メゾン・クローズ 光と闇のはざまで

平坂 静音

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「そ、それ……」

 もはや、〝それ〟は物体だった。

 一瞬凍り付いたコンスタンスの身体が恐怖に震えた。

「そ、その人……」

「……まさか、知人なのか?」

 コンスタンスは無言で頷いていた。

 目がかすんで見えない。まさか……とは思ったが。だが、濡れた亜麻色の髪、ほっそりとした身体、何より見覚えのある質素な白いブラウス。

 リジュロン……。コンスタンスは力なく呟いていた。




 コンスタンスは建物の外に出たとたん、失神してしまっていた。倒れたコンスタンスを木陰のベンチに座らせ、刑事はモルグの職員にリジュロンの身元を知らせに行った。リジュロンは、すくなくとも身元不明人として葬られることはないだけ、他の死体より幸せなのかもしれない。

 ぼんやりとベンチに座って刑事が戻って来るのを待っているあいだ、コンスタンスは自分でも何を思っていたのか、何を考えていたのか後になって思い出せない。

 午後も遅くなった時間だが、相変わらず天気は良く、燦燦さんさんと降ってくる光の粒がコンスタンスの頭上できらめく。

 帽子を深くかぶりなおすと、コンスタンスは取り出したハンカチを振ってちいさな風をつくった。遠くで飲み物を売る売り子の声や、新聞を売る少年の声が聞こえる。

 足元に、だれかが読み捨てた『ル・ジュルナル』の新聞紙が飛んできた。灰色の写真には、来年の祭典にむけて建設中の少女の彫像が載っている。彫像の少女はフリジア帽をかぶり、ご丁寧にドレスは、人気のデザイナー、ジャンヌ・パキャンのデザインしたものだ。

 その写真をぼんやり見ているうちに、コンスタンスは何故か低く声を出して笑っていた。

 何故笑っていたのか自分でも後で不思議なのだが、どうしてか笑いが止まらなかった。

 いつか聞いたナポレオン三世の妻の話を思い出す。ナポレオン三世の妻ウジェニーは、夫が戦争に負けて位を追われたとき、命からがら知人の医師の家に逃げこんだのだが、その後どういうわけか笑いが止まらなかったという。人は、極端な恐怖や悲しみを経験すると、たいていは泣くが、まれに笑いだす例もあるようだ。心理学者か精神科医なら、ヒステリーの発作の一例と判断するかもしれない。
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