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嵐の頃 …13
しおりを挟む流人は何の不安もない。
本田のおじいちゃんの家にはかれこれ三回は行っている。
行く毎に近道を見つけたし、まずは主要道路を飛ばして走れば信号がないぶんかなり時間が短縮できるはずだ。
きゆはがけ崩れを心配していたが、まだこの雨ならぎりぎり大丈夫だろう。
流人は病院の車に常備してある漫談のCDをセットして、大音量で鳴らした。
ウィンカーがフルスピードで動いても間に合わない程の雨の量は流人の視界を遮ったが、それでも流人はスピードを落とさなかった。
マルが待っている。
流人にとっては、犬も人間も尊い同じ命だ。
流人は、自分の前からある日突然きゆが消えた日の事を思い出していた。
自分の近くにいてくれることが当然で、空気と同じくらいになくてはならない存在が急に消える。
しばらくは、まともに息すらできずにいた。
いつも通っていたきゆのアパートはもぬけの殻となり、毎日顔を合わせてた病院からも姿を消した。
愛する人が、愛してやまない恋人が、何の前触れもなく自分の前からいなくなる喪失感は、今でも流人の心を苦しめるほどのトラウマになっている。
でも、本田のおじいちゃんにとってのマルは、恋人でもあり家族でもある。
そんなマルをおじいちゃんから奪うわけにはいかない。
無謀だとか自殺行為だとか言われようが、流人は突き進むしかなかった。
もし助けに行かずマルが死んでしまったら、その時こそ俺は死ぬまで自分を責めて生きるだろう。
あんなに可愛くて賢いマルは、きっとおじいちゃんを待っている。
だから、俺はおじいちゃんの代わりに迎えに行くだけだ。
きゆは何度も何度も瑛太に電話をするが、瑛太の電話は話し中の音が鳴るだけで全くつながらない。
瑛太に助けを求めればきっと何とかしてくれるという一縷の望みさえ叶わなかった。
きゆと本田がセンターに着くと、そこにはまだ誰一人避難をしている人はいなかった。
時間を追って台風は近づいているのに、避難場所となっているセンターの中にある大広間はガランとしている。
「今から皆さんやって来るんですよね?」
きゆはそこに待機している役場の職員にそう尋ねた。
「若い連中がお年寄りの所に迎えに行ってるから、そろそろ集まると思うんだけど。
それより、本田さん、本当にラッキーだったね。
本田さんの住まいがあるあの地域は今回はかなりヤバいらしくて、本田さんがここに来るって教えたら、消防の奴らは、皆、胸をなで下ろしてたよ」
本田さんはきっと流人の事を思っているのだろう、険しい顔で窓から見える外を見ていた。
「じゃ、私、病院へ帰りますね。
本田さん、何かあったらすぐに連絡しますから」
きゆは小さな声で本田さんにそう言うと、本田さんはポケットかららくらくホンの携帯を取り出しきゆに見せた。
きゆは本田さんの携帯番号がカルテに書いてある事を思い出し、大きく頷いてセンターを後にした。
病院に着いたきゆは、さっきよりひどくなっている雨風に心臓が破裂しそうだった。
とりあえず、病院の中を片付ける事に専念した。
コンクリート建てではあるがかなり古くなっている病院の入り口や窓を見て回り、閉まりが悪い窓の箇所にはガムテープを貼ったり隙間に新聞紙を詰め込んだりして忙しく過ごした。
そうでもしないと、居ても立っても居られなくなる。
流人を追いかけてあの場所へ車を走らせたくなる。
もう辺りが暗くなってきた。
時計を見ると、流人が帰って来ると約束した時間はとうに過ぎている。
小さな島の田舎町は、夜になるといい意味でも悪い意味でも外は真っ暗になる。
島で生まれ育った者でさえ物悲しく心細くなるのに、こんな嵐の中、もし流人が立ち往生していたら?がけ崩れにあっていたら?、そんな事ばかりを考えてきゆの体と心はバラバラにちぎれそうになっていた。
すると、突然、スマホが鳴った。
「もしもし、瑛太?」
きゆは瑛太の声を聞いて泣きそうになる。
「大丈夫か?何かあった?」
瑛太の声も切羽詰まっていた。
どこか外にいるのだろう、雨と風の激しい音が聞こえてくる。
「……ううん、大丈夫。
本当に困ったらまた電話するから…
瑛太も気をつけてね…」
きゆは待合室の長椅子に座って、ずっと流人を待った。
夜の9時が過ぎた頃突然電気が消え、島内放送で停電をしたと呼びかけている。
きゆは待合室にある非常灯の下で、携帯を握りしめ流人からの連絡をひたすら待った。
きゆの方から何度も電話をかけているが、電波が届かないというアナウンスしか応答はない。
きゆは不安で心配で怖くてずっと震えていた。
流人が出発してからもう4時間は経っているのに帰って来る気配もない。
きゆはパニックになりそうな自分を必死になだめていた。
もし、何かあったら、流人のご両親になんて言えばいいのだろう…
ううん、違う、そんな事はもうどうでもいい…
流ちゃんがいなくなったら、私は生きていけない…
流ちゃんがそばにいないと、私は私じゃなくなる…
“俺はきゆが好きで、きゆは俺が好き。
単純ってそんなにダメなことなのか?”
そうだよね…
この単純な本当の気持ちは、たくさんの建前やたくさんの言い訳の詰まった箱の中に閉じ込めても、いつか必ずその箱から飛び出してくる。
私は流ちゃんを愛してる…
私も流ちゃんと結婚したい…
流ちゃんと死ぬまで寄り添って生きたいよ…
きゆは暗闇に浮かぶ緑色の灯りの下で、自分の心の奥底に沈めていた流人への思いを解放した。
流ちゃん…
流ちゃんに素直に伝えたい…
だから、早く、帰ってきて…
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