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嵐の頃 …12
しおりを挟む夏祭りから10日が過ぎた頃、この島に大きな台風が近づいていた。
今日にも上陸しそうな危うい天気が続いている。
きゆは病院の外に並べている植木鉢を病院の玄関の中に運んでいると、急に大雨が降り出した。
今朝からの強風は更に強くなり、それに加えての豪雨は建物の窓や壁を激しく叩く。
その時、きゆはヘッドライトをつけた車が病院の駐車場に入ってくるのが見えた。
受付の窓から見ていると、その軽トラから出てきたのは、本田のおじいちゃんだった。
「本田さん、こんな日にどうしたんですか?」
きゆは殴りつける雨にびっしょり濡れた本田に、タオルを渡しながらそう聞いた。
「いや、台風に備えて家の補強をしてたら工具が足りなくて、そこの商店まで買い出しに来たんだよ。そしたら、ほら、急にこんな豪雨になって。
あ、ここには、シップが欲しくて寄ったんだ」
もうこの頃には役場の方から、海側や山側に面した家の人達に避難を促す島内放送が流れていた。
「え? じゃ、また、家に帰るんですか?…」
きゆは嫌な予感がして本田さんにそう聞いた。
本田さんの家のある集落はとにかく災害が多い場所で有名だったし、この雨ではあの細い道路の脇の崖が非常に危険だった。
診察室にいた流人も待合室まで出てきてきゆの険しい表情を見た後に、窓から荒れ狂う外を見定めた。
「この感じじゃ、かなり台風が近づいてるな…」
流人がそう言うと、本田のおじいちゃんは急に慌て出した。
「流人先生、シップを出してもらっていいかい?
その後、急いで帰らないとならんから」
きゆは本田さんの前に座り、落ち着かせるようにこう言った。
「本田さん、今日はこのまま研修センターに泊まった方がいいですよ。
今、役場の方から、本田さんの家がある地区に住んでいる人達への避難命令がどんどん出てる。
私も一緒にセンターに行くので、そうしましょ?」
きゆの言葉は、本田の耳には全く届いていない。
本田の顔は更にこわばり、急に立ち上がると外へ出ようとした。
「いやいや、帰らんといかん。
マルが家の中じゃなくて外の小屋にいるから、連れてこないと小屋ごとふっ飛ばされる。
それに、鎖を外してたら好きにどこかへ逃げれたんだが、鎖を繋いできたから逃げる事もできないんだ。
早く行ってやらんと…」
本田さんは80歳の高齢なのに気丈にも口元を引き締め、長靴をはき出した。
「本田さん、無理ですよ。
この雨じゃ、あの細い道は通れるかも分からないし、それに高潮警報も出てるから、本田さんの家は危険過ぎます」
「いや、大丈夫。
わしが行ってやらんと。
マルが心細い気持ちで待ってるから」
「本田さん」
きゆは本田さんの腕をつかみ、外に出ないように阻止した。
マルの事を考えれば胸が苦しくてしょうがないけれど、でも、今は本田の身を守る事が最優先だ。
それだけあの地域は高潮の被害をこれまでも受けてきた。
この島に生きる人間であれば、海の近くに住む危険性を身に沁みて分かっている。
「本田さん、大丈夫ですよ。
マルは俺がここに連れてきますから」
流人はもう白衣を脱いで普段着のジーンズに履き替えていた。
リュックの中に携帯の充電用のバッテリーと、タオルに懐中電灯やらを突っ込んでいる。
「流人先生、ダメ」
きゆがそう言っても流人はもうきかない。
「どっちみち、本田さんも俺もマルの事を見捨てることはできないんだから。
だったら、80歳の本田のおじいちゃんが行くより、俺が行った方が確実にマルを助けられる」
「この間も話したでしょ。
あの地域はこの島の中で一番危険な場所なんだって。
もし、家にたどり着いたとしても、ここに帰って来れないかもしれない。
だから、やめて…」
流人は困惑している本田のおじいちゃんに笑顔を向けた。
「大丈夫、必ずマルは連れて帰りますから。
おじいちゃんにとってのたった一人の家族を、俺は絶対見殺しにはしない」
「今から、瑛太に電話して、あの地域に誰か行ってないか聞いてみる。
だから、先生、もう少し待って」
流人は病院の納戸に首を突っ込んでカッパやガムテープや緊急事態に何か必要になりそうな物を、更にリュックに詰めていた。
「いいよ、電話しなくていい。
あいつも忙しいだろ。
それに、早くに出発しないと暗くなるし。
ちょうど、診察時間も終わりだし、今5時だろ?
7時には帰ってくるよ。今の時期、日が長いから、できるだけ明るい内に帰ってくる」
きゆが呆然としていると、流人と本田さんは、雨の中駐車場で何かを話している。
きゆも走って駐車場に向かった。
「やっぱり、止めた方がいいと思う。
マルは近くの人に一緒に連れて来てもらおうよ
この台風は普段来る台風よりはるかに大きいんだから、危険過ぎる。
行かないで、流人先生。行っちゃダメ」
きゆの話はちゃんと聞こえてるはずなのに、流人は聞こえないふりをして車に乗り込んだ。
「きゆ、本田のおじいちゃんをちゃんとセンターに連れて行くこと。
マルはここに連れて帰って来る。
大丈夫だって、ちゃんと連絡するから」
きゆは自分が後悔してしまいそうなそんな嫌な予感がしていた。
あの時に死にもの狂いで止めていればって、取り返しのつかない状況になってしまいそうで足がすくんだ。
「流ちゃん、行かないで…」
打ちつける雨と吹きすさぶ強風にきゆの声はかき消され、流人は涼しい顔をして嵐の中を出て行った。
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