアを見たので、話していた若い兵士達もセシリアに振り返った。
一瞬にして、ニールスも兵士も笑顔を消し去り、眉を顰めてから目を逸らした。
セシリアの呼吸が浅くなる。
ニールスはものすごい勢いでセシリアのそばまで来ると、顰めっ面のまま口を開いた。
「ここで何をしている?」
セシリアはただニールスを見ていた。
「早く戻るんだ、ここへは来るな。」
低い声が腹の底に響くようで、セシリアの体が揺れた。
「失礼いたしました。─────」
機械的にそういうと、セシリアは元来た道を引き返すため、踵を返した。
耳鳴りがし、視界が狭まった気がして、体に力が入らない。
ぼんやりとした視界の隅に、出迎えの時に見た女が見えた。
「うわっ、かわいそう───ぷぷっ」
吹き出した女に合わせて、隣にいた兵士も「くくっ」と喉を鳴らして笑った。
ビョルンが女を視界から消すように体を横にしてセシリアの隣に立った。
「行きましょう、セシリア様。」
虚な目のセシリアをビョルンはそっと支え歩き出した。
父が笑っている、それは楽しそうに。
何があってそんなに楽しそうなのかは、セシリアには分からない。
これは、王宮での事だったか。
父は声を出し笑っていて、兄の頭を撫でた。
そばには他にも誰かがいて、その人達も笑っている。
どんな楽しいことなのか知りたくて、セシリアは父の方へ一歩、足を進めた。
父がこちらを向いた。
途端に笑顔は消え失せ、険しい顔になる。
隣にいた人達は、何事かと、父の目線の先を見た。
大人達の同情的な目、途切れる会話、しらける空気。
なぜかとても恥ずかしかった。
頭を撫でられていた兄も振り返り、『お前か…』そう言いたげな目で、セシリアを見た。
「セシリア様!」
セシリアを記憶から引き戻したのは、泥だらけの少年だった。
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